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キャリアアップのため、女性が自分自身にかけた呪いを解呪する話

こんにちは。キャリコン社労士の村井真子です。
先日、こちらの記事がかなり炎上に近い形で話題になりましたね。

現在は炎上した図表について、編集部の意図と違う形で読者に受け取られたとのことで、この表は「男性優位な今の日本社会で働く女性1000人から寄せられた『あなたの会社で女性がリーダーになるために必要なことは』の問いへの回答、上位6項目」であると但し書きが付いています。
もともとはこの文言がなかったため、図表内の「女性的な魅力&かわいげがある」の記載も含めて、これらの条件が女性が管理職になるために必要な要件のように読まれてしまったという経緯があります(事実わたしもそう読んでいました)。
インタビュー本文そのものとも関連性が低いため、この図表をここに配置したこと自体に編集部の作為を感じますが、この図表についての誤解が解けたとしても、それはそれで問題があると私は思います。

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これが問題の図表です。

1)「(自社で)女性がリーダーになるために必須なこと」から見える問題

その問題とはなにか。

この図表を悪意をこめて要約すれば、女性たちは、自分の会社で管理職になるためには「権力者に気に入られるような女性的な魅力やかわいげがあり、かつ、そのような権力者に近づける人脈やコミュ力がある気配り上手な女性でないと管理職になれない。しかもその人は仕事も当然できなきゃだめだし、周りの女性にも好かれてないとダメ」と思っているということであり、さらにその裏返しで、今、自社の管理職である女性のことを「そういう人だから管理職になれたんでしょ」と思っている、ということを明らかにしているからです。
(揶揄するつもりなく、「女性らしさは管理職に必要!」と思う方については、本稿での「女性」の対象からいったん外させていただきます。それはそれで一つの価値観であり、私が否定できることではありません。単に主張が違うということです。)

で、この図表そのもの集計に誤りがないのであれば、女性たちは自分の未来に、未来になりうるロールモデルの存在に、自分で蔑みを与えている構造になってしまっているんです。
これって、すごくすごく、大きな問題ではないでしょうか。

日本において、管理職とは一般的には課長職以上を指します。課長、部長、役員。一般的にこの役職者たちは経営・業務・人事を含めたトータルマネジメントを行い、責を負う、大変ですがやりがいの大きい役職です。
この、「大変ですが」という部分に、私自身も葛藤があります。

管理職は大変ではない、とは思いません。
責任の度合いが増すのですから、難易度が上がるのは当然です。ソロプレイヤーとして自分自身のマネジメントをしていればよかった時に比べれば、部下それぞれの抱えるタスク、課題、特性、事情なども加味しつつ企業の目標達成の一翼を担うのですから、使う能力や習得すべき知識、技能も当然一般社員とは異なります。
ですが、この仕事それ自体には性差は関係ないはずです。

ここに、2017年に「なぜ女性は管理職になりたがらないのか」と題した、日本女子大学現代女性キャリア研究所が開催したシンポジウムの抄録があります。

非常に興味深い、分かりやすい内容ですので、ぜひお時間のある方には原文を読んでいただきたいのですが、このなかに特にご注目いただきたい箇所がありますので抜粋いたします。

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女性が管理職を目指さない理由の最も大きなものが、「仕事と家庭の両立が困難になるから」という事実。
これは、男性にも言えることであるはずなのに、女性側が、この価値観を内面化してしまっている。
ここに、「パートナーや家族と協力して仕事と家庭を両立させる」という価値観はありません。あらかじめ、自分の側が多くを負わなくてはならないものとして、若い女性であっても管理職に手をあげることを躊躇している実態があります。

2)「家族と仕事の両立のため」に犠牲にされるもの

管理職はその責任ゆえに、属人性の高い案件を抱えます。
たとえば大きな意思決定が行われる大事な会議への出席。部下の代理。タスクの進行具合に応じて自分もプレイヤーとして参画したり、調整を図るなど多岐にわたる仕事を行っているわけです。また、それぞれの職掌や業務範囲に応じた情報開示・セキュリティの問題もあります。
だから、突発的なトラブルがあったときに、休めないし、休みにくい。

