白上昌子

認定キャリア教育コーディネーター。小学生から大学生までを対象としたキャリア教育を10年…

白上昌子

認定キャリア教育コーディネーター。小学生から大学生までを対象としたキャリア教育を10年以上にわたって行う。NPO法人アスクネット前代表理事。2019年5月に代表理事を退任し、現在は「はたらくこと」「生きること」「学ぶこと」が一体となったコミュニティづくりに向け修行中。

最近の記事

江戸から学ぶひとづくり(8)

生活・地域に根差した教育の多様性これまで7回にわたって江戸の人づくりについてみてきましたが、改めて振り返ってみますと、江戸時代の人たちは、どんな身分であろうとヒトを一人前の大人にしていく組織力をもっていたのではないでしょうか。それは決して官僚的なものではなく、むしろチームワークといったほうがいいかもしれません。 そこには、生活に根差した生き生きとした交流を通した豊かな精神文化があったのではないかと思います。 そして驚くべきことに教育については、非常に自由でありました。寺子

    • 江戸から学ぶひとづくり(7)

      江戸の子育て、寺子屋、地域教育(若者組)、藩校、生涯教育(稽古堂)とみてきましたが、江戸の人づくりで、どうしても触れておきたいのが私塾です。江戸時代特に幕末、儒学だけでなく洋学や医学など様々な私塾が現れました。その中でも、吉田松陰が塾長を務めた松下村塾について触れたいと思います。 吉田松陰は密航(浦賀に来た黒船に乗って米国に渡ろうとしたこと)に失敗した罪で幽閉の身分でしたが、彼が塾長を務めたわずか2年半という限られた期間に高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など幕末・明治にかけて活

      • 江戸から学ぶひとづくり(6)

        市井の市民から湧き上がる教育力前回までに会津藩と佐賀藩の取り組みについてご紹介させて頂きましたが、今回、各藩の藩校の設立経緯を色々と調べてみますと、教育改革が実行されるときというのは、本当に切羽詰まったときに行われるということでした。 どんなに人材育成が大事だとわかっていても、現状の危機意識が薄い人たちには理解されませんでした。必ず変化を拒む人物が現れるようです。 地震や台風などの災害や飢饉、内部分裂による反逆、財政破綻、これでもかと思うぐらい困難が重なったとき、ようやく

        • 江戸から学ぶひとづくり(5)

          前回ご紹介した会津藩と肩を並んで名高い藩校として称されたのが佐賀藩(肥前藩)の藩校「弘道館」でした。五回目となる今回は弘道館についてご紹介します。 佐賀藩は財政危機が起こり、行革と合わせて「改革の担い手になる人材育成」が肝心ということで、藩校「弘道館」を設立しましたが、いつしか形だけのものになっていきました。こういった事態に対して、藩内の士気高揚と藩改革を再度進めるために、藩校のテコ入れを行っていきます。 今でいうならば、教育改革、学校改革ですね。 様々な保守勢力と戦い

        江戸から学ぶひとづくり(8)

          江戸から学ぶひとづくり(4)

          元祖 地方分権 それぞれの特色をもった「藩校」江戸時代の子育て制度「仮親」、読み書き算術を学ぶ「寺子屋」、そして社会教育システムとしての「若者組」とみてきましたが、今回は武士の子弟が通った学校、「藩校」についてご紹介したいと思います。 江戸時代300ほどあった藩のうち、幕末までに280ほどの藩で藩校がつくられたそうです。その多くが江戸中期から幕末にかけてつくられました。 藩校が生まれた背景には、これまでの自給自足の経済が破綻し、財政危機を乗り越えるための打ち手として設立さ

          江戸から学ぶひとづくり(4)

          江戸から学ぶひとづくり(3)

          大人も口出しできない教育組織は究極のPBL(プロジェクト学習)寺子屋の他に江戸時代には社会教育の場として「若者組」「娘組」といって、同世代の青少年たちが集団生活や共同作業を通して教育・訓練される組織がありました。またその準備組織として7歳から14歳ぐらいまでの子どもが加入する「子供組」という組織があったようです。 子供組は遊び仲間とさほど変わらなかったようですが、年中行事や祭礼の際に特定の役割を果たしたようで、最年長(14歳ぐらいのリーダー)の指揮で厳しい上下関係や一定の掟

          江戸から学ぶひとづくり(3)

          江戸から学ぶひとづくり(2)

