あるモードの再生機として(2)
昨年くらいからyoutubeプレミアムにうっかり入ってしまい、そしてうっかりはまった私。
TVでは見かけない、有名無名問わずいろんな発信者がいて、だからこそマスメディアにはないリアリティのある話が聞けてとても面白いのです。
その中でもこれは!と思う人を見つけて応援していたら、ライブ配信での交流がコミュニティの様に暖かい場になっていたりして。
配信者が思い立った時に気軽に配信できるので、その時のコンデイションもあるけど、他では聞けないような結構深い話にもなっていて、でも同時にユニークで、みんながそのことをなんとなく分かり合えている様な、言うなれば[信頼]みたいなものが芽生えつつあるようなそんな空間で。
そんなある日の配信後、なんだか妙に幸福感に包まれ夜も遅かったので、すぐにベッドに入ったのだけど、まだあの楽しかった雰囲気の余韻に浸りたいなあ、繰り返したいなあと、スマホを音声だけにしてまた同じ様にクスクス笑っていたのでした。
その日の話題の一つに[過去・現在・未来]の話があったのだけど、あれ?もしかして、このすぐに録音を聞き返すと言う行為自体が、この時空という概念にリンクしているのではと思えてきて…。
そういえば、むかーし子供だった頃、好きなテレビ番組をビデオテープに録画することに燃えていたっけ…。
そんな風に思えてきたのです。伝えるのが難しいのですが…。
仏教などでも、今見ているこの世界は全て幻(色即是空)というけれど、そのことがやっと少しだけわかってきたような。
その瞬間の気分や感覚を、時を超えて残すことが出来るのならー。でもそれには元々発信するその人が必要ですもんね。
つまり、誰かがふと感じた大切な感情や感覚を、忘れずにどこかに残しておきたいと思うこと。あわよくばそれが未来の誰かに伝わっていくこと。
これがもしかして、人が表現するという本来の意味なのかな?となんだか妙に腑に落ちたのです。そんな簡単なことだったのかも。
うまく伝えられている気がしないのですが、この感じ取ったモードをどこかの未来で私が(誰かが)再生できる様に書き残しておくことにします。これも表現だったりするのかも。
読んでいただきありがとうございます! 貴重なサポートは、クリエイティブ活動を続けるための制作資金とさせていただきます。