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お手本は予習済み─映画みたいなプロポーズ

2009年と2010年のUSJクリスマス特設サイトに寄せた連作短編小説「クリスマスの贈りもの」。「クリスマスのUSJを舞台にしたお話を」と注文を受け、一気に書いた10本のうち「サンタさんにお願い」「男子部の秘密」「てのひらの雪だるま」「パパの宝もの」の4本が掲載され、2年目に「壊れたビデオカメラ」を加えた5本が掲載された。

残る5本「地上75センチの世界」「とっておきのお薬」「映画みたいなプロポーズ」「ジグザグ未来予想線」「ぺったんこの靴下」をメールの受信箱から解き放ち、公開する。

クリスマスに向けてclubhouseで読んでくださる方がいたら、耳で校正させてください。


今井雅子作 クリスマスの贈りもの「映画みたいなプロポーズ」

腕をからめた恋人たちが何組も通り過ぎていく。クリスマスのUSJは幸せそうな男女であふれている。隣の男とコートの袖が触れ合わないほどの距離を保ちながら、聖美は思った。

私と彼はどういう関係に見えるやろ。

おなかの中には、彼の子がいる。妊娠カレンダーでは5か月になるが、おなかに入ったのは3か月前の9月、まだ半袖を着ていた頃だ。

デートらしいデートなどしたことがないうちに、事実が先にできてしまった。仕事関係の飲み会で隣の席になって、帰る方向が同じでタクシーに相乗りして、先に降りた聖美が、お茶でもと誘って部屋に上げた。

好みのタイプだったわけじゃない。標準体重を大いにオーバーした体型は、年齢よりも彼を老けて見せた。聖美と同い年ぐらいだと思っていたら、30になったばかりと後で知って驚いた。8つも年下だったとは。

飲み会で話が弾んだわけでもない。口数の少ない彼は置き物のように隣にいただけで、同じタクシーに乗り込むまで何かを話した記憶はない。

だが、酔って帰宅し、独り暮らしの部屋の明かりをつける瞬間が、聖美は苦手だった。この世に自分ほど淋しい女はいない。そんな心細さが募り、誰かの声を聞きたくなってしまう。その孤独に耐えるぐらいなら、呼吸をする何者かを連れて帰りたかった。

彼は本当にお茶だけ飲んで、ほとんど口をきかずに帰って行ったが、数少ない会話から明らかになったのは、二人の共通の趣味がハリウッド映画の鑑賞だということだった。

タクシー代のお礼にと彼を封切り映画に誘ったのは、やはり観終えた後に感想を言い合える相手がいない淋しさを埋める相手が欲しかったからだった。映画の後に食事に誘い、帰りに部屋に立ち寄るよう誘ったのも、「一人よりはマシ」という失礼な理由からだった。明らかにモテに縁がなさそうな彼への傲慢さがあったのは否めない。

深い仲になる気など毛頭なかったが、お茶ではなくお酒を飲んだのがいけなかったのか、彼は聖美の部屋で夜を明かすことになった。ベッドに誘ったのも、やはり聖美だったか。酔っていた聖美には、彼が別な何かに見えていたのかもしれない。

たしかなことは、その結果、信じられない確率で、ひとつの命が宿ったということだ。

どうしよう、と恥を忍んで女友達に打ち明けた聖美は、「よかったやん」「おめでとう」という無責任なまでに好意的な反応に拍子抜けした。

「この年で、今から恋愛して、結婚して、子ども持とうと思ったら、確実に40代やで。ぐずぐずしてる暇はないんやから」

行き遅れ仲間の言葉には説得力があった。サイアクの状況ではないのかと下手な希望さえ湧いてしまった。

聖美がこの年まで結婚できなかったのは、ハリウッド映画が影響しているかもしれない。美しすぎるハッピーエンドを見せられ過ぎたせいで、ありふれた結婚に満足できなくなってしまい、相手に求めるハードルを上げてしまっていた。ハリウッド女優から遠くかけ離れた自分の容姿を棚に上げて。

