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人事・組織マネジメント等を行う株式会社TRAY代表・伊藤華代の自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

市場が流動化し、人材確保が年々困難になっていると言われる。「状況は厳しくなるばかりだ」という企業も多いだろう。だからこそ人材に関するサービスへの需要はますます高まっている。

今回ご登場いただく伊藤華代いとうはなよ)さんは、企業の採用強化・営業強化・チームビルディングや人事・組織マネジメントのコンサルティングを行っている株式会社TRAY(トレイ)で代表を務めている。彼女の役目もまた時代変化に応じて重さを増してきている。

ここでは彼女の人生史をひもときながら、同社が定評を受けている理由に迫るとともに、人材育成や組織マネジメントにとって大切なことを学んでいきたい。

――御社のサービスは大きく「人事強化/営業強化/採用強化/管理職強化」に分けられます。最終的には各組織が自走できるようにしていくのが狙いだと思いますが、難しさは多々あるでしょう。

だからこそ楽しいと私は思っています。組織によって課題は異なります。最適解を見つけることは、難しい。でも、それゆえにやりがいもあるんですね。お客さまから声をかけていただいたら、まずは徹底的に相談に乗ります。課題は何か。現状はどうか。問題を洗い出して優先順位づけをし、お客さまに伴走しつつ施策を練っていきます。仰る通り、最後はお客さまの組織に自走していただく形にしたいので、人材・リーダーの育成も行っています。

少し表現が難解になりますが、弊社が大切にしているのは、主に「やり方のインプットとやり切らせる推進力」「成長実感と業績向上の連動」「通期戦略から日々の行動スキームまで一気通貫」の3つです。これらは自身がキャリアを積み、マネジメントを経験する中で得たポイントになります。

「しっかりしているね」と言われた子ども時代

――どんな経験を積まれたのか早速お伺いしていきます。まずは人生史的な視点から。幼い頃、伊藤さんはどのようなお子さんだったのでしょうか。

幼少期は、まさに長女的というか、「しっかりしているね」と言われていました。父も母も英語の教員で共働きだったこともあり、小学2年生の時にはすでに夕飯を作っていました。キッチンに手が届かなかったので、イスを台所に持っていって調理したのをよく覚えています。そこから何年間か、私が家族の夕食を作り続け、高校生の時には朝食と両親のお弁当も早朝に作るようになりました。

――確かにしっかりされていますね。

でも、子どもながらに反抗したい気分はありました。高校時代は特にそうでした。たとえば大学の受験勉強についてですが、他の子たちは大抵、塾に行ったり家で勉強だけしているような感じです。しかし、私はといえば帰宅したらまず掃除機をかけて、お米を研(と)ぎ、夕食を作るんです。何と言うか、それって「不利」じゃないですか(笑)。その時は「なんで私が米を研がなきゃいけないの」って泣きながら料理していました。

――いま伊藤さんは独立・起業されていますが、ご両親の影響はあったと感じていますか。

共働きの環境で育ったからか、私も「何があっても仕事は絶対に続けたい」とは思っていました。結婚しても、子どもが生まれても、です。特に母の影響が大きかったかもしれません。子どもたちから人気があった教員としての母をよく見ていました。生徒さんたちが家によく遊びに来ていましたし、その中には、髪を染めていかにも悪そうな子もいましたが、母は信頼されていましたね。また、私が大学生の時にロンドンに母が留学に行ったんです。それで、大学の卒業旅行で私がロンドンを訪れると、母がすごく楽しそうで(笑)。大人になっても留学して再びの学生生活までエンジョイしているのを見て「自分のやりたいことをやっていて、いいなあ」と思いました。

リクルートに就職。評価・受賞歴多数

――自分の生きたい人生を生きる。そんなお母さまの姿に触発されていたのかもしれません。

その母ですが、母の母(=伊藤さんの祖母)から「自主自立」とよく言われたそうです。だからかもしれません。私も母から「自立」ということをよく言われていました。私自身もかなり早い段階から自立を意識していたと思います。大学時代には(これも両親の影響でしょうか)教職免許をとりましたが、最終的には社会経験を積みながらいろいろな人に出会いたいと思ってリクルートフロムエーの販売会社(現・株式会社リクルート)に就職しました。