          元祖ティール組織*?!全国に広がっていた「寺子屋」江戸時代の教育というと真っ先に思い浮かぶのは寺子屋かと思います。「日本教育史資料」によると寺子屋は全国に1万5000か所あったようです。現在日本の学校数が2万2500校。江戸時代の最大人口が約3000万人だったと言われており、現在の日本の人口がざっと1億2000万人ですので、その数がいかに多かったかがわかります。 また、武士の子や農民、商人の子など身分に関係なく様々な子どもが通っていたようです。お上による公権力の介在なく、民

          江戸から学ぶひとづくり(2)

          江戸から学ぶひとづくり(1)

          昨年、ヨーロッパを中心に海外での教育視察をさせて頂きました。そこで感じたのは今、世界中で教育改革が進行しているということでした。それは工業化によって作り出された教育のスタイルが、産業構造の変化によって大きく変わろうとしていることを示していました。 日本でも、大学入試改革に見られるように、これまでの知識を問う学習から、知識を活用できるような思考力・判断力・表現力を問うような学習へと変わろうとしています。 また幼稚園から高校まで共通項として掲げられた主体的・対話的で深い学び(

          江戸から学ぶひとづくり(1)

          発酵・醸造文化から学ぶ人づくり(2)

          「みりんはお米のリキュールです。」そう説明をしてくれた角谷文次郎商店の角谷社長。実際、差し出されたみりんを口にしてみると、何とも言えない甘さが口の中で広がります。 頂いたみりんは2種類。一つは有機米の仕込みのものと、そうでないもの。どちらも美味しかったのですが有機米のほうは見た目も色濃く、口の中に入れると旨味が後からふわっと広がってきます。まるでカクテルを飲んでいるようなうっとりとするような美味しさ。明治時代、女性が甘い滋養飲料として好んだというのも頷けます。 みりんは、

          発酵・醸造文化から学ぶ人づくり(2)

          発酵・醸造文化から学ぶ人づくり(1)

          まだ暑さの厳しさが残る8月の最終週に、知多半島にある三井酢店の蔵に伺わせて頂きました。創業から約100年。今も昔ながらの製法で酢が作られています。 2000年に駅前の拡張工事で半田から阿久比に蔵を移転することになった際、創業当時からある蔵を丸ごと移築したそうです。新しい工場に建て替えてもよさそうですが、このエピソードを聞くだけでも、微生物の働きによって作られる発酵食品を扱うということが、どれだけ繊細な作業なのかがわかります。 蔵を案内してもらった三井社長は、同じ蔵仲間であ

          発酵・醸造文化から学ぶ人づくり(1)

          畑からまなぶ人づくり(2)

          人ではない食という命を育てている人たちから、何か人づくりのヒントが得られないだろうか。そんな思いで色んな蔵や農家さんのところに出向くようになりました。蔵人や農家さんはどんなことを大切にされ、どんなこだわりをもって日々命と向き合っているのか。 何事も一生懸命一つのことに専念している人たちからのお話は、全てに通じる人生の在り方、生き方みたいなものを学ばされます。 子どもたちにとって、よりよい学習環境とは前回、アイアイ自然農園の取り組みを通じて、自然農法についてまとめさせていただ

          畑からまなぶ人づくり(2)

          畑からまなぶ人づくり(1)

          人ではない食という命を育てている人たちから、何か人づくりのヒントが得られないだろうか。そんな思いで色んな蔵や農家さんのところに出向くようになりました。蔵人や農家さんはどんなことを大切にされ、どんなこだわりをもって日々命と向き合っているのか。 何事も一生懸命一つのことに専念している人たちからのお話は、全てに通じる人生の在り方、生き方みたいなものを学ばされます。 今回ご紹介させて頂くのは、自然農法で野菜を育てているアイアイ自然農園の加藤さんからのお話をもとに、私自身が気づかされ

          畑からまなぶ人づくり(1)

          まちに余白をつくる。

          昔、教科書の余白に絵を書いてパラパラ漫画をつくって遊んだ記憶がある。大人になった今でも何かアイデアが浮かぶと、本の余白にメモを書く癖がある。余白は私にとって創造力をアウトプットする場所ともいえる。 そして余白があることで、本でも絵でも空間でもなぜか心にゆとりを生み出してくれる。 そう捉えると、余白は無駄かといえば、なくてはならない重要な役割を果たしている。 最近、感じるのはまちに余白がなくなってきたということ。 まちの小売店がどんどんとなくなっていく一方で、専門職化し

          まちに余白をつくる。