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[書評]川上徹也『江戸式マーケ』|マーケティングの「普遍」と「流行り廃り」そしてメソッドが網羅的にわかる書

商売といっても手法は日進月歩で変化している。マーケティングもしかりだ。だが、「それらしいマーケのワード」が流行ってすぐ廃れたれるなんてことはザラだし、旧来の手法が実は適切で、反対に新しい手法が鳴かず飛ばずだったり、もっと昔の「古来からの手法」が新しい装いで令和の時代によみがえる、なんてこともある。マーケティングの手法ひとつ取っても、通奏低音のように響き続ける普遍的なエレメントと、時代性、地域性、個別性(=個々の人の性質みたいなもの)に合わせて編み出されてきた時機相応のエレメントがある。それをわかりやすく教えてくれるのが、川上徹也氏の『400年前なのに最先端! 江戸式マーケ』(文藝春秋)だ。

本書は、江戸時代の優れた商売人、マーケターたちの商法戦略を具体的に紹介し、そこから「400年前の仕事なのに、令和においても当時の手法は先端的といえるぞ」という逆説的な驚きを読者にもたらしてくれる。登場する人物たちは決して有名人ばかりではない。「三井越後屋」の三井高利や伊能忠敬がでてきたかと思えば、「耕書堂」の蔦屋重三郎や川村瑞賢といった、歴史的に知名度がそれほど高くない人々も紹介される。

私は物書きのはしくれなので、このテの本を成就するのにどれだけの工数がかかったかを想像することができるが、歴史とマーケ、どちらもに目配せしながら資料を漁る作業は途方もないレベルだったと思う。ちょうどご本人が制作期間についてツイートをしていたのを発見した。

企画構想7年、執筆1年である。それもそうだろう。全登場人物の資料、それも江戸時代のことを示す資料にどうアクセスして読み込んだのか。努力を思うと、驚嘆というより呆然とさせられる。すごい。ただひたすら、すごい。そんな血と汗の結晶ともいえる本書を、われわれは一冊にまとめられた書物として、わずかな料金で読めるのだ。マーケティングの基礎から応用までのおさらい、現代の企業事例も知ることができる本書は、「江戸式マーケ」と「現代マーケ」との比較もそうだが、潤沢な情報にこうしてコミットできる現況と江戸時代を比べるにしても、隔世の感を抱かざるを得ない。

事例:越後屋・三井・三越の三井高利

「三井越後屋」の三井高利(みつい・たかとし)を例にとろう。

マーケ目線でみたときに、彼が行ったと言い得るのは、越後屋の認知向上とブランディングだ。たとえば彼は、傘のシェアリング・エコノミーを始めた。当時は、にわか雨が降ると、人は雨宿りをするしかなかった。傘は高価だったので、「ちょっと小雨が降ってきたから買おう」というわけにはいかない。運悪く濡れてしまった人は、風邪をひいてしまう。そこで越後屋は、傘の無料貸し出しを始めたのだ。これが町人に大ウケした。しかも傘には越後屋の大きなロゴがついている。町行く人たちが越後屋の傘をシェアし合う過程で、人々は「越後屋」のロゴを頻繁に目にするようになったのだ。これが当時の江戸で“新参者”だった越後屋の認知拡大に役立った。

ここに加え、驚くべきことに三井高利は、広告キャンペーンに打って出て、効果測定まで行った。まず、キャッチコピーが秀逸である。

現金安売り掛け値なし

語呂がいいのもそうだが、短句には深い意味もある。

それまでの江戸では、店頭で、対面で商品を販売する「店前売り」がほぼ行われていなかった。それには当時の“現金”の質にも事情があるのだが、それに関しては本書で確認してほしい。越後屋はそんな時代にあって「店前売り」を実現した。支払い面でも、現金払いによる「貸し倒れリスクのない」販売手法を採用した(これも当時、画期的だった)。たとえば、当時も現在もそうだが、たいていの商品に存在する「規格」――反物(たんもの)なら、一反、二反という単位で販売される――を、ある意味で“壊し”て、お客さんの手持ちの現金事情に合わせて「一反、二反」の単位とは違う、「必要な分だけの切り売り」を始めたのだ。これにより、店頭での現金のやりとりだけで売買が完結するようになった。町人はそこにメリットを感じる。そんな意味もこめて作られたのが先のキャッチコピーだ。現代語訳をすると

「どんなお客さんにも、現金で、値札どおりの安い値段で商品を提供します」

となろうか。

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三井高利は、このコピーが入ったチラシを江戸中に配り――当時の江戸の人口50万人に対し、5万枚以上を配ったといわれる――売り上げにどれだけ還元されるかを効果測定さえした。これも驚きである。何と、初動3カ月で60%増を記録したという。三井の広告測定は恐らく世界で初めての取り組みで、だから、かの経営学者ピーター・ドラッカーをして

「マーケティングは1650年頃、日本で三井家の始祖(三井高利)によって発明された。シアーズ・ローバック(アメリカのデパート)の基本方針よりも優に250年も先んじていた」(『マネジメント』野田一夫ほか訳、ダイヤモンド社、要約)

と言わしめたのである。すさまじき先駆性である。

本書には、こうした江戸時代の事例と、現代の企業のマーケティング成功事例が多数、載っている。さらに――繰り返しにはなるが――マーケティングのメソッドも網羅されている。

ぜひ、ビジネスシーンで汗を流している人は、この本を手に取ってみてほしい。読後には、世界の見方が変わっているはずだ。明日から仕事に役立つ知恵すらも、あなたにもたらされるだろう。もちろん、エンタメとしても本書は画期的である。


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