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「Webディレクター」に特化した人材紹介事業をやってみたの感想。

こんにちは。助田です。

今日はタイトル通り、「Webディレクター」に特化した人材紹介事業をやってみての感想。ということで、「ほぼ0」からこれまでやってきた人材紹介事業というものを自分なりに振り返ってみようと思います。

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最終的には、どこにでもあるようなこんな感じの構造になりましたが、ここまで来るにあたっては、人生最大・最長の試行錯誤の連続性。今世は僕自身でこの事業をやることはない予定ですが、ご縁あるどなたかの参考になれば幸いです。

0からの人材紹介という事業の立ち上げ

人材紹介業というビジネスは、生まれて初めての経験だった。

それまで人材エージェント、紹介会社は、自らの転職の際に利用したこともあったが、どのような形で収益を上げているのかすらも曖昧な「ほぼ0」の状態。

そこで、はじめの一歩はすでに人材紹介業をやっていたパイセンたちを紹介いただいて、どのような収益構造で、どのへんが苦労して、こうやったらうまくいくのでは?など、惜しげもないご意見やアドバイスを頂いて、事業設計していった。当時のパイセンたちには感謝しかない。

簡単に言うと、人材紹介は有料職業紹介という資格を取ってそのルールに従いながら、正社員が欲しい企業に正社員として転職したい人を紹介し、内定が承諾されたら、採用企業から紹介手数料を頂くシステム。dodaさんのこの記事がわかりやすい。

実際にこんな感じかな、と試行錯誤してスタートしはじめの頃としては

・営業案件取ってこなきゃだな。
・求職者も集客しなきゃだな。
・カウンセリングもしなきゃだな。
・追うべきKPIってこんなにあるんやな。

やることめっちゃ多いやんけ・・(心の声)。

とにかく限られた社内リソースでやるべきめっちゃ多いことを、同時並行でめっちゃやっていかねばならないということになり、少し、いやだいぶ覚悟を決めないといけないと、酒を飲みながら自分へ常に言い聞かせていた当時。

僕はなるべく「らしさ」を重要視して、最少のリソースで最大の効果を得られるように、小さく始め、走りながら考え、考えながら走る手法を選択した。

競合他社との差別化どうしよう問題

人材紹介を行っている会社はめっちゃ多い。具体的な数はどうでもよくなるくらいたくさんある。誰に相談しても「レッドオーシャンっすね(笑)」と揶揄されてきた。

求職者は転職を考える際に、大手人材エージェント中心に複数社登録して様子を見る人が圧倒的に多い。

そこで競合他社との違いみたいな要素を考えてみることに。そして当時の1年前に大手人材紹介会社に登録してみたメモがEvernoteに残っていたので、改めて見返してみた。

そこから得た感触として

・電話によるカウンセリング。希望はWebディレクターって言ってみた。
・その女性カウンセラーはWebディレクターという職業をあまり理解していないようだった。
・僕は当時30代中盤だったが、あきらかに20代のカウンセラーから、年齢分くらいの求人に応募しないと受からないかもと軽く言われた。
・求人案件もWebディレクターという名の案件は山ほど出てくるが、要件がバラバラ。
・対応も事務的、流れ作業的な感じで、相談しやすい親しみやすさは感じられなかった。

などとメモには書いてあった。自分にメモを残す癖があってよかったと改めて思った。

大手ということもあり、求人数は鬼のように提案してくれたけど、確かにこれは同じようにネガティブに感じる求職者もいるんだろうなとスキも見た。

また面談を進めるに当たり、最初の方に選考が進んだ案件で承諾を決めるケースが70%ほどというデータも見えてきた。

これら+α踏まえた点として、差別化ポイントを考えた。

・親しみやすさ
・相談のしやすさ
・初速の速さ
・専門性

これらの要素を取り入れて、施策を練った。練りに練った。練マザファッカー。

・親しみやすさ
→SNSなどで趣味など仕事以外のことも発信。
→格好もなるべく普段着。語り口調もやわめにゆるやかに。
・相談のしやすさ
→極力メール使わず、SNS、クラウドと普段仕事で使っているであろうツールを利用。
→コワーキングスペース最大利用
・初速の速さ
→方針を決定する面談実施、提案数の絞り込み、提案までの超効率化
・専門性
→Web業界、経験したWebディレクター特化
→講座開発、メディア発信で専門性を深め広め続けるPDCA

よしなんとなくこれでいこう。という決心。

Webディレクターに特化した最大の理由

これは前述した内容にも被るが、最大の理由は自分が「経験者」だったから。

先日、ディレクション検定の件で、田口さんと話したとき、全国にWebディレクターって数万人の前半くらいしかいなさそうだよね、なんて大手エージェントからしたら、レッドオーシャンにも関わらず小粒のマーケットである。

・大手含めて競合人材エージェントに職務理解は勝てるかも?
・Web業界、Webディレクターのアセットを意外と持ってるかも?
・曖昧な求人票も多いので、企業側にもアドバイスできるかも?

