銀河鉄道

「銀河鉄道の夜」をわかりやすくする

宮澤賢治さんの有名な小説「銀河鉄道の夜」を取り上げます。この作品は昭和初期ごろに書かれたもので、作者の死後に、未完成の原稿として発表されました。幻想的な内容は、その後の様々な作品に影響を与えたと言われています。

そして、カムパネルラは、まるい板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のように真っ黒な盤の上に、一々の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。
ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ」
ジョバンニが言いました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君ももらわなかったの」
「ああ、ぼく銀河ステーションを通っただろうか。いまぼくたちのいるところ、ここだろう」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか」そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、かぜにさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
(「銀河鉄道の夜」宮澤賢治 「六 銀河ステーション」より引用)

小説の途中を抜き出したので、すぐには状況を把握しにくいかもしれません。わかりにくくしている理由の1つに「主語がたびたび省かれていること」があります。

文章の構造を理解する

文章の大きな流れを見てみましょう。最初に気になるのは、「銀河ステーションで、もらったんだ〜」の文の主語がどれかということです。

直前の「この地図はどこで買ったの〜」の文章は、ジョバンニが話していることがわかります。次の「ああ、ぼく銀河ステーションを通っただろうか〜」の文も、同じくジョバンニが話しています。

さらにもう少し読み進めると「そうだ。おや、あの河原は〜」の文章が出てきます。これもジョバンニのセリフのように見えますが、よく読むと、この文の「そうだ」は、直前のジョバンニのセリフ「〜いまぼくたちのいるところ、ここだろう」に呼応しているのがわかります。

ということは、どうやら「そうだ。〜」も、ジョバンニではない誰かの言葉のような気がしますね。

では、この青で書かれたセリフの主語はどこでしょうか?けっこう遠いところにある「カムパネルラ」が正解です。

カムパネルラが「銀河ステーションで〜」と「そうだ。〜」の主語になります。けっこう遠いですね。

主語が遠いところにあっても推測はできるのですが、この文章の場合、間に違う主語が4回登場します。主語が4回転換すると、主語がどれなのかを把握するのに少し時間がかかります。

「銀河鉄道の夜」をわかりやすくする

それではこの文章を、現代風にわかりやすいよう改変してみます。

そして、カムパネルラは、まるい板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のように真っ黒な盤の上に、一々の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ」ジョバンニが言いました。
カムパネルラは「銀河ステーションで、もらったんだ。君ももらわなかったの」とたずねました。
「ああ、ぼく銀河ステーションを通っただろうか。いまぼくたちのいるところ、ここだろう」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか」。カムパネルラが言う方角をジョバンニが見ると、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、かぜにさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。

いかがでしょうか。主語が明確になると、すこし読みやすくなったのではないでしょうか。

主語は明確に書き、述語の近くに置く

わかりやすく文章を書くコツは、「主語を明確にして、述語の近くに置く」ということです。少しでも読者に「あれ?」と思わせてしまうと、そこから文章への興味がなくなるおそれがあります。

「主語を明確にして、述語の近くに置く」というのは原則ですが、例外もあります。小説の場合、たとえば今回のように主人公2人の会話ばかりなのに、いちいち主語を挟んでしまうと、かえって読みづらくなります。

奉行所の前で、熊さんと八っつあんが言い争っている。
「おい、熊。てめえ、この二両入った紙入れを落としたろ。俺が拾ってやったから、ありがたく受け取っとけよ。まったく、こんな大金を落とすって間の抜けた野郎だよ。まったく」と八っつあんが、けしかけます。
熊さんは「なんだ、黙って聞いてりゃ八のくせに調子に乗りやがって。こちとら、宵越しの金は持たねえ。その二両を恵んでやるから、たまには白い米くらい女房に食わせてやれよ」と顔を真っ赤にして言った。
これに対し八っつあんは「なんだとこの野郎、女房は関係ねえだろうが。二両ごときをネコババするわけねえだろうが。ありがとうの一言も言えねえのか、馬鹿野郎」と答える。
すると怒った熊さんは「てめえが喧嘩売ってきたんだろうがよ。稼ぎが悪い亭主だから女房に同情したんだろうが。貧乏人にくれてやるって言ってんだろ」というと、八っつあんは「なにおう、この野郎、やろうってのか!?」と言い、熊さんは「てめえこそ、かかってこいよこの野郎」と、取っ組み合いが始まった。