私の例でいうと、私は資格業ですから自分自身で行かなければ仕事にならない、という日がほとんどです。官公署での相談業務、自分が講師である企業研修、もちろん私自身が行く必要があります。
私がその場に行くことが出来なければ、その仕事そのものに穴が開くのです。
こうした仕事はほぼ一か月以上前に予定として組まれていますが、ここでいつも胃が痛くなるのが、「この時、子どもが熱を出したらどうしよう」ということです。
病児保育も登録してあるけど、でも、100%利用できるわけではない。
配偶者が早引けできるかどうかも分からない。
基本は元気な子どもたちであり、今まで「リスケ不可。何が何でもわたしでないといけない仕事」のときに発熱したことはありませんが、それでも「熱を出しませんように。保育園からお迎えの電話が来ませんように」と祈りながら仕事に向かうのは毎日のことです。
これは、子を持ち働く親御さんのほとんどが一度ならずご経験のあることだと思います。

また、子どもだけではなく、親の介護という問題もあります。
施設に入居しておらず自宅でケアを受けていたり、デイサービスを利用している親を抱えていれば、その食事の支度などの生活介助や送迎のために、同じような制約が発生します。また、発熱などお迎えコールも親の体質や身体の状態により、やはり同じように発生する可能性があるのです。

ここで難しいのは、上司が気を利かせて、「大事な会議だけど君は帰っていいよ」などという対応を取ってしまう場合が少なからずあることです。
それは完全な好意であり思いやりの結果で、これを喜ぶ方も勿論います。
でも、それによってやる気を削がれてしまうという方も、それによって昇進やスキルアップのチャンスを逃す方も、それを考えてモチベーションを下げる方も、たくさんいるのです。

子育ても介護も、当然のこと女性のみがやるべきことではありません。
ジェンダーとして女性が引き受けやすいという事実はありますが、絶対に女性がやらなければならないことではない。夫婦なり兄弟なり、家族のだれかしらと分担すればいい話です。もちろん、実態として一人っ子で双親を看るというようなハードケースもありますが、新卒入社時点でそこまで考えて管理職を選択肢に入れないという方は少ないでしょう。

要するに、女性も、「自分が管理職として働くと家庭が回らなくなる」と考えて、手を上げることを控えてしまっているということです。
手を上げることを控えれば、当然仕事の幅は狭まります。入社したときは同じスタートを切っていたはずの同期の男性がある種軽率に仕事を引き受けて経験・人脈を積んでステップアップしていくのを、自己犠牲的に手控えているうちに、出来る仕事の幅や範囲がどんどん少なくなってしまう。その結果としてやりがいやキャリア構築の限界を感じて離職するなど負のスパイラルが生まれます。

このシンポジウムのサマリーを読んでいると、実は評価者になることが多い男性管理職が女性の管理職・部下を評価するときにジェンダーバイアスをかけて評価していることも分かります。それは冒頭の図表の評価とも重なります。男性評価者の意に沿うように行動出来たり、男性評価者が理解しやすい形でのリーダーシップを発揮できた女性だけが、管理職として手を上げることができるというわけです。
そして、そのような女性たちは、名誉男性的扱いであったり、あるいは過度にホステス的な扱いを受けることもありますが、それも自身の目標達成のために飲み込む(飲み込まざるを得ない)ところがあります。

繰り返しになりますが、こういう構造が、「女性が管理職になれない」「なりたいと思えない」という場を形成してしまうのです。

先に引用した元記事で、「女性は100パーセントできる自信がないと手を挙げない傾向があります。」という一文があります。これは確かに事実かもしれない。でも、仕事と家庭の100%の両立って何でしょう?
どういう状態を「仕事と家庭が100%両立できている状態」と呼ぶのでしょう。
私自身の解は、「そんな状態は、ありえない」です。

私には娘が二人います。
この娘たちがどんな職業を選ぶのか、それは定かではありません。でも、だからこそ、この子たちがどんな仕事や働き方を選ぶことになったとしても、生き生きと生きていける社会を作る義務、社会をいい方向に向けていく責任が私にはあると思っています。
女性だけでなく、男の人も、どんなマイノリティの人も、すべての働く人がもっとのびやかに管理職を目指すことができる社会を、今私たちの世代で作っていかなければならない。
そのために、まずは、女性が、自分自身が抱えるその呪縛から解放される必要があります。もちろん、私自身も内面に取り込んでしまった役割期待、ジェンダー観を壊していく必要があります。これが本当にむずかしいことで、今回のように「それおかしくない?」と思ったときは、きちんと立ち止まって考える癖をつけたいと思っています。

「出る杭は打たれる」社会は、絶対に伸びません。
「出る杭を積極的に伸ばす」社会にするために、今私たちができること、私ができることとして、この記事を書きました。

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