ちょうど時期を同じく、自社コワーキングスペースで活動をするイベントなどを増やしたかったタイミングでディレ協発足の動きがあったのもあり、上記仮説を形にしたくなってきた。

大きな「苦労」は避けられた営業活動

そのころから、「Web業界特化!Webディレクター経験者がサポートする人材紹介サービス」というフレーズで周辺に言いまくっていた。逆に売りがこれしかなかったとも言える。

本格的に事業を開始したのが2015年くらいだったが、当時、Webディレクターの求人バブル全盛期。(今以上だったかも)。それから年収もどんどん上がっていた。

ちなみに、これまでアウトバウンドの営業はほぼしていない。したとしても、初めましてのドアノックでも返信率が高い。その結果、「良いWebディレクターいませんか?」って企業からの要望をたくさん聞くことができた。

その後、ディレ協や人事担当のつながり、その他、業界の知り合いからの紹介により契約件数は段階的に伸びていった。

事業スタート時期、大手デジタルソリューション会社の人事の方から「Webディレクター特化のエージェントさんってあるようでなかった。絞りすぎてて逆に心配ですが(笑)、僕もディレクター経験者ですし、ニーズ絶対にあると思います。応援するんでぜひ続けてください!」と言われたとき、涙モノに嬉しかったのと同時に、少しづつの手応えも感じ始めていた。

知り合いのベンチャー制作会社から始まり、だんだんと事業会社などからのお声がけも広がっていって、誰もが知っている大手事業会社からもダイレクトでオファーが来たり、ディレクター50名欲しいって言われたり、ほぼ毎週アポがあって、世のWebディレクターニーズを毎日実感できるようになっていった。

「苦難」しかなかった集客活動

予想以上のペースで求人票が集まりだす一方、集客面ではずーっと苦難が続いた。

Wantedly!、Facebook、Twitter、SEO、リスティング、LP、DBスカウト、媒体、主催イベント、共同イベント、講座、共同講座、ブログメディア、お友達紹介キャンペーン、朝面談。他にもやれることを片っ端からいろいろやってみた。

当時ディレ協でコンテンツ・メディアのノウハウを教えてもらい、「Webディレクター進化論」というメディアを立ち上げ、日々感じたこと、出せる範疇で得られた情報の目一杯を、とにかくポストしていった。

が、手応えという手応えが無い日が続き、目標をなかなか超えられない苦しい日々が続く。4文字でいうとまさに暗中模索。正直、大手人材エージェントのテレビCMや電車広告などが羨ましくてしょうがなかった。

せっかくいいサービスをやっているという自負があるのに、その価値を知ってもらわないと何も始まらない。メンバーとは毎週に渡って、同じような議論を繰り返すも、依然変わらない状況に焦りを感じていた。

そんな中でも過去にカウンセリングをした人だったり、応援してくれる、懇意にしてくれる方々の紹介だったり、真摯に「人」と向き合った結果、少しづつ成果が出始めていった。

ここでもやはり「経験者による専門性」というのを軸にして、のちに実施する講座やカウンセリングで伝えていることをPDFにまとめて、地道だが確実に「信頼」を積み上げることに集中しながら、ひたすら仮説検証を繰り返した。

独自のカウンセリングを絞り出す

カウンセリングに関して、社内には公に「キャリアカウンセラー」を名乗れるGCDF-Japanの資格所持者がいたので、ベースとなる情報を近くで聞くことができたのはとてもラッキーだった。

「Web業界特化!Webディレクター経験者がサポートする人材紹介サービス」なので、まずはWeb業界について触れることを第一とした。

Web業界はひとくくりにされがちだが、BtoB、BtoC、ベンチャー、中小以上の4つのエリアでWebディレクターを経験していたので、各所の違いというのを経験として知見を持っていた。

同じ職種で転職を繰り返したり、フリーでいろんな案件をやってて、結果的によかったと思える点の一つかもしれない。

周辺のWebディレクターたちにヒアリングしながら、エリア別に何が違うのか、どうすればいいのか、を繰り返しテキストに落としていった。

とりわけ、BtoC×ベンチャー領域は求人数が少なかったのもあり、独特の文化醸成がある企業が多いと感じて、人材エージェント利用よりも、ダイレクトリクルーティングや、リファラルのほうが良いのでは、と思っていた理由で、提案するプライオリティを下げた。