タイムマシンがあれば、もったいないプロポーズを断った20代の自分に、現実を見ろと叱りつけてやりたい。 

あの頃は、もっといい人が現れるはずと夢みたいなことを思っていた。出会いの数と質は年齢に反比例することを誰も教えてくれなかった。挙げ句の果てが、見た目は好みとはほど遠く、共通の趣味がハリウッド映画だけという贅肉の塊と、できちゃった結婚だ。これではB級コメディーではないか。

聖美のおなかに赤ちゃんが入ったことを知らせたとき、彼は悪あがきするようなみっともない真似はしなかったが、「すみません」と謝る以上の言葉は彼の口からは聞けなかった。しびれを切らした聖美が「結婚しようとか言われへんわけ?」と脅すようにプロポーズする羽目になると、「わかりました」とうなずいただけだった。

口数は少なく、余計なことはしゃべらない代わりに、大事なことも言ってくれない。重量感があるくせに、暖簾のような男だ。結婚することには驚くほどあっさりと同意したものの、彼は友人や家族に聖美を紹介する様子もなく、食事にも誘ってこない。声をかけるのはいつも聖美のほうだ。

「別に結婚せんかてええやん。貯金あるんやし、一人で育てられるやろ」

女友達に相談したら、そんな答えが返ってきて、結婚を迫ったのは早まったかと後悔したが、そもそも聖美には結婚する覚悟以前に産む覚悟ができていなかった。

「今やったら、まだ間に合う。産まない選択肢かてある」

だが、それを決意するのは怖く、彼と話す時間も作れないうちにあわただしくカレンダーは過ぎていき、クリスマスが近づいてきた。

クリスマスカラーに彩られた大通りを一人でウィンドウショッピングしながら、聖美は不思議なことに気づいた。世の中には、こんなにも子ども服やおもちゃのお店がある。それらは、前からそこにあったけれど、聖美の目には映っていなかった。けれど、ある日突然風景が生まれ変わったように、聖美の目に映る世界が変わったのだ。

「あたし、この子の母親になろうとしてる」

聖美は、はっきりと自覚した。

「この子を産も。そんで一人で育てよ」

その決意を告げようとしたとき、初めて彼から電話があり、「USJに行きませんか」と短い言葉でデートの誘いを伝えてきた。

彼の心にも何か変化があったのだろうかと聖美は期待した。もしかしたら、クリスマスのためにとっておきの演出を用意しているのかもしれない。ディナーか、花束か、指輪か。洒落た映画のように、台詞の代わりに気のきいた小道具で想いを伝えようとしているのかもしれない。

彼の出方によっては、結婚する選択を再浮上させてもいい。父親は、いないよりはいたほうがいいだろうし。

聖美はふくらみが目立ち始めたおなかをパーティドレスに包んで、出かけた。産婦人科の医師からは「体を冷やさないように」と厳重に注意されていたので、厚手のレギンスを重ね履きした。ハイヒールは禁止と言われていたが、少しだけヒールのあるブーツを選んだ。

だが、待ち合わせ場所のUSJ正面ゲートに現れた彼は、いつもの垢抜けない量産店スタイルだった。ふくらみきった体に合うサイズは、量産店でしか見つからないのかもしれない。この先に聖美の期待するようなドラマティックな出来事など、待ち受けているはずがなかった。聖美は急用を思い出したふりをして引き返そうかと思ったが、好きな映画のアトラクションぐらいは楽しんでやろうと気を取り直した。

ところが、である。妊婦はことごとく「ご遠慮ください」と門前払いだ。イルミネーションの中を散策して、ショーを楽しむぐらいしかできることはない。同じ景色を眺めているだけで満ち足りる恋人同士なら、それもいいだろう。だが、何もしゃべらない、何を考えているのかわからない、だけど結婚する可能性を残したモヤモヤ男と過ごす時間は、並んで歩いているだけでは埋まらない。

