弱いから強いからで片づけられない

世の中で言われいる弱い立場の人を助けるサービス
色々ありますよね。

そこには『自分で解決できない』何かの理由がある。と思っていて
『できるのにやらない人』と『やりたいのにできない人』とでは
全くもって捉え方も変わってきますよね。


例えば、
前者の『できるのにやらない人』は、その状況から逃げてしまい、、、、
自分で解決でいなかったことで同じ事が起きた時に、また辛い思いをする可能性があるという話もありますね。
でも本人がそれに気づかない限り、変わる未来はこないのも必然ですね。
ここも色々なパターンがあるので、一概には言えません。
そして、後者の『やりたいのにできない人』に関しては、見た目は普通で元気そうに見えていても、心に抱えているものは、決して理解できないことがたくさんあります。それを表面だけみて「逃げ」だという人も中にはいるでしょう。または、「弱い人間だ」と言う人もいるでしょう。
かつて私がそう思っていたことがありました。その価値観を壊してくれたのが、20代の時に付き合っていた彼氏でした。その彼は、うつ病と診断され約2年間も向き合った経験があります。それは、一言では説明できないことが、色々ありました。今思い出しても浅はかだなと思うことは、心の病気をするのは、なぜか弱い人間だから?という価値観を持っていたこと。それは、自分の知らない世界だったことや、親の価値観から植え付けられていた事実。あの時は、当時の彼氏に「経験した人しかわからない」「~こういう言葉はつかってほしくない」などと言われことを今でも覚えています。専門書も渡されました。そうなんです。経験したことがないことや、その人の立場になって考えることができない、知らないと簡単に一方の見方しか言えないんですよね。
見ている人や、聴いている人で共感している仲間であれば、気にする必要はないかもしれません。でも、SNSや発信者として発言するときには、やっぱり繊細な問題として、簡単に自分の見解だけで物事を言ってしまうと、、「あっ!この人は、一方の方向しか見れないんだ」と言うことになると思いますが、どうでしょうか。あなたの周りにはいませんか?

実際、私の親がそういう考え方だったこともあり、ずいぶんを私は、親ともよくよく話をしたことを覚えています。

だからこそ言葉を真剣に選びたい。共感してくれなくてもいいとか、嫌われる勇気が必要という話もありますが、伝え方も大切であると思うのです。あなたにとって世の中にある弱い立場の人を助けるサービスについて、どんなふうに捉えていますか?

私は、こう思うんです。
ときには、自分を守るために「逃げる」ことは必要であって、でも人としてお世話になっている方には、タイミングを作って挨拶があってもいいのかなと思うところ。でも誰もがそんな状況だとは限りません。後日方法を考えて感謝を伝えることもできる。人としての在り方を考えると、正論では確かに大切にしたいことはあるけれど、命あっての人生。だからこそ、辛くなる前に、自分を見つめ直す=労う、大切にすることがどれだけ必要なのかも、益々考えさせられる時代になりましたね。

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