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上を向いて─さすらい駅わすれもの室「一万光年彼方のふるさと」

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プラネタリウムで聞いた「上を向いて」

春の始め頃、渋谷で1時間ほど時間が空き、ウロウロ歩いていたら、渋谷区文化総合センター大和田に着いた。『パコダテ人』で子役だった前原星良(せら)ちゃんのダンス公演で何度か来たなと思い出していたら、てっぺんにプラネタリウムの半球がついているのが目に留まった。いつもは夜なので気づいていなかった。

プラネタリウムといえば、「束の間の一花」の4話と5話に萬木と一花のプラネタリウムデートが登場する。タダノなつさんの原作にあるエピソードで、「しばらく行ってないな」と思いながら原作を読み、脚本を書き、「プラネタリウム」と打ったり、打ち合わせで言ったりし、放送を見ても「まだ行けてないな」と思い、結局行く機会を逃したままになっていた。

そんなところに、ぽっかり空いた1時間と、目の前にプラネタリウム。

1時間おきにプログラムが組まれていて、星空解説15分+映像番組25分の40分。映画の半分ほどの手軽なサイズ。ちょうど始まるところの「ヨハネス・ケプラーの日記」をつかまえた。

思いのほか後ろに椅子が倒れ、ほぼ平らになると、半球のスクリーンを見上げる格好になった。その姿勢で解説員さんの話を聞く。

「上を向くと、人は悪いことを考えないそうです」

萬木先生の声で「上を向いて」が脳内再生された。

出してはまたふえ、現在108本のnoteの下書きに「上を向いて」の話があった。掌編シリーズ「さすらい駅わすれもの室」の一編。「一万光年彼方の迷子たち」とタイトルをつけていたが、すでに公開した「迷子の音符たち」との迷子かぶりを避け、「一万光年彼方のふるさと」とあらためた。

書いたのはラジオドラマ用にシリーズを企画したコピーライター時代だから、20年ほど前ということになる。随分寝かせてしまったが、一万光年彼方から地球にやって来た星の時間感覚に換算したら、たぶん瞬きするくらいの短い時間。

今井雅子 さすらい駅わすれもの室「一万光年彼方のふるさと」

さすらい駅の片隅に、ひっそりと佇む、わすれもの室。そこがわたしの仕事場です。 ここでは、ありとあらゆるわすれものが、持ち主が現れるのを待っています。

傘も鞄も百円で買える時代、わすれものを取りに来る人は減るばかり。 多くの人たちは、どこかに何かをわすれたことさえ、わすれてしまっています。

だから、わたしは思うのです。ここに来る人は幸せだ、と。

駅に舞い戻り、窓口のわたしに説明し、書類に記入する、 そんな手間をかけてまで取り戻したいものがあるのですから。

ちょっと様子の変わったお客さまがわすれもの室にやって来たのは、日が落ち、空に一番星がまたたき始めた頃でした。

お客さまがドアを開けて入って来たのではありません。わすれもの室の窓から見えるホームで途方に暮れているのを、わたしが見つけたのです。

その彼は、それとも彼女は、わたしが見たことのない姿かたちをしていました。わたしは窓を静かに開け、こんばんはと声をかけました。彼、または彼女を驚かせないよう、小さな声で。

返ってきたのは、聞いたことのない言葉でした。言葉というより音であり、音というより響きでした。響きというより震えでした。波のような、ゆらぎのような。それは強くなったり弱くなったり、張り詰めたかと思うと緩み、伸びたかと思うと縮み、開いたかと思うと閉じ、独特のリズムを刻んでいました。

