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親の自立・子どもの自立

いつもならバスで中学校へ通う三男も一緒に車に乗り、車の中で多くは話しませんでしたが、なんだか優しい時間を過ごしました。

学校近くのバス停に車を停めて、

息子「行ってらっしゃい!」

私「行ってくるね!」と、手を振り、

いつもなら見送る私が今日は見送られました。

きょうだいの真ん中という立場やハンディのある兄を持ったことで、

実年齢よりも少し大人になるのが早かった三男。

だけど、小さい頃は、だからなのか人一倍泣くことも多くて、

次男の療育や検査の関係でこども園に通い始めた頃は、

いつまでも泣いて、泣いて、泣いて、

先生から

「普通、親の姿が見えなくなると泣き止むことが多いんだけど・・・」と聞く中で、それでもずっと泣いて、先生におんぶを1日中してもらっていた話を聞いた時に、

「こうしてまでこの子を預けないといけないのだろうか・・・」と悩んだことがありました。

だけど、現実として次男の療育に

”きょうだいを連れて行くことはできない”

”大学病院の小児科に一緒に連れて行くこともできない”というルールがある中で、

こども園にお願いするという選択肢、他見つからず、

毎日息子が泣くたびに私も後ろ髪引かれながら、車に戻ると涙で滲むことがよくありました。

今、思うとこの時期が一番辛かったんじゃないかと思うほど苦しかった思い出があります。

そんな私を見たこども園の主任先生が

「もう、決めたんだからお母さん!この子は私たちに任せて行きなさい!」と、

笑顔で私を送り出してくれたことがありました。

この時にしばらく自分の気持ちと向き合って整えて、

「お迎えに行った時は、ありがとう!と抱きしめよう!」

そう決めてから、しばらくして三男の後追い、泣きも少しずつ落ち着いてきたよ!と先生が教えてくれました。

そして、数年してから分かったこと、

「親の自立があって、こどもの自立なんだな〜。」そう思いました。

我が子となれば、母親は自分の分身のような気持ちになり、

時に過干渉になりすぎて、傷つかないように転ばないように手を出しすぎてしまっているようなことを本人のためだと思い、しているかもしれない・・・と感じることがありました。

でも、本当は私自身が傷つきたくないだけ、転びたくないだけだったのかもしれません。

だから、そんな時は親子で一緒に転んでもいいじゃん!!

親だけが先に行ったり、
子どもだけが転ばないように、

『転んじゃったね!痛かったね!』って

一緒に色々な場面を経験しながら、
泣いたり、笑ったりすればいい。

そして、次から転ばないようにどうする?って話し合ったりしながら、

そう繰り返していくうちに、

きっと自分たちに合うベストの方法が見つかっていくはず!って思うようになりました。

私が見えなくなるまで手を振ってくれる三男を背に

いつの間にこんなに大きくなったのだろうと感慨深い想いを感じながら、

空港へ向かう高速に乗りました。


masami

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