他人に対する主観的主張が客観的説明に優先していいのか?
法の番人たる最高裁が驚きの判断を示しました。
LGBTで問題になっているのは、単なる性認識の問題ではないからでしょう。要は、「身体は男(客観)で心は女(主観)」という場合、身体(客観)より心(主観)が優先するというということです。私的関係の場合はともかく、公的な場合でも。LGBTだけでも大変ですが、恐ろしいのはもっと一般化されていくことでしょう。
「主観がすべて」
そうなればもっと秩序は乱れ、法治国家は一気に瓦解することになります。サヨクリベラルは「自分で決める自由」だけは重視しますが、その結果がどうなるかは口をつぐんでいるようです。社会の一員としては無責任ですね。
社会という枠組みで他者と生きていく限りは、束縛のない野放図で放縦な自由は危険なのは自明。どうしてもそれがお望みならロビンソンクルーソー生活でしょうか。