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なぜ未来プロジェクトを立ち上げたのか。未来プロジェクトを通して成し遂げたいこと、少しだけ変わってほしいこと。

未来プロジェクトを立ち上げた理由。それは、なぜこうも苦しくも、自らが望んでいない、悲しい現実、選択をしていってしまうことが多いのか。

自らのことも含めて、それを思うのです。それを少しでも減らしたい。なんで悶々とし続けて、苦しい、悲しい、どうしていいか分からない。そういう現実を嘆き続けなければならないんでしょうか。

それに対して、打破しようとアクションをできる人もいる。できない人もいる。それは何が違うのか。きっと分からないんだと思います。または、本当は、もしかしたら、その変わることを望んでいないのかもしれません。

そうであれば、変わらなくてもいいとも思います。でも、本当に変えたいのに、あらゆる力を尽くしても、どうにもできない人が変えられないのは、それはどうなんでしょうか。それって許せないことではないでしょうか。

そうした現実を少しでも変えたいし、寄り添えるような人にもなりたいし、その仕組みを作りたい。そう考えて、未来プロジェクトはスタートしました。

あらゆる領域において、もしかしたらそうしたことが起きているのでは、と思います。偉い人はすごいし、その地位を得るまでに大変な努力、もしくは、運もあったかと思います。ただ、それをどうこう言うつもりもありません。

ただ、未来プロジェクトにおいては、できればそうした方々にもお力を貸していただきながら、解決されていないだろう社会課題だったり、全力を尽くしていて、それでも報われていない人たちに陽の光が注いで欲しい。光が当たって欲しい。

結果として、報われて欲しい。そういったチャレンジが、応援したい方、応援をどうしても集めたい方々同士で作り上げていけないか、というのがありました。

それぞれの未来プロジェクトの経営メンバーも、それぞれの領域でプロフェッショナルであり、ただもっともっと報われて良い方なんじゃないか、というのが個人的に思うところです。仲間と共にチャレンジし、掛け合わせ、一人ではできなかったことに取り組んでいく。

やはりどうしていいか分からない人は多いです。私も分かりません。ただ、これってどうなんだろう、これっておかしくないかな、と感じることがあると思います。それって、本当に放っておいていいんでしょうか。なんか嫌じゃないですか。怖くないですか。そうしたモヤモヤを放っておきたくない、というのがありました。

私も子供が産まれ、悲しい事件がある度にさまざまなことを感じ、考えます。また両親のことも思い出します。どれだけのことをしてきてもらって、なんとか今があるのか、と。それに対してちゃんと報いることができているのか。そこにはまだまだ後悔があります。

そこに対して、自らもちゃんとした恩返しをしていきたいし、近い思いを持っている人たちもいるんじゃないかな、と。少しでも後悔が減り、悔いのない人生を送ることで、悲しい事件が減っていくんじゃないか。ただただ何もしないでいいのだろうか。できることからやっていきたい。そう思い、日々、私自体は活動しています。

一方で、あくまで私がこう考えるのが、未来プロジェクトの始めた背景ですが、それぞれが考え、形を変えていってよいのかなと思っています。ただ、一点、皆さんの人生が、少しでも悔いのないものになり、またそれが不条理と不合理を減らすことに繋がったらいいなと願っています。