ゼロから考える仏教学の手引【本の感想】ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す
日本に生まれ育ち、葬式仏教を仏教だと思って生きてきた私は、本当にこんなものが宗教として価値があるのか、という疑問を持っていた。というかはっきりいってなんの役にも立たないと思っていた。
本書は、その私の疑問というか不信感に見事に応えてくれた。
仏教学者の佐々木閑氏と、評論家の宮崎哲弥氏による対談形式で、仏教の原点からはじまり、仏法僧の3つの仏教の構成要素についての本質とその存在の変遷について語られていく。
個人的な驚きは、宮崎氏が仏教者だったこと(まったく知らなかった)、そして極めて質と量ともに豊かな仏教についての知を有していることだった。子供の頃にテレビの政治バラエティ番組かなにかで見ていた程度の印象しかなかった私には、かなり大きなインパクトがあった。
佐々木氏と宮崎氏の対談は、フットワーク軽く、それでいて充分な知識に基づく根本からの問い直しが連なる形で進んでおり、読んでいて飽きない。私自身は正直仏教関連の本を読み始めたばかりで知らない単語や概念もたくさんあるのだが、楽しく読めた。もう少し学びが深まってから再読したいところだ。
二人の仏教者としての立場が違うのもまた、本書の議論展開の魅力であろう。
[宮崎]
龍樹においては、言語こそが苦の淵源であり、無明を構成する重要な要素なのです。人が「ないものをある」と錯視しそれに執着する「増益」の過誤は、言語表現によってもたらされたものだと。
(P.144)
[佐々木]
どこに最初の一撃を加えれば苦しみの連鎖が止められるかという話と、その連鎖はどこに始まりがあるのかという話を混同すべきではないと思います。(中略)私はこの歴史的事実をもって、釈迦の思想と龍樹の言語哲学の無関係を主張するのです。もちろん、この前提の上で龍樹の言語哲学を肯定的に理解しているということは言うまでもありません。
ここが私と宮崎さんの立場の根本的な相違点ですね。
(pp.147-148)
ということで、立場が違っていつつも、前提を共有して、違いを明確化するという生産的な議論が展開されていく。読者にとっても結果的にそのポイントがわかりやすくなっているように思う。
徹底して「学問として」のスタンスが二人の著者で共有されており、そこからブレることなく話が進んでいくので納得感が高いのが本書の特長と言えそうだ。それでいて難解なわけではなく、初学者でも読みやすい。というか、初学者あるあるで些末のところに入っていく前に学問としての構造をわかりやすく捉えられるという意味で早い段階で本書に触れることは効果が大きそうだ。私も、今時点で読むことができてよかった(これから勉強するかどうかは未定だが)。
★★★★☆(4/5)
ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2017/11/24
佐々木 閑 (著), 宮崎 哲弥 (著)
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