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子どもの目線で─地上75センチの世界

2009年と2010年のUSJクリスマス特設サイトに寄せた連作短編小説「クリスマスの贈りもの」。「クリスマスのUSJを舞台にしたお話を」と注文を受け、一気に書いた10本のうち「サンタさんにお願い」「男子部の秘密」「てのひらの雪だるま」「パパの宝もの」の4本が掲載され、2年目に「壊れたビデオカメラ」を加えた5本が掲載された。

残る5本「地上75センチの世界」「とっておきのお薬」「映画みたいなプロポーズ」「ジグザグ未来予想線」「ぺったんこの靴下」をメールの受信箱から解き放ち、公開する。

クリスマスに向けてclubhouseで読んでくださる方がいたら、耳で校正させてください。


今井雅子作 クリスマスの贈りもの「地上75センチの世界」

ふたりの思い出の場所、クリスマスのUSJに3年ぶりに帰ってきた。

一人ふえて、3人になって。

大学2年の夏休み、絵里と達也はお互い女友達、男友達と3人ずつのグループで遊びに来ていた。シャッターを押して欲しいと通りがかった達也に絵里が声をかけ、せっかくだから一緒に一枚撮りませんかとなり、その流れで残りの一日を6人で過ごすことになった。今度は写真交換会で集まろうと別れ際に代表で絵里と達也が連絡先を交換した。

一週間後、絵里と達也が幹事となって、同じメンバーで飲み会をしたが、テーマパークの解放感がないせいか、アトラクションやショーという間を持たせるものがないせいか、「こんなにつまんない人たちやったっけ」と首を傾げるほど、白けた会となった。

その男女6人が再び顔を合わせたのは、3年後、絵里と達也の結婚披露宴だった。

飲み会の後も連絡は取り合っていたが、電話止まりのまま季節はクリスマスになり、思いきって絵里が達也を誘った。

「今度はふたりきりでUSJ行かへん?」

それが、つきあうきっかけになった。 

アトラクションの列を待ちながら、話は尽きなかった。絵里は短大で服飾デザインを専攻していて、小さなアパレルメーカーに就職が決まっていた。服飾デザイナーは、お人形の洋服に興味を持った幼い頃からの夢だった。その夢をかなえようとしている絵里を、達也は心から応援してくれた。

働き始めて一年目のクリスマス、絵里は冬のボーナスで大学3年生の達也にコートを贈った。達也は片方の手をポケットに突っ込み、もう片方の手で絵里の肩を抱き、ふたりで肩を寄せ合ってUSJの光の中を歩いた。

その次のクリスマス、一年ぶりのUSJで、大学卒業を控えた達也のデパート就職を祝った。

「絵里が独立してブランドを持てて、うちのデパートに置いてもらえたら、ええなあ」

そんな風に互いの夢を寄り添わせ、笑い合った数か月後、絵里の妊娠がわかった。達也は入社早々上司に乾杯の音頭を頼み、絵里のおなかのふくらみが目立つ前にあわただしく結婚式を挙げた。

達也との結婚も、おなかの赤ちゃんも、おめでたいことなのに、絵里は喜びよりも戸惑いが勝(まさ)った。    

ようやく少しずつ仕事を任され、自分のデザインが採用される機会がふえていた。だが、ライバルはいくらでもいるし、感性も技術も現場で磨かれる。産休、育休を取って職場に戻ったとき、自分の居場所はあるのだろうかと思うと、焦りが募った。

良かったやん。子ども生んだら、ええ刺激もらって、デザインも変わってくるわなどと声をかけてくれた先輩女性デザイナーに限って、子どもがいなかった。

まだ働き始めて一年目。まだ21歳。せめて、あと2、3年遅かったら。

赤ちゃんは授かりものなのに、そんなことを考えてしまう自分が器の小さい人間に思えた。若すぎる父親になることを潔く受け入れ、ますます仕事に燃えている達也にも申し訳なかった。

だが、いざ産んでみると、胸のつかえは消えた。悩みまで胎盤と一緒に出て行ったかのように。わが子と対面した瞬間から、絵里のママスイッチはオンになった。絵里の指をギュッと握る小さな指は思いがけなく力強く、「ママが守ったる!」といとおしさが込み上げた。

