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対話と議論のあいだに

2020年にはじめた議論の練習。の日記です。

来年に向けての準備にと始めた新しい試み「議論」ですが、
2019年、昨年に「対話」を覚え練習と始めていたところ

この対話と真逆の属性(?)を持つ「議論」に戸惑い続ける1年でした。
とはいえ、マナーと愛に溢れる議論が多かったと感じています。
例えば、ありがちな「議論」と称した自身の意思の押し付け合いではなく
対話を通した後の議論であったのかと。

対話やらダイアローグ(私の認識ではですが)

対話やダイアローグの中では
相手のあり方を否定せず
愛を持って理解しようと努める。

じっくり話を最後まで聞き
自分のフィルターを通し相手を認識する。ものかなと思っています。
既に、相手が生んだコトバそのままではないので
自分と相手の考えをプラスしたイメージであることを認識しつつ
相手のあり方に付け加えたりせず尊重する。
するとだんだん場の空気も変わってくる。

実は、

自分のフィルターと相手のフィルターは異なっていて
一緒の時間を過ごしても、違う景色を見ている。

違う景色をお互い見ている事を認識しつつ
違いを楽しむ。

相手と自分はそれぞれ互いを自身のフィルターを通し
同じ空気になるイメージで。これって例えば、
あの人苦手だなーと感じていると相手も自分のことを苦手と思っていたり。
反対に、
あの人と馬が合いそうだなと思っていると相手も同じことを感じていたり。
不思議ですが感じる力ははかりしれない。

議論だからの苦労?

今年、議論を始めるときに一番苦労した・困った点は
早いテンポで返せないな、という点ですね。
もともととても速いスピードで話が進むのもあり
参加者さんたちがキレッキレなのもあり。


対話をする時、話している間は相手に神経を尖らせて
聞くことに集中するから、
いままでは返答をするまでに 少し「間」を開けていました。

正確にいえば、傾聴力に依存するのでしょうか、
相手の話を聞いている・聞ききることに集中するから
聞いた後に少し「間」をとって、自身の頭で整理をして
コトバをかえす。

以前、素晴らしい高い傾聴力を持った方にお会いしたことがあり
鎌倉でお会いしたことがあるそのお2人は
聞ききった後に「間」は必要なかったような。
自身の力の至らなさ(伸びしろ)を実感したことがあります。


しかも、今年は更にオンラインであることも重なって
直接お会いして話すときにはわかるであろう「話終わりの空気」が
つかみにくく、ちょっとかぶりぎみに返答をしたり、
もともとかぶせる勢いを持っていらっしゃったりと。
間の悪いことがおおかったなぁと反省。

目の前にお会いしたら感じられるであろう空気感、相手の感情、、
視線やコトバの間の開け方、体の向きや私との距離感、
背筋をピンと伸ばしているのかゆったりと構えているのか。
声のトーンや大きさなどなど「いわずもがな」も含めて

非言語要素をオンラインの画面越しで
見つけ取るって難しいですよね。


ダイアローグとモノローグとお礼。


先日、やっと、お会いできた先生の勉強会で教えてもらった事。
「ダイアローグはモノローグの連続で起こるのだよ。」
自分のモノローグを通して
相手のモノローグが生まれて
それを受けて自分のモノローグが再生する。その連続がダイアローグになると。
そんなふうにダイアローグを大切にできる方々と時間を過ごしたいですね。

今年ご縁をいただいた方々、ありがとうございます。
今年も仲良くしていただいた方々、本当にありがとうございます!
オンラインの画面越しだけでも、もちろんリアルに実際お会いできた方々も。
みなさんとダイアローグできるといいなと思っています。
来年もよろしくお願いいたします!

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