大きなおなかが目に飛び込み、顔を見ると、7、8歳ぐらいの女の子を連れた母親が携帯電話をかけていた。

「パパ、今から来えへん? 真美と待ってるから」

ダンナさんとは今も新婚気分なんやろな。せやから、年の離れた二人目を産む気になるんやろな。幸せそうな顔してはるわ。

あんた、あっちのおなかやったら良かったなあとおなかの子に心の中で呼びかけて、自分の言葉に気分が滅入る。そんな聖美の気持ちなど、隣にいる巨漢男には理解できないだろう。まったく、無駄に大きなあの体に思いやりやデリカシーといった必要最小限のものが備わっていないのは欠陥だ。

「あの……写真を撮りませんか、フォトスタジオで」

唐突に彼から提案があった。こんなんどこで売ってるんと聞きたくなるような野暮ったい肩掛け鞄から彼が取り出したカードには、「記念写真引き換え券」と書かれていた。

「懸賞で当たったので、一緒に行こうと思いました」

その言葉が、聖美の失望をさらに大きくした。

なんや、アホらし。記念写真プレゼントにつられた男に、つきあわされただけやん。それなのに、ドレスなんか着てきてしまった自分が情けない。

「あたしが今日、どんな気持ちでここに来たかわかる?」

聖美に突然強い口調で詰め寄られ、彼は面食らった顔になった。

「9つも年上の40代目前の売れ残りにつかまって、しもたて思ってるかもしれないけど、こっちはな、十年前やったら、あんたみたいなダサダサ男、相手にしてへんわ」

違う、言いたいことはそんなことじゃない。なのに、言葉を重ねるほど、イヤな女になっていく。何事かと振り返った人たちは、絵にならないカップルの姿を見ると、興味なさそうに通り過ぎて行った。

こんなところで何やってるんやろ。聖美は泣きたくなる。あと半年で40才になる。子どもの頃はすっかりおばさんだと思っていた年齢だが、実際はまだまだ未熟で、戸惑うことのほうが多い。一人で育てていけるのか、やっぱり不安だ。だけど、目の前の彼と育てていく自分を想像できない。こんな自分の中に運悪く宿ってしまった命が出てくる予定日は、聖美の40才の誕生日と重なっていた。心の準備が追いつかなくても、この子は、待ってくれない。一日一日と着実に、確実に、大きくなっていく。それが怖いのだ。その恐怖が、聖美の言葉にアクセルをかけている。

「男はええわな。失うもんないし。あたしなんか、おなかが大きなったら、仕事かて休まなあかん。もしかしたら辞めろて言われるかもしれへん。再就職かて今はむっちゃ大変なんやから。子持ちやったら、なおさらやわ。なんで、あたしばっかりが損するん!」

彼が悪いわけじゃない。だけど、彼しか、ぶつける相手はいない。おもちゃをねだる子どもみたいに欲しいものを訴える素直さを持ち合わせてないから、回りくどいやり方で彼を責め立てることしかできない。彼は何も言わず、大きなサンドバッグになりきって、殴りつけるような聖美の言葉を受け止めていた。

投げつける言葉が出尽くし、聖美が息を整えたタイミングをつかまえて、「帰りましょうか」と彼はぽつりと言った。

「なんで? もったいないやん、写真」

聖美はまた噛みつく。写真を撮りたいわけではない。今はとにかく彼が言うことに、いちいちつっかからなければ気が済まない。

「わかりました。じゃあ、写真だけ」と申し訳なさそうに言う彼から、
「イヤやったら、ええわ。あたし一人で行く」と引き換え券を奪い、
「あ、一人とちゃうわ。おなかに、もう一人おるし」とイヤミを重ねながら、聖美はフォトスタジオへ向かう。