寄せては返すような、脈を打つような、またたくような。まるで光の点滅や広がりやにじみを信号に置き換えたようでした。

お客さまが何を探しているのか、意味を読み取ることはできません。けれど、わたしには、ピンと来ました。

わすれもの室には、ときどき迷子もやってきます。地図をなくしたり、行き先や帰り道を見失ったりしたときは、誰だってこんな困った顔をするのです。

たとえ全身が鉛色で、手なのか足なのかわからない長いものが首の付け根から何本も伸び、おそらく地球の外からやって来たと思われるお客さまであっても。

少しずつ濃さを増す夜空をわたしが指差すと、曲がりくねったシルエットが弾んで揺れました。これはたぶん、うなずいているのだろうと思いました。迷子という読みは外れていなかったようです。

わたしはドアを開け、お客さまを招き入れました。それから、わすれものの山に埋もれている天体望遠鏡を引っ張り出しました。それは、遠い遠い昔、誰かが駅にわすれていったものでした。持ち主は、旅先のどこかで星を見上げるつもりだったのでしょうか。それとも旅の帰りだったのでしょうか。高価で立派な望遠鏡ですが、何十年も持ち主を待ち続けるうちに埃をかぶってしまっています。

その間に、わたしの上にも年月はたしかに流れていきました。肌には年輪のように皺が刻まれ、髪には白いものが交じるようになりました。

わすれもの室がある駅舎は壁のペンキを三度塗り替えました。駅の向かいにあった食堂は持ち主が何度も変わり、パン屋になったりアイスクリーム屋になったりしました。最後のキャンディ屋が閉じられてからは、シャッターが下りたままです。

町の景色もずいぶん変わりました。それでも、何万光年の彼方から届く光をとらえる天体望遠鏡にとっては、まばたきをするような短い待ち時間なのかもしれません。

わたしは望遠鏡を空に向け、帰り道をわすれたお客さまと並んでレンズをのぞきこみました。

すると、お客さまの発する意味不明な音の連なりが明るく、うれしそうな音色に変わりました。鉛色の肌には、心なしか赤みが差しました。どうやら望遠鏡の中に、帰るべき道すじを見つけたようです。

お客さまが去った後、ストーブで沸かしたお湯で紅茶をいれていると、窓の外の夜空にチカチカと光る丸いものが見えました。

窓に近づいて見上げると、足踏みするように空中にとどまっていたその丸い光は、すいっと夜空を滑り出し、ぐんぐんと小さくなりました。ふるさとの星を目指して、迷うことなく飛んで行ったようです。

それ以来、ときどき望遠鏡で夜空を眺めるのが、わたしの楽しみになりました。長いあいだ埃をかぶり、レンズにふたをされていた望遠鏡は、かつてのように星を見ることがふえました。

あの銀河のどこかに、わすれもの室で探しものを見つけたお客さまがいらっしゃる。そう思うだけで、一万光年の彼方がずいぶん身近に感じられます。そして、いいことばかりではない一日の、気が滅入るようなことも、心がふさぐようなことも、見上げた空の懐に吸い込まれていくような気がするのです。

一万光年ってどれくらい遠いの?

語呂が良いので採用した「一万光年」って、どれくらいの距離なのだろうか。光が一年かけて進む距離が一光年。とすると、一万光年は一万年かけて進む距離。一万光年彼方からやってきた「お客さま」は光の速さで飛んできたとしても、片道一万年がかりだし、帰るときも一万年かかることになる。

と考えると、今もふるさとに辿り着いていなくて、帰っている途中だろうか。

そして、一万年かけてやって来たお客さまは、一万年歳以上ということに。

相当シワシワ。というか、不死身すぎる。

と、現実的なことはさて置き、お客さまは「お星さま」のほうが良いかも。

読んだみなさんのご意見ご感想を聞いて、加筆します!

プラネタリウムになったおじゃる丸

星空と言えば、おじゃる丸スペシャル「銀河がマロを呼んでいる〜ふたりのねがい星〜」。

宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」とおじゃる丸の世界が一つになったようなお話。プラネタリウムの番組にもなり、羽田空港の中にあるスターリーカフェのほか、全国各地のプラネタリウムで上映(投影?)されている。

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