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人は見たいものしか見ない─言語学者が見た膝枕

このnoteで公開している作品は、2021年5月31日から朗読と二次創作のリレー(通称「膝枕リレー」)が続いている短編小説「膝枕」の派生作品です。

派生作品のまとめは、こちらのマガジンに。

オリジナルの短編小説は、公開ほやほやの徳田祐介さんの朗読動画をぜひ。朗読に合わせて字幕が入っています。

膝枕リレーknee(2)周年記念、蔵出し第9作として公開。clubhouseでの朗読は開放していますのでご自由knee。穴埋めの部分をどう読み上げるかは、読み手さんのお好きなようkneeどうぞ。

今井雅子作「膝枕」外伝「言語学者が見た膝枕」

休日の朝。独り身で恋人もなく、友人もいない学者の元に荷物が届いた。伝票に記された送り主は「HMカンパニー」となっている。正式名称は「膝枕カンパニー」なのだが、堂々と名乗ると差し障りがあるので、「HM」と表記している。品名も「枕」とぼかしている。頭を預けて使うのだから、偽りではない。

箱を開けると、女の腰から下が正座の姿勢で納められていた。学者がカタログを隅から隅まで眺め、熟慮に熟慮を重ねて選んだ「箱入り娘膝枕」である。カタログで見た写真より色白で、生身の膝そっくりに作られている。

学者はゴクリと生唾を飲み込むと、

「これは研究資料である」

と言った。他に誰もいない一人暮らしの部屋で、あえて高らかに。

学者の専門は言語学である。大学の研究室の片隅に籍を置き、世界中のありとあらゆる言語の成り立ちを研究し、論文をまとめ、時には学会で発表している。また、毎年開かれる言語学オリンピックで上位に食い込むことを生きがいにしている。

言語学についての出版物は、たいてい分厚く重い。一冊一冊が書物というより鈍器である。それが何百冊とある。重みに耐えかねて安アパートの床がたわみ、盆地のように中心がくぼんでいる。

そのくぼみの部分に、学者は箱から取り出した「箱入り娘」をそっと置いた。白いふたつの膝頭が眩しい。日当たりの悪い部屋に、そこだけ光が射しているようだ。

この膝に早く身を委ねたいという衝動を学者はグッと押しとどめ、

「これは研究資料である」

ともう一度言った。よこしまなことなど考えていない。あくまで資料として箱入り娘膝枕と向き合っているのだと宣言する。

すると、箱入り娘膝枕の膝が小さく上下に動いた。首をこくりと動かし、うなずく仕草によく似ている。

「うなずいているのかい?」と学者が聞くと、もう一度、箱入り娘膝枕は膝を上下させた。

「よく来てくれたね。自分の家だと思ってリラックスしてよ」

学者が言うと、やはり箱入り娘膝枕は膝を上下させた。

間違いない。膝のうなずきは、首のうなずきと同じである。

学者はパソコンのファイルを開き、「膝語」とファイル名をつけると、収集した一語目を早速記入した。

「はい(肯定)」の項目を立て、「膝をうなずくように上下させる。首のうなずきと同じ用法」と説明を書き入れた。

学者は箱入り娘膝枕との対話を重ね、膝語の単語を収集していった。

「この」「その」「あの」はすべて、左膝を指差すように突き出す。
「箱」は小さくジャンプする。
過去形は両膝をにじらせ、前に出る。
未来形は両膝をにじらせ、後ずさる。
両膝をななめに向けると疑問文になる。

空間を使う言語であるところは、手話に似ている。膝を動かすスピードなど、表情の違いで意味合いが変わるところも共通している。例えば、両膝をこすり合わせる動きは「〜してください」という依頼を表すが、こすり合わせる強さによって、依頼の程度が変わる。軽くこすり合わせるときは「〜してね」ぐらいのニュアンスだが、強くギュッっとこすり合わせるときは「〜してくれなきゃイヤ」という強い意志が込められる。

どっちもたまらないな。

学者はそう思い、すぐさま打ち消すように「これは研究資料である!」と口にする。研究対象をよこしまな目で見てしまった後ろめたさのせいで、声が大きくなる。

すると、「そうですよセンセイ」と言うように、箱入り娘が膝を上下させる。

そうだよねと学者は対話を続ける。

手話では指文字を使って五十音やアルファベットを表すが、膝語でも両膝の動きを組み合わせて文字を表すようだ。左膝が子音、右膝が母音を表し、その組み合わせで文字を指定する。ハングルの一部の文字も左が子音、右が母音となっているが、それと同様のルールだ。漢字の編とつくりの関係にも似ている。