仕事への未練やわだかまりは、子育ての目新しさと忙しさに取って替わられた。娘を見ていると、着せたい洋服のイメージが次から次へと浮かんだ。12月16日の未明1時5分に生まれたことにちなんで市子と古風な名前をつけた娘のトレードマークは「イチゴ」と決まった。

市子が寝つき、夜中におっぱいを求めて目を覚ますまでの数時間が、絵里の創作時間だった。子育ては体力を消耗するが、ミシンに向かうと、眠気も疲れも飛んだ。仕事のときも、自分が形にしたいデザインのためなら徹夜もへっちゃらだった。その何倍ものパワーを、市子のためのイチゴの洋服はかきたててくれた。

イチゴのアップリケや刺繍やボタンをあしらった、世界に一着だけの子ども服。それを着せた市子を見たときの、人々の反応が楽しかった。赤ちゃんはただでさえ注目を集めるが、イチゴ服との組み合わせに中高年のおばさま方は百発百中で足を止め、「うわあ、かわいらし。イチゴがよう似合ってるやん」「イチゴが好きなん?」などと市子の顔をのぞきこむ。

「この子は12月15日の1時5分に生まれたから市子で、それでイチゴなんです」

絵里がおきまりの逸話を聞かせると、「ママのお手製やて。お嬢ちゃん、幸せもんやなあ」「若いお母さんやのに立派やねえ」などとくすぐったいほど感心される。その褒め言葉が次の洋服を生み出す力をくれた。

イチゴ服を着た市子の写真を絵里はデジカメで撮りまくり、アパレルメーカーの同僚や服飾デザイン学科の同級生にメールで送りつけた。「かわいいお子さんやね」「イチゴが素敵」「いいお母さんしてるやん」といったコメントが返ってくると、「子育てってクリエイティブなんやなって発見しました」などと返信した。そんな風に子育てしている自分を肯定できることが誇らしかった。

市子の一歳の誕生日とクリスマスをUSJで祝おうと達也と話し、絵里はその日のために大きなイチゴを編み込んだケープを編んだ。だが、予定した日曜日に市子が熱を出し、計画はお流れとなった。

それから一年。2歳になった市子を連れて、絵里と達也は3年ぶりにUSJへやって来たのだった。

大きめに編んだイチゴのケープは身長80センチの今の市子にぴったりだった。市子はよくしゃべり、よく動き、よく転ぶ。ウワーンと泣いて、けろっと泣き止み、またたくましく歩き出す。一歳を過ぎるまではよく熱を出したが、ここしばらくは小児科にかかっていない。健康そのもの、元気いっぱいだ。

まだおむつだし、スプーンも上手に扱えないから、つきっきりで面倒を見なくてはならないのだが、パズルや積み木で一人遊びしてくれる時間もふえて、絵里もずいぶん余裕ができた。市子の昼寝のリズムができると、昼間にミシンを踏めるようになった。

せやけど、こんなはずやなかった、と絵里は思う。ほんまやったら、とっくに育休が明けて、仕事に戻っているはずやのに。

12月生まれの市子は0歳児保育には入れられず、一歳児保育から申し込んだのだが、定員の数十倍の応募があり、外れてしまった。4月に職場復帰する予定だったのを休職扱いにしてもらい、保育園の空きが出るのを待っているが、待ちリストは百名を超えているという。そのどの辺に市子がいるのかもわからない。

絵里も達也も両親は離れて暮らしているから、日中預けることはできない。ベビーシッターを頼むという手もあるが、そうなると、ベビーシッター代のために給料を稼ぐことになってしまう。

「そこまでして働くことないやん」

何気ない達也の言葉に、絵里は傷ついた。

なんで仕事を諦めるんは母親って決まってるんやろ。達也がデパートの仕事を休む選択肢かて、あってええのに。ごめんな、ほんまは代わったりたいけどって、嘘でも言うてくれたら、ええのに。

そんなくすぶった気持ちでいるときに同僚や同級生の活躍を耳にすると、取り残されたような焦りと淋しさを感じた。頑張ってるなあと眩しく思った次の瞬間、それにひきかえ自分はとみじめになる。

「なんか、置いてかれそうやわ」と冗談めかして言うと、
「なに言ってるん? 子育てかて、クリエイティブなんやろ?」とデザインの現場でバリバリ働いている相手は笑う。そう、仕事もええけど、子育てかて、楽しくて、やりがいがあって、自分がかけた愛情の分だけ子どもは応えてくれる。