――はからずも伊藤さんは、仕事選びにおいて自立心からかリクルートを自ら選択されたのですね。最初に担当されたのはどんな業務ですか。

飛び込みの営業です。これがすごく楽しくて。成果を出すと、とにかく褒められるんです。一気に夢中になりました。数字を出すこともそうですし、営業提案のナレッジコンテストなどにも全力で取り組みました。

――事前に頂戴した資料によると、伊藤さんはリクルートグループ全体のナレッジコンテストでブロンズ賞を受賞されたそうですね。また、新人賞や多数のMVP、社長賞も受賞されています。

営業手法の探求に全開でした。たとえば当時の私の仕事は、クライアントさんに求人広告を出してもらって、その効果などでクライアント企業への採用者を出す・増やすことを目的にしていました。なので、「どのように広告を出せば採用者をより多く出せるか」という問いを――ほとんど正解はないのですが――自分に常に課していましたね。でも、それが楽しくて仕方がなかったです。

――それほど仕事が軌道に乗れば、自信もつきます。

クライアントさんから期待されるようになると、その期待に応えるのも楽しくなりました。今から考えると、調子に乗り過ぎていたと言えるかもしれませんが、「どうしたらお客さまをお望みの場所に連れて行ってあげられるか」みたいなことを毎日考えていました。

仕事に暗雲。2度の挫折を味わう

――しかし、後に挫折を経験されるそうですね。

特に2回大きな挫折を味わいました。1回目は入社10年目を過ぎた頃でしょうか。メインクライアントが広告・採用を突然ストップしたのです。私がどんなに新規受注をしても、他のグロスを伸ばそうとも、焼け石に水という状態に陥りました。それが部全体の数字にも影響したため、私は急に「部の売上が達成できないのは伊藤さんのせい」という状況に置かれます。心が折れかけました。「伊藤さん、今月どうするんですか。考えてくださいよ」と言われるたびに「考えてはいます」と言ってやり過ごす日々……。成果は全然出せないわけです。そうなると、ミーティングをしていても他のメンバーがキラキラ見えて、「それに引き換え、私は無力」「私がここにいる意味なんてない」と思うようになりました。いたたまれない気分が強すぎて、ただそこにいるだけで泣きそうになるという時がずっと続きました。

2回目の挫折は、育児休暇後に復職した時のことです。当時マネージャーだった私ですが、復帰後は一営業マンに戻りました。ところが、まったく売れなくて……。

――つらい……。1回目の挫折では精神を壊しかけていたかもしれません。

会社にとって自分は「迷惑でしかない」と思ったのです。でも「このままじゃダメだ」と思って、悩みながらも考え方を改めました。大事にしたのは「会社にとって自分がどうか」ではなく「自分はどうか」だけに悩みや思考の的を絞るということです。「会社にとって自分がどうか」を考えてしまうと「自分なんてダメだ」となりますが、「自分はどう?」とだけ考えたら「今日は会社に行ってちゃんと働けた」「スケジュール通りに過ごせた」、だから「偉い!」と自分を褒めることができたんです。ささやかかもしれませんが、そうやって自己肯定して、自分を認めることを続けました。すると、薄紙を剥ぐようですけど、少しずつ自らの可能性を信じられるようになっていきました。

苦境の時に起きたマインドチェンジ

――素敵ですね。会社から褒められなくても、自分で自分を褒めることを地道になされた。

この経験を通して、私は「苦境に遭うと、自分ってこんなにもグラつくんだ」と気づきました。また、自分が「他人にどう見られるか」「会社からどう褒められるか」を軸に働いていたことにも気づきました。自分の中に軸がなかったのです。それでは苦難のたびに振り回されてしまう。そこで私は「小さなことでもいいから自分で自分を認められる人になろう」と決めました。少しずつ日々の自分を褒めていくのです。そうしていったら、しばらくして「マネージャーにならないか?」という話をいただきました。

