日新館

江戸から学ぶひとづくり(4)

元祖 地方分権 それぞれの特色をもった「藩校」

江戸時代の子育て制度「仮親」、読み書き算術を学ぶ「寺子屋」、そして社会教育システムとしての「若者組」とみてきましたが、今回は武士の子弟が通った学校、「藩校」についてご紹介したいと思います。

江戸時代300ほどあった藩のうち、幕末までに280ほどの藩で藩校がつくられたそうです。その多くが江戸中期から幕末にかけてつくられました。

藩校が生まれた背景には、これまでの自給自足の経済が破綻し、財政危機を乗り越えるための打ち手として設立されたところが多かったようです。

また価値観の多様化からくる規律のゆるみや、これまでの指導者の考え方だけでは乗り切れなくなり、新しい人材の登用が必要になったなど、各藩それぞれの実情があったようです。

なんだかどこか現在にも通じるところがありますね。

ただ面白い点は、江戸には藩校の手本となるような幕府直轄の昌平坂学問所がありましたが、各藩それぞれに教育の自主・自立の精神と地域の独自性が保たれていた点です。

藩校は基本、藩士(武士)の子弟が通っていましたが、尾張藩の明倫堂や、米沢藩の興譲館などは庶民にも開放されていたようです。また、習う内容も儒学が中心ではありましたが、藩校によっては、洋学、医学、天文暦学、兵学、国学など設立目的によって違いがありました。

ここでは会津藩と佐賀藩の藩校の取り組みを3回に分けてご紹介したいと思います。

最後は軍人・武士としての美学を貫いた学びの原点とは?

会津藩といえば幕末明治にかけて、新政府に対して旧幕府軍側にたち、最後まで武士としての忠義を貫いたことで有名です。

特に16、17歳の少年たちで構成された白虎隊はふるさと会津を守るために、戊辰戦争で新政府軍と戦い、必死で新政府軍に追われながらも最後、燃え盛る鶴ヶ城を見て生き恥をさらすことは武士としてできないと、みんなで自害した悲劇は今も歴史的事実として語り継がれています。

そんな会津藩では、武士たちにどんな教育がされていたのでしょうか?

「会津魂」の養成は独自の地域教育システムにあった!!

会津藩には幼少期からの独自の教育システムがありました。町内ごとに「什(じゅう)」というグループがつくられ、6歳から9歳までの子どもたちが彼らの家を順番に会場として提供され、子ども達だけでお話と遊びが行われていました。

そこでは自分たちで決めた決まり事を口ずさむ「什の掟」があり、どの「什」も最後は「ならぬものはなりませぬ」で終わり、反省会なども自分たちで行いながら、将来武士となる自覚と責任を養っていったそうです。そしてお話が終わるとあそびの時間となって今の子どもたちと同じように鬼ごっこやかくれんぼなどしてのびのびと過ごしました。

そして10歳になるといよいよ藩校「日新館」に入学し(17歳ぐらいまで在籍)、そこでは会津藩独自の教科書「日新館童子訓」が渡されました。また初代藩主正之が言い残した家訓15条など、様々な方法で会津魂が叩き込まれていきます。

ただ、ここで注目しないといけないのは、ただ一方的な教育がされていたのかというと、どうも彼らは彼らで様々な場面で話し合う時間が設けられていたようです。

授業後は「生徒の什」というグループがつくられ、まちの中にある決まった場所に出向いて、勉強のことやどうしたら徳や人格を高めていけるのかなどお互いに話し合い励まし合っていました。また、ときには年下の子供たちの集まりである「什」であそびを親切に指導もしていたようです。

藩校の生徒たちはこういった教える経験を通して、武士としての振る舞いを知らず知らず教えることになったでしょうし、また下の子ども達にとっても上の子ども達とのあそびを通しての関わりが、藩校に入る前の心の準備や心構えになっていたことは言うまでもありません。

今でいう「主体的・対話的で深い学び」を幼少期から自分たちの自治で行い、かつ幼小連携なんてあえていうまでもなく、地域教育の場で自然になりたっていたということですね。

日新館での学問の内容は儒学を中心として天文歴学や武術などを学んでいましたが、会津藩士は何をするにしてもスピリットが半端なかったそうです。

一連の幼少期からはじまる一貫した心得が学校教育へとゆるやかにつながり、「生徒什」にみられるような放課後での学び合いが藩校(学校)での学びをより効果的なものへと昇華させ、やがて武士としての軸がつくられていったのかもしれません。のちに会津藩は武士の教育水準が最も高い藩として名を遺すようになりました。

次回は会津藩と並ぶぐらい教育水準が高かったといわれる佐賀藩(肥前藩)の藩校「弘道館」をご紹介します!


参考文献 「藩校に学ぶ 日本の教育の原点」 藁科満治 著 日本評論社
     「藩校 人を育てる伝統と風土」 村山吉廣 著 明治書院

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