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「山月記」をわかりやすくする

中島敦さんの「山月記」を取り上げます。この作品は、学校の教科書に掲載されている短編小説です。短いので、すべて読んだ方もおおのではないでしょうか。

自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。
(中島敦「山月記」より抜粋)

山月記の冒頭は漢文調が多く読みにくい部分もあるのですが、李徴(りちょう)が虎に化けて旧友の袁傪(えんさん)を襲いそうになるシーン以降は、このように読みやすい文章になります。

とはいえ、第2文目あたりがすこしつっかかりを感じたでしょうか。今回はこの部分をわかりやすく直してみます。

主語の扱いを考える

先に、わかりやすく直したものから紹介します。

自分は直ぐに死を想うた。しかしその時、自分の眼の前を一匹の兎が駈け過ぎた。その瞬間、自分の中の人間は姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。
(中島敦「山月記」より引用・改変)

いかがでしょうか。元の文章の方が勢いがありますが、この文章の方が理解は早いと思います。主語の位置に着目して見てみましょう。

第2文の主語は書いてありません。主語が省略されていると、通常は直前の文の主語である「李徴」が入ると考えます。ところが、述語が来る前に「一匹の兎が駈けすぎる」という主語と述語がはいります。

その後、ようやく「見た」という述語が登場します。主語が省略されていると、通常は直前の文の主語が入るのですが、「兎が駆け過ぎるのを(兎が)見た」というのは意味が通じません。一瞬、迷いますがおそらく、省略されている主語の「李徴」が入るのと予想します。

しかし、もうちょっと文脈を見ないと、本当に李徴かどうかわかりませんね。「見た」の暫定の主語として「李徴」を置きます

読み進めると、「自分の中の人間は姿を消した」とあります。ここで新しい主語と述語が登場しました。

主語の省略と文意の転換に注意

構造だけを見ると、余計に混乱しますね。

この1文の構造だけに着目すると、次のようになります。

これは複雑ですね。述語1の主語が省略されている上に、主語と述語のセットに挟まれています。これが、読者に一瞬だけ「あれ?」と思わせる原因になります。

主語を省いたのであれば、原則としてあまり主語を入れ替えずに叙述すると、わかりやすい文章になります。

自分は直ぐに死を想うた。しかしその時、自分の眼の前を一匹の兎が駈け過ぎた。その瞬間、自分の中の人間は姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。
(中島敦「山月記」より引用・改変)

こう書くことで、主語を継続して「李徴」に置きながら話が展開します。厳密には主語が「兎」だったり「自分の中の人間」だったりしますが、冒頭に「自分」という主語を入れることで、誰の視点の話なのかを読者に意識させることができます。

主語の表現を複数用いない

山月記では、李徴は自身のことを「自分」と表現していますが、途中から「己(おのれ)」にチェンジします。主に2人しか登場しない短い小説なので、本来であれば主語の表現を切り替えない方がわかりやすいです。

ただしこの場合、李徴が“徐々に虎に近づいて、人間に戻れなくなっている”ことの表現の1つとして、1人称をチェンジしている気がします。

まとめ「主語の省略と文意の転換に注意」

今回のまとめです。「主語を省くと、直前の主語が入る」という暗黙のルールがあります。その際に別の主述が複数来ると、読みにくいものになります。主語が変わるのであれば、文章をいったん区切るか、改めて主語を明確に書くと、わかりやすくなります。

追記:主語をまとめるとわかりやすい

主語をまとめると、わかりやすい文章になります。例題を作って見ましたので、お時間があれば読み比べてみてください。

健太は背が高いが、健二は背が低い。健太の成績は、先生が手放しで褒めるくらいだが、健二の成績はいつもぐずぐずだ。健太はスポーツ万能で運動会のヒーローだが、健二の運動会の前日には、てるてる坊主を逆さにぶら下げて雨を願うほどだ。双子なのにこうも違うかと、健太と健二の両親はいつも思っていた。
健太は背が高く、成績は先生が手放しで褒めるくらいだ。さらにスポーツも万能で、運動会のヒーローである。しかし健二は真逆なのだ。背は低いし、成績はぐずぐず、運動会の前日にはてるてる坊主を逆さまにぶら下げて、雨を願うほどだ。健太と健二の両親は、いつも「双子なのにこうも違うか」と思っていた。

どうでしょうか? 好みは別れるかもしれませんが、主語で文章をまとめた方がわかりよい気がします。たまに項目、ここでは身長や成績、運動能力でまとめる方がいます。あえてその表現方法を採用することもありますが、その違いを理解できるまでは、主語でまとめた方が無難だと思います。

山月記の内容と補足

山月記は、1942年に出された中島敦さんのデビュー作です。詩人になるべく官僚のポストを捨てた李徴は、次第にお金に苦労するようになります。悩んだ末に再び官僚となろうとしますが、かつて自分より劣っていた後輩の下に就く悔しさもあってか、虎に化けて人を襲うようになります。

旧友の袁傪を襲いそうになったことから、2人は語り合うようになります。最後、李徴は自分の詩を書き留めてほしいと願い、その後、妻と子を頼むと言います。そう告げたあとで、李徴はこう言います。

本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩集の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
中島敦「山月記」より抜粋

人間の奥底にある自己承認欲求について、つぶさに描いているところが、ファンがおおい理由の1つだと思います。

【補足事項】ここでは、現代に生きる人たちがよりわかりやすく情報を伝えるためのトレーニングとして、一般的に名著と呼ばれる書籍の文章を引用しています。修正や補完は、あくまで「現代に暮らす人たち」が理解しやすくするためのものです。登場する名著の文学的価値は依然として高いと考えています。その芸術性を否定したり不完全さを指摘したりする意図はないことを、強く宣言します。また引用した文の作者の思想や主張に、同意するものではないことも添えたいと思います。

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