「一緒に行きましょう」と彼が追いかける。

「無理せんで、ええって」
「一緒に撮りたいんです!」

なんでこんなときだけきっぱりと言い切るん、とまたしても聖美はムカムカする。つわりなのか、彼にムカついているのか、その両方なのか、わからない。

言い合ううちにフォトスタジオの前まで来てしまい、引き換え券に気づいた係員に誘導されるまま、聖美と彼は並んでカメラの前に立った。

「奥様、ちょっと表情が硬いですよ。笑ってください」

ポーズをつけていた撮影スタッフが「奥様」と自然な感じで聖美を呼ぶ。

「3人とも笑って笑って」

聖美が「えっ」と驚くと、撮影スタッフは自分のおなかを手でさすった。コートを脱いだ聖美のおなかの膨らみに、気づいたらしい。

「うちにもチビがいるもんで」と撮影スタッフは父親の顔になり、「お子様は、きっといい顔なさっていますよ」とやわらかく微笑んだ。聖美のいい表情を引き出そうとしてくれているのが、わかる。

聖美は精一杯ぎこちない笑顔を作ったが、隣の彼は穏やかな笑顔をしていた。何を考えているのか、やっぱりわからない人だと聖美は思った。

フォトスタジオを後にし、無言の二人は出口を目指した。ゲートまでの距離が、聖美にはとてつもなく長く感じられた。ゲートに着けばまた決断を迫られることになる。そこで分かれて別々に駅へ向かおうか、それとも駅で解散か。それを言い出すんもあたしなんやろか、と聖美は12月の重い空を見上げた。

「赤ちゃんのこと、あなたから聞いた日に知ったんです。写真のプレゼントのこと」

ゲートの少し手前で彼が立ち止まり、口を開いた。

「あなたと一緒になったら、どうなるんだろうって、正直、想像できなかったんです。でも、USJのフォトスタジオであなたと記念写真を撮るという光景は、目に浮かびました」

彼はそう言って、「行き慣れた場所ですから」とつけ足した。

ハリウッド映画好きの聖美と彼には、USJの年間パスポートを持っているという共通点もあった。

「来年は赤ちゃんを抱いて……もう一年経ったら子どもは歩いていて……」

つっかえつっかえ言葉を選びながら、彼は言葉が足りない部分を補おうとするかのように手を大きく動かし、一生懸命語りかける。

「何年かしたら、きょうだいがふえているかもしれない。子どもたちはあっという間に僕の背を追い越して、そのうちに孫がふえて……」

「何、気の長い話をしてるん?」と聖美が呆れると、「すみません」と彼は大きな体をすぼめて謝った。

「別に謝ることちゃうけど、なんか、ハリウッド映画の幸せな家族みたいやん」

自分の声に涙がまじっているのに聖美は気づき、「え……ウソ……なんで?」とうろたえ、うろたえるとますます涙がこみあげた。自分が望んでいたのは、彼から聞きたかったのは、今のような言葉だったのだ。一人なら心細いけれど、ふたりなら大丈夫。そのことを信じたかっただけなのだ。

「すみません……どうしよう……ティッシュでよかったら……」

巨体を揺らして彼がうろたえる滑稽な姿が、余計に聖美の涙を誘った。

映画のように誰もがうらやむ華やかな相手と結ばれる夢は叶わなくても、穏やかだけど確かな幸せを積み重ねる家族には、なれるかもしれない。いくつもの家族のカタチを映画で観てきた彼も聖美も、予習は、しっかりできている。できちゃった結婚で親に挨拶に行くときの洒落た切り抜け方だって、何パターンも知っている。年の差カップル、しかも年上女房のお手本になるような映画だって、あったはずだ。

「なあ、写真、撮り直そっか」

涙をごまかすように、聖美は明るく言った。

「ファミリーヒストリーの記念すべき最初の一枚なんやから、もう少しマシな顔せんと」

戸惑う彼の手を取り、聖美は、さっきまでとは別人みたいな軽やかな足取りでフォトスタジオへ引き返した。ロマンティックコメディはハッピーエンドでなくっちゃ。

clubhouse朗読をリプレイで

2022.12.17 鈴蘭さん

2022.12.24 こたろんさん×鈴蘭さん

2023.12.21 こもにゃんさん

2023.12.21 こたろんさん×鈴蘭さん×YUMIKOさんのピアノ


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。