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江戸から学ぶひとづくり(6)

市井の市民から湧き上がる教育力

前回までに会津藩と佐賀藩の取り組みについてご紹介させて頂きましたが、今回、各藩の藩校の設立経緯を色々と調べてみますと、教育改革が実行されるときというのは、本当に切羽詰まったときに行われるということでした。

どんなに人材育成が大事だとわかっていても、現状の危機意識が薄い人たちには理解されませんでした。必ず変化を拒む人物が現れるようです。

地震や台風などの災害や飢饉、内部分裂による反逆、財政破綻、これでもかと思うぐらい困難が重なったとき、ようやく反対する人たちへの説得材料がそろい、課題の打開策としてひとづくりが進んでいきました。

そしてそれはお上の命令で一方的に動かしていくのではなく、市井の市民がそこの中心にいるということも改革の重要なポイントのようです。

実は、外からやってきた藩主によって学問を奨励した会津藩は日本で初めて庶民によって学校がつくられたところでもあります。誰でも学べられる「稽古堂」という学校で武士たちも庶民と一緒になってそこで学び、そういった動きがやがて藩校「日新館」の設立へと繋がっていきました。

藩主(リーダー)の考え、それに呼応した市民、さらにそれによって政治・経済がダイナミックにそれぞれのもち場で動き始めていく。

今でも会津地方の伝統産業になっている会津漆や日本酒などといった特産品はこの時期人材を外からよんで学んでいく中で生まれていったものです。その後今でいうアンテナショップを江戸にもうけるなどして、大きな利益を上げるまでになっていきます。

徳川三代将軍の異母弟にあたる藩主保科正之が会津にやって来て以来、何世代にもわたって人づくり、地域づくりを行い財政破綻から脱出した会津藩。その会津藩が最後、同じく人づくりを丁寧に行ってきた肥前の佐賀藩をはじめとした新政府軍との内戦(戊辰戦争)によって、結果的に多くの若い優秀な人材が散っていったというのはあまりにも悲劇であり、多くのことを考えさせられます。

幕末の動乱期。それは幕府側だけでなく、倒幕派でも窮地に追い込まれ自刀を行った武士たちがいました。そしてそういった考えは太平洋戦争でも引き継がれていきます。

命とは、どれだけの重みをもつのか。そして自害するとはどんな意味をもつのか。命以上の重みある価値とは何だったのか?

世界を見渡せば、いまもなお戦争はなくならず、自爆テロによる脅威が存在し、世界が徐々に自国第一主義となっていく中で、

什の掟 「ならぬものはなりませぬ。」この絶対にやってはいけないこと。それが何なのか。価値観が多様化する中で、それでも大切にしないといけないこと。いや、だからこそ大切にしないといけないこと。それが今改めて私たちに問われているのではないでしょうか。

かつて什の掟が子どもたちだけで考えられたように、新たな時代の什の掟をもし今の子どもたちが考えるとしたら、どんな掟になるのでしょうか?子どもは社会の鏡といわれるように、そのアイデアの大半は私たち大人の日ごろの行為・振る舞いからくるもかもしれません。

でも、子どもは未来からの使者ともいわれるように、案外大人よりも子どものほうが、これまでの常識にとらわれない忖度のない未来を見据えた常識で、斬新な掟をつくるかもしれませんね。

探求的学習は何のために行うのか

環境問題や様々な社会課題に対して、プロジェクト型の学習(PBL)や探求的活動が今世界中の学校や地域教育の場で行われています。そんな子ども達から発せられるメッセージを見ていますと、山積みされた課題を脇目に、私たち大人たちが子ども達から学ぶそういった時代に突入していると感じてしまいます。

テクノロジーの発達により、より人間らしい発想が求められる中で、膨張し続ける経済活動による資源の奪い合い。そこから生まれる搾取や環境破壊。持つ者と持たざるものによる経済格差と異質なものを排除しようとする不寛容さ。ネット一つで世界は一つに繋がり、あらゆる不満や物事が拡散し移動していく時代

世界同時進行で動いているこういった途方もない課題に直面してもなお、日々の暮らしの中でささやかな喜びを感じ、明日の未来に希望を見出していくためには、大人も子どもも関係なく真剣勝負で叡智を結集して、それぞれの立場で学んだことを活かしていくような社会へと変えていかないといけません。そのための探求活動であり、PBLなんではないでしょうか。

次期学習指導要領は今の子ども達が社会で活躍する30年後の社会を思い描いてつくられたと言われています。どんな社会が待ち受けているのでしょうか?ばら色の社会でしょうか?

教育の在り方を変えていくということは、より自分自身に厳しい言い方をすれば、答えのない複雑な課題を次の世代へといっぱい残してしまった私たち大人世代の反省の証でもあり、未来に託すバトンとしての今やれるべき責任でもあるのかもしれません。

会津藩で学問が奨励され、稽古堂で身分に関係なく人々が学び合いながら社会が大きく変わっていったように、今の時代にあった学習の在り方が、待ったなしで今問われているのだと思います。

そう感じるのは私だけでしょうか。

次回は私塾そして明治維新後の教育について触れていきたいと思います。

お楽しみに!


参考文献:
「藩校に学ぶ 日本の教育の原点」 藁科満治 著 日本評論社
「藩校 人を育てる伝統と風土」 村山吉廣 著 明治書院


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