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日々雑感【流れを見る】

私が利用している私鉄のドアの上の液晶テレビ。
宣伝やらニュースやらが絶えず流れています。
あるとき、(アイス)ホッケーの写真に「NY対決、アイランダースが制す」との見出しが出ていました。
まぁ、写真があるので、大抵の人はホッケーの試合結果だろうということは分かりますが、「だから何?」ですよね。
「NY対決」と言われてもねぇ。
何のことやら。
参考に書いておくと、NY(ニューヨーク)にはホッケーのチームが二つあって、その両チームが対戦し、アイランダースというほうが勝ったというニュースなのです。
その鉄道の利用客の、否、日本人のほとんどが興味のないホッケーの試合結果を、しかも、唐突に報じることにどれだけの意味があるのでしょう。
その日はよっぽど他にニュースがなかったのでしょうね。

それにしても、何故、ホッケー?と思ってしまいます。
他のスポーツもそうですが、気まぐれに報じられてもその報道がどういう意味を持つのか、分かる人は少ないと思うのです。
そもそも「意味」など持たせるつもりもないのかもしれませんが。
もし、日々の試合結果とその時々の順位でも報じていれば、「あ、首位が入れ替わったな」といったことが分かるのに。

スポーツに限らず、そして、ニュースに限らず、「流れ」を捉えることが大切だと思います。
交通事故や火事などの報道にはそういうものは必要ないと思いますが、政治や経済といった出来事は「流れ」で見ると全体像が分かります。
それは報じる側だけでなく、読者や視聴者である私たちが意識すると良いことだと思います。

私がこういうことを意識するようになったのは大学受験を目指して予備校に通っていたときのことでした。
今はどうか知りませんが、あのころの歴史の勉強はひたすら「暗記」でした。
日本史なら、年号、歴代の徳川将軍や総理大臣の名前、などなど。
すべての年号が「コックサン」だったり「イイクニ」だったりというわけではありません。
単語カードの表に年号、裏に出来事を書いて、電車の中でひたすら暗記、暗記、暗記。

そんなときに受けた日本史の授業。
その先生は予備校で用意された穴埋めだらけの教科書は使わず、毎回、独自の資料を配って、それで授業を進めました。
予備校の教科書を使わない、本来の受験勉強の路線から外れた授業だったので、受験生の人気はなく、教室はいつも閑散としていました。
当初は100人収容の教室のほとんどの席が埋まっていましたが、みるみる受講生が減り、最後には10人くらいになっていたと思います。

どんな授業だったかというと、一つの事象を流れで見て考える、というものでした。
例えば、「日米関係」という事象をペリーの来航に始まり、第二次世界大戦や日米安保条約を経て、現代に至るまでを時系列で見る。
幕末なら、長州藩の動きに焦点を当てて時系列に見る。
解説をしながら、教室を歩き回り、突然、「それで、長州はその次に何をした?それは何故?」「はい、君」と当てられるのです。
年号と出来事しか覚えていないのですから「その次に」「何故」と言われても答えられるわけはありません。
それまでは、いわば、横軸で見ることにだけ終始していた私にとって、縦軸で、流れで物事を見るということはとても新鮮でした。
一つの出来事があり、それがどういう影響をもたらして、どのような理由でその次の動きにつながったのか。
細切れの「暗記」ではなく、流れを「理解」することで、覚えようとしなくても、自然に頭の中に入ってきました。

この先生のおかげで、それまで好きではなかった日本史が大好きになりました。
「予備校」や「浪人」というと暗い印象があるかもしれませんが、この授業のおかげで、私にとってあの1年間はとても楽しく、有意義な期間でした。

それ以来、事象を時系列で捉えるということが習慣化しています。

仕事でもそれが活きています。
ある業務をおこなうとき、それを個人の業務としてだけではなく、その業務に関わる全体の中で見る。
Aさんが何をして、次にそれを受けたBさんが何をして、という全体像を把握し、その中でそれぞれがどういうやり方をすれば全体にとって最も良い流れができるのか。
さらに、それを図式化するとより分かりやすくなります。

ニュースに話を戻すと、例えば、パレスチナ問題。
日々報じられる、イスラエル、パレスチナ、レバノン、シリア、エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ地区、アラファト議長、PLO、PFLP、などなどの言葉。
それぞれがどういう関係になっているのか、「そもそもパレスチナはどこにある国?」を知ろうと、図書館に行き、新聞の縮刷版でパレスチナ問題に関する記事を遡ってみたことがあります。
(あ、そのころはまだインターネットがなかったので、図書館に行くしかなかったんです)
しかし、遡っても遡ってもその発端が分からない。
分からないはずです。
旧約聖書にまで遡るのですから。

ある程度の理解をした上で、日々、新聞やテレビのニュースでパレスチナ問題に注目していると、流れが見えてきて、理解が深まります。

ウクライナ問題。
単に「ロシアがどこどこを攻撃した」とか「ウクライナがロシア軍を押し戻した」とかいったことを見ていても……、まあ、それが好きなら、それでもいいけど、私としては物足りません。
そもそも、何故ロシアは、プーチンは、ウクライナに侵攻したのか。
単に頭がおかしいだけなのか、そうではないのか。
何があの人をあんなに駆り立てているのか。

海に囲まれ、アメリカに守られて平和に暮らしている私たち日本人には考えもつかない危機感があるのではないでしょうか。
もちろん、そこにどんな理由があろうともロシアがやっていることを正当化することはできません。
ただ、世界には私たちとは違う考えや背景がある、というよりも、「日本」という殻の中だけで物事を見ていてはいけないと思うのです。
特にこれから世界を相手に生きてゆかなくてはならない若い方々は。

「流れ」を見るということで、もう一つ書いておきたいことがあります。

香港問題です。

これも何か「事件」が起こらないと報じられることが少なく、その本質を理解することが難しい問題です。
しかも、報じられる「事件」はデモ隊と警官隊の衝突といった見た目に派手な出来事ばかりです。
いったい香港では何が起こっているのでしょう。

私がその全体像を把握、理解しているわけではありませんが、ある程度の理解をするためにはアヘン戦争にまで遡る必要があると思います。
1840年にイギリスが中国に侵攻したアヘン戦争です。
催涙弾が飛び交う映像を見ているだけではこの問題を理解することはできません。

「理解する必要があるの?」

あります。
理解しなくてはなりません。
この問題が私たち日本人にどういう影響があるのか、あるいは、今後あるかもしれないのか。
決して「対岸の火事」ではいけません。

アヘン戦争、中華人民共和国、中華民国(台湾のこと)、香港返還、1997年、天安門事件、蘋果日報、などなど。
こういった言葉をつなぎ合わせてゆくと、この問題がだんだん分かってくると思います。

今、私は何の問題もなくこの文章を書き、SNSに投稿しています。
しかし、ここまでの文章の中には見る人が見たら猛烈に抗議をしてくる言葉が含まれています。
国が国なら、その言葉があるために、逮捕はされないまでも、SNSへの掲載は許されないでしょう。

書きたいことが書けない。
言いたいことが言えない。
もし、日本がそういう国になってしまったらどうですか?
耐え難いことです。
今さら時代に逆行するそんなことになるわけがない?
いいえ、香港ではそれが現実に起こっているのです。

私自身も含めて、より多くの人が世界に目を向けて、物事の本質を捉えるようになりたいし、なって欲しい。
切に願っています。

電車の中の「NY対決」から飛躍しすぎましたかね。