「子どもはおもろいよー。仕事だけやってたら、気づかへん発見がいっぱい! もう毎日ドキドキやから。あんたも産んだら、わかるわ」

自分に言い聞かせる言葉を、絵里は相手にぶつける。うらやましがらせるぐらい明るい口調で。

USJのまたたくイルミネーションの下をよたよたと駆ける市子とその後ろを追いかける達也を目で追いながら、「欲張り過ぎなんかな」と絵里はつぶやいた。かわいくて、面白くて、毎日笑わせてくれる娘。そんな娘とよく遊んでくれる家族思いの夫。これ以上望んだらバチが当たる。

「絵里、どしたん? こっちこっち」

達也が手招きして呼ぶ。

「ママー、こっちこっち」

市子もパパを真似して手招きする。

絵里が駆け寄ると、市子の隣にかがんだ達也が、絵里にも低くなれと手で示した。

かがむと、市子の目線と高さが並んだ。市子の頭のてっぺんから5センチほど下辺りに目があるから、地上75センチといったところか。

パレードルートにもなる通りの路肩に親子3人並んで、通り行く人たちを見る。

「ほら、てぶくろ、いっぱーい」

市子がキティちゃんの手袋をはめた手を前に差し出し、指差す。

茶色い手袋。赤い手袋。水玉の手袋。しましまの手袋。キャラクターが描かれた手袋。ファーのついた手袋。いろんな色の、いろんな形の手袋が近づいては遠ざかっていく。こんなにたくさんの手袋が行き交っていたんだ。大人の目線ですれ違っていたら、マフラーには目を留めるけれど、手袋は印象に残らない。

「かばんも いっぱーい」

手袋とともにバッグも地上75センチの目線からはつかまえやすい。

「よーし、黄色いバッグさがそっか」と達也がゲームを提案すると、
「うん!」と元気よく市子が返事をし、「あった!」と勢いよく指差す。
「どれ?」と絵里が目をこらすと、
「あそこ!」と指で追う。

市子が指差す先、幼い男の子の兄弟にビデオカメラを向けた母親が提げている大きなバッグが目に留まった。膨らんだ中身は着替えやおやつが詰まっているのだろう。

「あれは黄色やなくて、紫やで」と絵里が言うと、
「むらさきいろ!」と市子が答えたので、絵里と達也は大笑いになった。ビデオ撮影に夢中の母親は、自分のバッグが見知らぬ親子に笑いを提供したことに気づかず、通り過ぎて行った。

「もしかして、『むらさきいろ』を略して『きいろ』って思っとったん?」と達也が言った。
「そしたら、市子、あの色は?」と絵里が目の前を通り過ぎた黄色いバッグを指差すと、

「きりんいろ」

市子のかわいい答えに、絵里と達也はまた笑った。

何を笑われているのかわからない市子は戸惑った顔になり、涙をためはじめる。

「あれ、市子、どうしたん?」

達也が顔をのぞきこむと、ますます涙が盛り上がる。

「バカにされたて傷ついたんかも」

絵里が言うと同時に、ウエーンと声を上げ、市子は涙をあふれさせた。

「おいおい、泣くことないやろ」
「パパとママが笑ったんは、市子がかわいいからやで」

泣きじゃくる市子を二人がかりで慰めていると、通りがかる人の足が速度を落としたり、立ち止まりかけたりするのが見える。顔はうかがえないけれど、足元が「どうしましたか」と気にかけているのが見て取れた。

「ほら、みんな、どうしたんかなってびっくりしてるやん」と絵里は言い、
「そうや、今度は、赤い靴探ししよか?」と新しい遊びを持ちかけると、

「あかいくつ さがすう」

市子はケロリと泣き止み、涙の粒を指先でぬぐって、通り過ぎる足元に目を凝らした。子どもの切り替えの早さには驚かされる。

「赤はどんな色?」と念のために聞くと、
「しょうぼうしゃ ウーウーのいろ!」と正解が返ってきた。

赤い靴は、意外と見つからなかった。女の人のよそ行きのパンプスは、たいていが黒だった。女の子の靴はピンクばかりだった。絵里と達也は五分も経たないうちに「ないなあ」と音を上げかけたが、市子は驚くべき集中力で、「あかいくつ あかいくつ」と目を凝らし続ける。