どうでしょう? 熊さんと八っつあんの掛け合いです。これでも意味は通じますが、少しテンポがゆっくりになるのが気になります。

逆に、主語を思い切って取って見るとどうでしょう?

奉行所の前で、熊さんと八っつあんが言い争っている。
「おい、熊。てめえ、この二両入った紙入れを落としたろ。俺が拾ってやったから、ありがたく受け取っとけよ。まったく、こんな大金を落とすって間の抜けた野郎だよ。まったく」
「なんだ、黙って聞いてりゃ八のくせに調子に乗りやがって。こちとら、宵越しの金は持たねえ。その二両を恵んでやるから、たまには白い米くらい女房に食わせてやれよ」
「なんだとこの野郎、女房は関係ねえだろうが。二両ごときをネコババするわけねえだろうが。ありがとうの一言も言えねえのか、馬鹿野郎」
「てめえが喧嘩売ってきたんだろうがよ。稼ぎが悪い亭主だから女房に同情したんだろうがよ。貧乏人にくれてやるって言ってんだろうが」
「なにおう、この野郎、やろうってのか!?」
「てめえこそ、かかってこいよこの野郎」と、取っ組み合いが始まった。

この文章には、最初にしか主語が登場しません。ですが、読みにくくはないのがわかります。

主語がなくても読みにくくない理由は、2人以外の主語が途中で登場しないからです。読者は初めから「2人しかいない」ことを知っています。次に「おい、熊」と声をかけたことで、これは八っつあんの言葉だとわかります。次に「なんだ黙って聞いてりゃ八のくせに〜」とあるので、このセリフが熊さんだということも理解できます。このようなケンカやカーチェイスなどのシーンを描く際には、思い切って主語を省いた方がテンポがよく、向いています

今回のまとめ

まとめです。文章を書くときは、原則として述語の近くに主語を明確に書くと、わかりやすくなります。

ただし、他に主語が登場しない場合に限り、主語を省くことでテンポが良くなります

「銀河鉄道の夜」の中身と補足

銀河鉄道の夜の内容について触れます。

・ジョバンニは、病気の母親と漁師の父親と暮らしている。父親は遠くに漁に出たままなかなか帰ってこない

・父親のことで、度々クラスメイトのザネリにいじめられる

・ある夜ジョバンニは「銀河ステーション」という言葉を聞くと、銀河鉄道に乗った。そこには友達のカムパネルラも乗っていた

・ジョバンニはカムパネルラと2人で、銀河鉄道の旅に出る

途中の旅がファンタジーで、子どものころはその映像がすんなりと描けるほどでした。成長して読んだところ、なんだか意味を汲み取るのが難しく、こんなに難しい小説だったかと悩みました。案外、言外のことをあれこれと考えるのではなく、素直に読んだ方が楽しい作品だと思います。

【補足事項】ここでは、現代に生きる人たちがよりわかりやすく情報を伝えるためのトレーニングとして、一般的に名著と呼ばれる書籍の文章を引用しています。修正や補完は、あくまで「現代に暮らす人たち」が理解しやすくするためのものです。登場する名著の文学的価値は依然として高いと考えています。その芸術性を否定したり不完全さを指摘したりする意図はないことを、強く宣言します。また引用した文の作者の思想や主張に、同意するものではないことも添えたいと思います。




馬券が当たった方、宝くじを当てた方はお願いします。