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戦いではなく、対話が求められている【本の感想】ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から

新聞記者の筆者が米国駐留時代におこなった様々の取材を通じて見えてきた「科学がなぜ受け入れらないか」をテーマにしたルポタージュ。

「科学を受け入れていってもらうためには、科学の正しさを主張することではなく、相手に歩み寄って理解しようとするコミュニケーションが必要なのではないか?」
ざっくりいうと、これが筆者が見聞きしてきた現場から導き出された知見である。

これは非常に重要なことだ。
今日の世界が、科学の恩恵なしには成立していないことは、明らかなる真実である。ゆえに、科学を理解することは現代人の当然の義務であるように思われる。私自身も、そのように考えてきた。
そのようなスタンスの人からすると「反科学」的な思考を持つ人のことは、文字通り「理解不能」である。

本書では、2つの事例を取り上げている。1つは「進化論(と創造説)」、もう1つは「地球温暖化(とその否定)」。
今日、科学が明らかにしている中では、進化論、すなわち現生人類含めたあらゆる生物が、はるか祖先の生物からの変異によって進化を遂げてきたことは確定している。また、地球温暖化が進展し、異常とされる事象が起きつつあることもほぼ確定している。
したがって、たとえばそれらを認めない人には「反科学」というレッテルを貼ってしまいがちだ。

だが、この科学-反科学という対立構造こそが、現代の分断につながっている可能性があると筆者は指摘する。
トランプ大統領という、まさに「科学的な正しさはどうでもいい」というリーダーが投票によって生まれてしまったことも、この分断が関係していると見ている。

それこそ地球温暖化などは顕著だが、問題の解決のためには、世界人類のなるべく多くの割合の人が、問題の存在を認め、解決に向けた手段を取ることができる状況を設定することが欠かせない。
それなのに「科学」の立場にいる人が「反科学」の立場とほかの人たちをくくり、それこそ上から目線で「おまえたちがちゃんとしないのがいけない」と言っていたらどうなるだろうか。言われた側は、怒り、より拒絶を強めることが目に見えている。そして問題解決はますます遠のき、科学派だろうがなんだろうが関係なく、皆が不利益を被ることになる。

本書にも触れられているとおり「サイエンス・コミュニケーション」とは、科学の良さを一方的に伝えるだけでは、分断されていく状況下ではほとんど効果がない、というよりも逆効果になる可能性が高い。
そうではなく「相手の立場に立って、理解しようと努力しつつ、相手に合わせて共感を引き出す形で、情報が伝わるように届ける」。発信ではなく、対話的なサイエンス・コミュニケーションが必要になっていると考える。

科学に限らず、これは多くの領域に関して言えることかもしれない。正しさを主張して押し付けるのではなく、傾聴の姿勢から入り、新たな理解を共に作っていくこと。憎き敵を倒すのではなく、合意を育てていくことを楽しむ。

科学への反発はひとくくりにできるものではなく、テーマによって違う。同じ人がすべてのテーマで反対しているのではなく、 テーマごとに違う人たちがそれぞれ異なる理由で反対している。
ミルスタイン教授は指摘した。
「『科学への戦い』があるのではない」
「科学への戦い」という見方をしている限り、それぞれのテーマ で科学に不信感を持つ異なる人たちをひとくくりにして、「科学」の「反科学」の構図を生み出してしまう。ミルスタイン教授はこう提言した。「私たちはテーマごとに、反対している人たちの思いを聞く必要がある。それぞれの人たちと話をして、理解しなければならない。それは易しいことではないし、うまくやる方法が今あるわけでもない。しかし、その目標に達するために、まずは『科学への戦い』という言葉使いをやめる必要がある」
pp.220-221

★★★★☆ 4/5

ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から (光文社新書) (日本語) 新書 – 2019/5/21
三井 誠 (著)

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