「あった!」

市子が声を弾ませたのは、ゲームを始めてから30分ほど経った頃だろうか。指差す先、近づいてきたのは、赤いブーツだった。それが誰のものなのか、子どもの頃から見慣れてきた絵里と達也は瞬時にわかる。

ブーツから上へ目を転じると、赤い服に身を包み、赤い帽子をかぶったサンタクロースが現れた。彫りの深い顔立ちと、あったかそうな、おなじみのもじゃもじゃの白いヒゲ。

「サンタさん!」

絵本で覚えたばかりのサンタクロースを目の前にして、市子は興奮している。絵本から飛び出してきたように見えているのかもしれない。

「市子、サンタさんに、だっこしてもらおか?」

達也がカメラを向けると、サンタクロースは笑顔でうなずき、大きく手を広げた。市子は素直に抱きつき、抱き上げられた。

「あら、かわいい」と通りがかりの人までがカメラを向ける。

白地に赤のイチゴのケープは、赤地に白のサンタクロースの衣装によく映えた。

「すみません。シャッターお願いできますか」

目が合ったカップルに声をかけると、男の子が快くカメラを受け取ってくれた。年は20歳ぐらいか。5年前、同じ理由で呼び止めた達也とサンタクロースの両脇に立ち、一家の記念写真を撮った。

市子を地面にそうっと下ろすと、「メリークリスマス!」の陽気なかけ声と大きな笑顔を残して、サンタクロースは去って行った。

「あの……よかったら、あたしたちと一緒に撮ってもらえませんか」

カップルの女の子が遠慮がちに言う。思いがけない申し出に驚きつつ、「じゃあ、うちのカメラで……」と絵里が言うと、「いえ……こういうの、当たったんですけど」と男の子がチケットのようなものを差し出した。「記念写真引き換え券」と印字されているのを見て、「記念写真?」と絵里が聞くと、

「これから撮りに行くとこなんです」
「フォトスタジオ、すぐそこなんで」

男の子と女の子がかわるがわるしゃべった。

「あの……うちの子と一緒に、ですか?」と絵里が重ねて聞くと、
「できれば、皆さんで」

女の子は、赤い手袋をはめた手で絵里と達也も抱き込むような大きな円を描くと、
「あやかりたいなあって思って」と続けた。

絵里たち親子が黄色いバッグ探しをしている前をカップルが通りがかったとき、「むらさきいろ」の会話が耳に飛び込んできたのだと言う。

「なんか、むっちゃ幸せそうで」
「あんな家族、ええなあって話してたんです」
「それで、さっきの親子やって思ってたら、声かけられて」
「これも何かの縁だと思うんで、ぜひ」

男の子と女の子はかわるがわる話して、ひとつのフレーズを完成させる。この子たちも結婚するかもしれないと絵里は予感し、そうなったらいいなと願い、達也の顔を見ると、同じことを考えているらしい達也は笑顔でうなずいた。

5人でフォトスタジオへ向かった。

市子はカップルの女の子がだっこした。その脇に彼氏が立ち、絵里と達也は両端に立った。

一緒に暮らしているという二人の部屋に自分たちの笑顔が飾られるのかと思うと、絵里はなんだか不思議な気持ちになる。

あの場所で市子と地上75センチの世界を眺めていなかったら、このカップルの目に留まることもなかっただろう。赤い靴探しゲームが長引かなければサンタクロースを見つけることもなく、写真を撮るためにカップルを呼び止めることもなかっただろう。

子どもといると、普段だったら通り過ぎるような人や出来事と出会える。強がりではなく、自分はそれを心から楽しんでいると絵里は思った。

イチゴのケープをなびかせ、フォトスタジオの前の通りを跳ね回る娘を見ながら、今度はケープとおそろいで大きなイチゴがアクセントのスカートを作ってみようかとひらめく。イチゴのリュックもかわいいかもしれない。ついでに、帽子も作ってみようか。

職場復帰のことも保育園の待ちリストのことも忘れて、頭の中には明るい色のイチゴが並んでいた。

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2022.12.8 鈴蘭さん

2022.12.25 鈴蘭さん

2023.9.10 賢太郎さん

2023.12.13 鈴蘭さん

2023.12.21 鈴蘭さん


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。