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思い出のかたち

通い始めたパート先に行く途中、大きな通りを左に曲がり、河川敷に入った。
毎朝、同じ場所で同じ人とすれ違いながら、川面に目をやる。
小さな川だけれど、せせらぎが朝の光を集めて照り返し、土手には水仙が咲いている。
風が強くて、散り始めた梅の花びらがゆったり川の流れにさらわれている。
あぁ、水仙の匂いがする。梅の匂いも混ざっている。
知っている春の匂いを吸い込むたび、わたしは立ち止まりたくなってしまう。

最近、生物学者の福岡伸一さんの本がおもしろくて、読み始めている。
彼は、
「懐かしさの正体はモノやコト自体にあるというよりも、そのときの自分が懐かしいのだ」
と書いている。
今のわたしの気持ちを、わたしはいつまでも覚えていられるのだろうか。
いや、とわたしは思う。
寄せてはかえす波が尖ったガラスを丸く削るように、おおかたの感情は形を変えてしまう。
あとに残るのは、そのとき確かに目にした風景や感じた匂いだけなのかもしれない。
そこに感情はなくとも、それらはあたかも真実のような、大事なことのような顔をしていつまでも心に居座っている。
いつか思い出すのだろうか。
いつか懐かしく思うのだろうか。
もしそんなことがあるとしたら、それはもう今のわたしがわたしの中からいなくなってしまったときなんだろうと思う。

#エッセイ #思い出 #懐かしい
#自分にとって大切なこと

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