――成果の花が咲かない日もじっと耐えて、せめて根を伸ばしていた。そうしたら、昇進の話が来た。

1回目や、特に2回目の挫折を経てですが、一人ではどうあがいても成果が出せない中で、私も少しずつ誰かと協同して営業を進めていくというマインドになっていったんだと思います。皆で相談し合いながら仕事を進めていくということに挑戦していた。それまではハンドルを握ったら他の誰にも握らせないというような性格でしたから、ここは変わったと思います。

マネージャーになるも苦心。そこも逆転

ですが、マネージャーになった当初は悲惨でした。マネジメントが全然できなかったのです。若手メンバーが一杯いる部署でマネージャーをした時もメンバーから嫌われて、「あなたにはついていけない」という長文の手紙をもらったほどです。明らかなコミュニケーション不全に陥っていました。なので、当時の360°評価シートも散々でした。部下からの評価が、とにかく酷かった(当然だなと反省しきりですが)。でも、それだけ凄惨だったからこそ、この時期は私にとってマネジメントの原点になっています。むしろこの原点は忘れてはいけないと思って、当時の360°評価シートは今でも持っています。組織マネジメントの相談に来られるお客さまにシートを見せると「こんなに……」と驚かれます(笑)。

――そんな伊藤さんですが、一方では、大手領域の営業部マネージャーによる国内メーカーへの新規営業プロジェクトが評価され、リクルートグループ全社の営業コンテスト代表に選出されています。

ギャップがありますよね。とはいえ、ひどい嫌われ方をしていたマネージャーからの「Before-After」みたいな経歴を踏んだことは、組織マネジメント・コンサルティングの今の仕事にとても活きています。

――マネージャーとして成長していく中で、特に大事だと思わた点は何でしょうか。

先ほど2回目の挫折の話をした時に「産休から戻って営業マンになった」という話をしましたが、「まったく売れなかった」時に他のメンバーに頼るようになったんです。プライドも何もなく、素直にアドバイスを請うようになりました。そうしたら同僚がめちゃくちゃ丁寧に教えてくれて。また、泣き言なんかも言えるようになりました。すると、同僚と楽しく話をする機会が増えたんです。この時に痛感しました。「こんなにも素敵な人たちが身近にいたんだな。役職・職責や年齢、学歴、バックグランドなんて関係ないんだな」って。

この感覚には、実は原体験があります。それは産休の時で、年齢などに関係なくママ友とおつき合いをして絆が生まれたことがあったんです。その時に私は「年齢やバックグランドに関係なく、目の前にいる人は素晴らしい」し、もっと言えば「誰もが、素晴らしい」と心底思えました。同僚にも、それと同じことを感じたんです。

――よく考えてみると、学歴や職責は他人が考えた評価軸ですね。ある意味「他人軸」の尺度と言える。それは、本人の価値とは必ずしもイコールではありません。

それまでの私は、どこかでメンバーを「売上」や「達成率」、つまり会社が与えた営業マンとしての評価軸をもとに彼・彼女を見ていました。売れていない子は「売れていない子」という目線をメインに見てしまっていたのです。実際の人間の価値はそんなものでは測れません。この考えが改まった経験は大きかったです。

――「人を数字で見てはいけない」とはよく言われますが、理屈でわかっていても知らず知らずのうちにその「魔の見方」をしてしまうことがあります。

理屈も大事ですが、納得することはもっと大事ですよね。心底「腹落ち」すること。そして理論を心身に馴染ませること。誰かに教えられた正論を無理やり実践した時ではなく、「身に沁みてわかる」が体感された時に私は変わりました。だから、現在の仕事でも納得は大事にしています。

それで、2回目の挫折についてですが、最終的には営業成績についても、同僚に相談できるようになってから実績が積めるようになりました。私の心がオープンになったことで、お客さまにも影響があったのかもしれません。