次にスキル面ではディレ協の講義内容にならい、ディレクションのフェーズを4つ(【企画】、【設計】、【制作・開発】、【運用】)に分解して、それぞれ汎用的に必要だと思われる要素を洗い出し、現状の整理と目標の方針、キャリアパスを求職者とすりあわせた。

加えて、Webディレクター経験者の視点で「僕があなただったらこうする。」という主観混じりの客観的な意見も加えて、選考はプレゼンテーションという立ち位置として、採用企業の情報を集め、受け身ではなく、提案していくスタイルを提唱していった。

独自の講座を絞り出す

苦戦し続けた集客面で一つの光が見え始めたのは、一つの決断だった。

それまで僕は人前=表に出る立場を封印してきた。正確には封印というより、自分にはできないと思っていた。ディレ協でも事務局という裏方をこなし、自分はWebディレクターの現役ではないから、という理由でせっかくの講義のお誘いも全て断っていた。

事業を開始して1年ほど経ったある日、集客「苦難」への悶絶に疲弊していた当時インターンの合田マンから、「考え尽くした結果、もう助さんが表に出るしか無いっす。」と五反田の居酒屋で言い放った。

「自ら講義をやる。」もはやその時点で答えは一つしかなかった。

もうやると決めたらまず手が動くタイプなので、面談での経験をテキストにまとめて、講義の骨子を作り上げた。スライドに落とし込んで成形、盛り込んでは削ぎ落としを繰り返してたら、5年間でパワポのリバイズは800を超えた。

テーマはいろいろ試行錯誤したが、最終的には面談でもそのまま活用できるように、Webディレクターという職業を参考に、自分のキャリアを棚卸してみるという講義+ワークショップの形に収まった。

当時、ディレ協でもお世話になっていた、ストアカの藤本さんに相談したら、Webディレクションのカテゴリは講義の数が少ないので、実施してもらえると僕らもありがたいという温かいお言葉を頂戴し、とにかく実施できるように告知を毎週毎月繰り返した。

土曜日に1名の参加予定で待ちぼうけ→ドタキャンという悲劇の日がある一方、平日夜に15名ほど集まってくれる歓喜の日もあり、不格好ながらもブラッシュアップを繰り返すことができていった。

独自のイベントを絞り出す

講座終わりに1時間位、参加者とコワーキングスペースでビールを飲むことが増えてきて、めちゃくちゃフランクに悩みを聞けて、参加者同士で情報を共有しあえるいい機会だと感じた。

今だから言えるが、中にはそのまま朝まで語りつくした参加者までいた。

同時に講座やイベントで接点を持った人たちのモヤモヤを顕在化して、いち早くキャッチできるきっかけを作る必要性も感じ始めていた。

Webディレクター現役の頃、苦戦したプロジェクトを共にしたPHP担当のエンジニアがチャット名に記載していた「404エラー(not found)-自分が見つかりません。」という表現を引用し、Bar404と命名、毎週火曜日に実施すると決めた。

「ただ呑むだけの悩み、情報の交換イベント」という人材エージェントの立場ではなかなか企画しにくいフランク過ぎる切り口だったので、誰かに怒られたらやめようというくらいの感覚でやってみた。

これもしばらくメンバーの天野と2名しかいない苦悩な日もあったが、根気よく続けていくうちに、段々と人が集まってくれるようになり、2020年3月現在も続いているイベントになっている。

最後に一言

そんなこんなで、気づいたらなんやかんや8年の月日が経っていました。

こうしてじっくり振り返ってみると、もう苦難の連続で暗中模索もがきまくった先に、何かしらのチャンスは巡ってくるんやなあ、と同時に、それこそいろんな人に支えられて成り立っていった事業でもあったことHIPHOPバリに感謝です。

EPARKさんと6ヶ月に渡り連続した採用イベントを実施した際に、メインテーマとなった「事業のスタートアップとグロースハック」は、悩みの渦中にいた自分にとっても、非常に参考にさせてもらったと記憶しています。

また多くの企業から「良いWebディレクター欲しいんだ!」と要望をもらっていたにも関わらず、そのほとんどに応えることができなかった非力さに無念ではありますが、今回の経験を基に今後も「人」と真摯に向き合い、精進していきたいと思っています。

※2021年6月現在は人材紹介業を卒業しております。

待ってろ今から本気出す。

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