左膝を動かさず、右膝だけを動かす場合は、子音がなく、母音のみ。つまり、「あ行」だと分かった。箱入り娘に「はい」と「いいえ」を表してもらったところ、「い」と「え」のときは左膝がじっとしていたのだ。「は」の子音である「h」は左膝を軽く上げる。このとき、右膝は小さく円を描く。これが母音の「a」である。同様に、「i」と「e」も解読ができ、「あいうえお」が揃った。

「あ」は円を描く
「い」は軽く内側に倒す。
「う」は軽く持ち上げて落とす。
「え」は軽く外側に倒す。
「お」は軽く前に突き出す。

「あ」と「い」を繋げると、「あい(愛)」になる。

学者は箱入り娘に向かって膝文字で「あい(愛)」を伝えてみた。箱入り娘は膝を上下させ、学者の愛に応えた。

もっと箱入り娘と話したい。通じ合いたい。学者は寝る間を惜しんで膝語の収集に励んだ。

「は」と母音がわかったので、「箱入り娘」を膝語でどう表すのか、知りたくなった。「はこいりむすめ」のひらがな7文字のうち、「は」と「い」がわかっている。あとは、「こ」「り」「む」「す」「め」の子音が分かれば良い。アルファベットで表すと、「k」「r」「m」「s」「m」。「む」と「め」の子音は同じである。

「ha」「⬜︎o」「i」「⬜︎i」「⬜︎u」「⬜︎u」「⬜︎e」

「箱入り娘ってやって見せて」と言えば答えは出るのだが、それでは面白くない。言語と文化は密接に結びついている。言語だけを効率良く身につけようというのは傲慢だ。箱入り娘膝枕と生活を共にする中で、彼女の言語のルールを解読したい。
焦らず、一歩ずつ。

「k」「r」「m」「s」のうち、「k」と「s」は思いがけない形で解読できた。

学会の打ち上げで隣の席になったヒサコが箱入り娘膝枕を見たいと言い出し、学者の部屋まで押しかけてきた夜のことだった。

箱入り娘膝枕はヒサコの前では押し黙っていたが、ヒサコが帰ると、膝文字3文字で何かを訴えた。ひと文字目は「h」と「i」で「ひ」だった。ふた文字目の母音は「a」で、3文字目の母音は「o」だった。

「hi」「⬜︎a」「⬜︎o」

「ひさこ?」と学者が確かめると、箱入り娘膝枕は膝を上下させた。

図らずも子音の「s」と「k」を収集でき、学者はパソコンの「膝語」ファイルを更新した。残る2つの子音「r」と「m」がわかれば、膝語で「はこいりむすめ」を表すことができる。

学者はコピー用紙に

「ha」「ko」「i」「⬜︎i」「⬜︎u」「su」「⬜︎e」

と書き、トイレの壁に貼った。

電話が鳴ると、箱入り娘膝枕が「ヒサコ?」と膝で聞いてくる。

「ヤキモチを焼いてくれているのかい?」と学者が聞くと、膝を上下させてうなずく。

なんて、いじらしい。

思わずにやけた口元を引き締め、「これは研究資料である!」と学者は何度目かの宣言をする。

ヒサコがたびたび学者の部屋を訪ねて来るようになった。学者はヒサコに膝枕をせがむが、その先には進まなかった。

「あっちの膝のほうがいいの?」とヒサコは箱入り娘膝枕に目をやった。
「あれは研究資料だ」と学者は力強く言った。

ヒサコが訪ねて来るたび、洗面所に歯ブラシが溜まっていった。

ヒサコが帰ると、箱入り娘膝枕は学者に向かって何かを訴えた。膝を懸命に動かし、かなりの長文を一気に語る。内容は毎回同じで、定型文を暗記しているらしかった。

冒頭は「この/もの/はこ/入っている」で始まる。

「はこ/入っている」の後の単語は「娘」ではないかと学者はアタリをつけた。
「はこ/入っている/娘」つまり、「箱入り娘」。
膝文字での表現はまだ埋まっていない子音があるが、単語3つで「箱入り娘」を表す方法がわかった。

