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運命の人を探さない、すると見つかる不思議。

何があろうとも引き合う 運命のパートナー


 それがディバインライフパートナー。ディバインとは「神聖な」の意味で、神が定めた伴侶のこと。その人に出会うと、結婚していようが歳の差があろうが、どんな障害があろうとも一緒になると言われています。だからこそ忍耐や寛容といった美徳が養われる相手で、逆にすんなりとは結ばれず、波乱がある可能性もあるそう…すごいですね。
 以前は私も、そんなディバインな人との出会いを期待していました。
 一人っ子で、3歳のときに母が家を出てから小学校へ上がるまで、児童養護施設や親戚へ預けられていた私にとって温かい家庭は憧れでした。ですが、家庭を持つ怖れも人一倍ありました。預けられた先々で言葉や暴力の虐待を受け続けて心に影を広げ、自分の子供にも同じ行為をするのではないかと心底不安だったからです。そんな私の希望が運命の人でした。もしも、好きになったその人を心から信じられたら、私にも家族ができるかもしれない。そんな人がたった一人いてくれるだけで、人生ははるかに違うと…我ながら激重いですよ。逆の立場なら逃げたくなります。だって相手への期待感がハンパない。はっきり言って、好きな人に無言のプレッシャーをかけているようなものです。でも、過去の私は心の痛みが激しすぎて、暗闇から引き上げてくれる人との出会いに救いを求めていたのです。


自分を癒すのも幸せにするのも すべて自分の責任


 「運命の人が現れたら幸せになれる」という自分が仕掛けたトラップに長い間ハマっていたせいで、かなりな勢いで婚期を逃してしまいました。与えられる愛は、そもそも理不尽なもの。親だろうが旦那だろうが、相手も人間なので、いつ気が変わるかわかりませんし、愛情の分量が一定とは限りません。仮にディバインとやらが現れても、人間だもん。変わること前提の相手に人生かけても、幸せになれるはずがないのです。そして、いかに傷を与えられた相手が非情でも、受けた傷を癒やすのは自分の仕事です…悲しいかなですね。だけど、人はもろく傷つくことで見えてくる世界もあるとわかれば、その経験は必ず、より深い幸せにつながります。


ぴったりのパートナーは 美しく明るい面を引き出す人


 人を本当に好きになると、自分の良さを改めて見つけられることがあります。例えば、好きな人へプレゼントするとき、相手の喜ぶ顔を思うとうれしくなりませんか?私もそうです。せっかちなので絶対に並んでまで何かを買ったりしませんが、好きな人のためなら時間がかかっても平気でした。待っている間も喜んでくれる顔を想像してウキウキできる、そんな健気さが自分にあると気づかせてくれたこと。本当はそれだけで良かった。たとえ想いが報われなくても、私は彼を思い浮かべながら何時間も待ってお菓子を買った自分に出会えました。今でも私は、あのときの自分が心から愛しいです。
 どんな人にも、美しく明るい面と汚れた暗い面があります。どちらの面を強く感じるかは、受け取るあなたの心の状態次第。もしも運命の人がいるならば、望むものを与えてくれる人ではなくて、あなたの一番すばらしく美しい面を見せてくれる人。その人は、私が心をオープンにして人生を楽しみ始めたときに現れるのだと、52歳独女はイタくとも信じています。

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