――他人軸で自分や他人を評価するのではなく、自分軸で人と接する。軸足を自分に持っていったのは、ある意味で「自立」と言えます。

確かに、仰るとおりですね。

やがて独立。そして自立の今

――そして、いよいよ独立をされます。理由は何でしょうか。

リクルートの営業スタイルはとても素晴らしいのですが、それ以外の世界も見てみたいと思ったのです。いろいろな企業と接しながら、新しい営業スタイルを一から作る仕事がしてみたいという欲求がわきました。また、子どもが小学校に上がるまではある程度時間がコントロールできる働き方がしたいという願望もありました。

――そして今は人事・組織コンサルなどで自立して働かれています。

ありがたくも、お引き合いをいただいています。

――個人的に興味深いと思った点があります。伊藤さんは人生の中で、自立を大切にされてきました。先ほどの「他人軸→自分軸」という思考転換もそうです。その自立の仕方ですが、時を経るごとに変わってきています。

本当ですか。ぜひお話をお伺いしたいです。

――たとえば、売れた営業マン時代は孤高の存在というか「一人立つ」感じでした。ですが、そこからやがて他の人に頼れるようになると、今度は「自立式電波塔の東京タワー」みたいに、いろいろな支柱=メンバーに支えられながら自立できるという状態になった。裾野が広がった気がします。

思い返してみれば、そうかもしれません。少なくとも「一人」では限界があると感じていましたから。今は、まわりにいてくれる方々のご縁やきっかけを大切にしながら生きています。意外なマッチングや、出会った人からもらう機会、チャンスがめぐってきたら「とりあえず乗っかってみる」という生き方を私は採用しています。これは、リクルートの一営業マン、プレイヤー時代には考えられなかったことでした。

――そういったご縁やチャンスに素直に頼れるようになったことで、自立の東京タワーの裾野はさらに広がって、今では山というか、よりなだらかな広い裾野で自立している感じになっていると思うのです。

それはおもしろい視点ですね。私の祖母が言っていた「自主自立」というと重たいイメージがあるかもしれませんが、私の実感としてはライトに頼って、それで自立している感覚です。ライトに人に頼りつつ、自分自身はよりありのままになれてきているというか。

――そのライトな「頼り」のつながりの広さが、私の言う「裾野」になります。裾野が広い自立であれば、少々の風が吹いても倒れません。

お話、当たっている気がします。これから私は、たとえば人の人生史をまとめるライフブックを出したいと考えています。昔ならそこに着手する際の発想は「私が書く」でした。でも今は「素晴らしい人に書いてもらえばいい」と思えるし、実際その方がいいんですね。さらには「その書き手の活躍を後押しするのが楽しい」とも思えます。確かに、私は自立を意識して生きてきたと思いますが、自立の立ち方の裾野が広がってきているというのは目から鱗です。裾野、広げていきたいですね。

思えば、株式会社TRAYの営業強化も、昔であれば、顧客先の売れない営業マンに、直接、指図をしていたと思います。でも、今は「営業マンがいかに楽しく、いい感じで働けるか」にしか興味がありません。指図はせず、むしろ「皆がやりやすくなるように困っていることのお手伝いがしたい。それは何だろう」と考えてうまくサポートしています。その方が直に指図するよりトータルでいい感じになっていくんです。

――お客さまを「リード」していくというより、「サポート」していくという感じですよね。そうした方が、最終的にお客さまが自立して自走できるようになると思います。

私は「私のしたことで自分が喜ぶ」ことよりも、私のサポートを受けながら「お客さまが自分の手で行ってお客さま自身が結果を出して喜ぶ」ことの方が嬉しいんです。こう言ってしまうと強い言い方になるかもしれませんが、「自分の喜びよりもお客さま(=他人)の喜びの方が嬉しい」という実感が本当にあって。ここを追求していけば、もしかしたら自立の裾野がさらに広がるかもしれません。今、そんな気がしています。

――本日は貴重なお話ありがとうございました。


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