「この/もの/はこ/入っている/娘」は、「私は箱入り娘です」と言っているのだろう。

他に読み取れたのは「お願い」と「一生」と「大切」だ。何度も膝をこすり合わせ、「お願い」をしている。「私は箱入り娘なので、一生大切にしてね。お願い」と訴えているのだろう。

最後の文章の頭に「うなずき」が入っているのが気になった。肯定の返事の「はい」で使われるうなずきから文章が始まるのはどういうことだろう。この用法はまだ見たことがなかった。その文章の中ほどにも、もう一度「うなずき」が出てくる。

英語の「nail」が「爪」と「釘」を表すように、うなずきにもバリエーションがあるのかもしれないと学者は思い、「その『うなずき』はどういう意味なの?」と聞いてみた。

箱入り娘膝枕は、その単語の意味を膝文字4文字で言い換えた。

右膝が示す母音は「う」「う」「あ」「い」となっている。最後のふた文字の左膝はじっとしている。つまり、「あ」行である。頭のふた文字の子音は「ヒサコ」で覚えた「h」と「k」。

つなげると、「ふ」「く」「あ」「い」となる。

ふくあい。漢字を当てはめると、幸福の福と愛だろうか。

続く単語は「生まれる」と「たまたま」だ。

「ふく/あい/うまれる/たまたま」

幸福と愛が生まれた偶然。

これは、のろけているのだろうか。

恋愛経験が薄すぎる学者は、にやけて液体になりそうな顔の筋肉に力を入れ、「これは研究資料である!」と自分を戒めた。

洗面所の歯ブラシが13本目になった夜、「私とあっちの膝、どっちがいいの?」とヒサコが学者に迫った。

「もう少しで膝語が解読できそうなんだ」と学者は言い訳した。
「膝語なんて、ただのプログラミングじゃない?」とヒサコは言った。

言語を学ぶことは文化を学ぶことであると学者は思っていたが、膝枕にインストールされた膝の動きに規則性はあるが、そこに文化はあるのか? ただのパターンを解読することに、意味はあるのか?

そう思うと、学者はたちまち白け、これまで膝語の解読に費やした時間と情熱が無意味なものに思えてきた。

「明日になったら、メルカリに出そう」

最初で最後だと学者は箱入り娘の膝枕に頭を預けた。作りものとは思えないやわらかさ、生っぽさ。だが、ヒサコの膝にはかなわない。所詮、作りものは生身には勝てないのだ。

「ダメヨ ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」

夢かうつつか、箱入り娘の声が聞こえた気がした。

翌朝、目を覚ました学者は、異変に気づいた。頭がとてつもなく重い。横になったまま起き上がれない。それもそのはず、学者の頬は箱入り娘の膝枕に沈み込んだまま一体化していた。皮膚が溶けてくっついているらしく、どうやったって離れない。

慌てて取り出した保証書の隅に、肉眼で読めないほどの細かい字で注意書きが添えられていた。

「この商品は箱入り娘ですので、返品・交換は固くお断りいたします。責任を持って一生大切にお取り扱いください。誤った使い方をされた場合は、不具合が生じることがあります」

箱入り娘が繰り返していた文言はこれだったのかと学者はようやく腑に落ちた。

膝文字で「ふくあい」と表されたと思っていた単語は、正確には「ふぐあい(不具合)」だった。

「なんだ、濁点がついていたのか」

単語ひとつで表すと、膝を上下させる「うなずき」の仕草である。「うなずき」には「不具合」の意味があったのだ。

文章の冒頭に使われていた「うなずき」は、「間違った使い方」の「間違った」にあたる。

「うなずき」の謎が解けて、学者はスッキリした。となると、「うなずき」のそもそもの意味は、「肯定」ではないことになる。

肯定ではなく否定。
「YES」ではなく「NO」。

首のうなずきと同じ意味合いだと思っていたが、実際は逆で、首を振っていたのだ。

箱入り娘と交わした会話を学者は振り返る。

「これは研究資料である」
「いいえ」

「うなずいているのかい?」
「いいえ」

「よく来てくれたね。自分の家だと思ってリラックスしてよ」
「イヤ」

「あい(愛)」
「やめて!」

「ひさこ?」
「嫌い!」

「焼きもちを焼いてくれているのかい?」
「違う!」

単語一つの意味が変わっただけで、箱入り娘とのやりとりの意味がひっくり返った。

なんということだと学者は唸った。実に面白い。次の学会で発表しよう。

「膝語」ファイルを更新しようと体を起こしかけた学者は、そうだった、箱入り娘と一体化していたのだと思い出す。

「これは研究資料ではない」

学者がそう告げると、頭の下で箱入り娘は膝を左右に振った。

なるほど。これが膝語の「YES」か。

いよいよ起き上がれなくなった学者の頭は、ますます箱入り娘の膝枕に沈み込む。かつて味わったことのない、吸いつくようなフィット感が学者を包み込んでいた。

「膝語」の謎を解く

膝フェスの少し前、下書きに眠っていた「ひざしぐさ教室」という外伝を発掘した。膝の動きで感情を表す術を伝授するというもので、落語の「あくび指南」を下敷きにしているのだが、下書きを読み返して、言語学者の元に膝枕が届く話を思いついた。

元々わたしは言語に人一倍興味があった。インド人をお隣さんに育ち、中学校の必修クラブで手話と出会い、高校時代にアメリカに留学し、大学の卒論は日本語教育。

言語を解読するのは謎解きの面白さがある。去年の7月、第18回国際言語学オリンピック(2021年ラトヴィアにて開催)で出題されたキリヴィラ語を解読しながらツイートしたら、30を超えていた。

お暇な人は最後までどうぞ。

キリヴィラ語とはパプアニューギニアトロブリアンド諸島にて話されている大洋州諸語言語の一つである。トロブリアンド諸島の東南東に位置するウッドラーク島英語版)で話されているムユウ語英語版)やさらにその東のラフラン諸島(Lachlan)のブディブド語英語版)と近い関係にあるとされる。

wikipedia

そのとき思い出したのが、20代の頃、友人と行ったソウル弾丸旅行だった。貴重な一泊のうちの数時間を「日本語併記のルームサービスメニューを見て、ハングルを解読する」ことに費やした。

「トマト」の「ト」「マ」にあたる文字から、子音2つ(tとm)と母音2つ(oとm)を表す形を見つけ、それを手がかりに他の文字を解読していき、子音と母音のパズルの空白を埋めていった。

滞在時間24時間のその旅で、おいしいものも食べたし、買い物も楽しんだが、「トマト」から出発し、記号の羅列が意味のある言葉に変わっていった興奮が一番記憶に残っている。

幸せな勘違いについて

母国語の日本語でもやらかしているが、たった一音、一文字の違いで意味が変わってしまうことがある。

忘れられないのは留学中のホームステイ先でのこと。なんでバターつけないのとホストシスターに聞かれて、"Butter makes me fat."(バターは太るから)と答えたら、発音が悪くて"Butter makes me fart."(バター食べるとオナラが出るから)になってしまい、「Disgusting(最低!)」とドン引きされた。

これからパンケーキを食べようってときに。そら、引くわな。

今は中国語を学んでいるが、旅先でタクシーを貸切にする表現を学んだときに、「包(bāo)」が「抱(bào)」に聞こえてしまい、「一日貸切でおいくらですか?」が「一日抱きしめておいくらですか?」になってますよと先生に指摘され、大笑いとなった。

実際に使ってしまったら、大いに誤解を招きそうだ。

中国語には、日本語と同じ表記で意味が違う単語がいくつもある。有名なのは「手紙」。中国語だと「トイレットペーパー」という意味に。最近は衛生紙(=卫生纸)に押されて「手紙」はあまり使われないらしいが、「手紙をくださいね」が「トイレットペーパーください」になってしまうのも、その逆も、悲劇だし、喜劇でもある。「愛人」が中国語では「配偶者」を意味するのも、取り扱い要注意だ。

膝の動きで表す「膝語」にも人間の身振りと共通だけど意味の違うものがあるかもしれない……という想像から、「箱入り娘のメッセージを取り違えて舞い上がる言語学者」の話を膨らませた。言語が専門分野であるが故に「自分だからわかる」という自惚れがあり、それが間違いに気づくのを遅らせてしまう。地固めされた勘違いの上に、さらなる勘違いがトッピングされ、確固たる思い込みが築かれる。そこに恋愛が絡むと、ますます厄介だ。

「人は見たいものしか見ない」と言ったのは、Julius Caesar(ジュリアス・シーザーまたはユリウス・カエサル)らしい。シーザーといえば、「ブルータス、お前もか」の人だ。自分に都合のいいブルータスを見ていたのかもしれない。

clubhouse朗読をreplayで

2023.7.15 やまねたけしさん


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。