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[書評]佐々木成三『スマホで子どもが騙される』――想像以上にスマホは犯罪・危険の入口だった。

以前、SNSに投稿された顔写真の瞳に映る景色から、アイドル活動をしている女性の居場所を特定し、わいせつ行為にまで及んだ男性の事件があった。事件を起こしたこの男はなんと、彼女の投稿をさまざまに分析し、部屋番号まで特定していた。

SNS投稿画像から個人は特定できる。簡単に

これは、他人事ではない。私自身、この事件の一報を聞いた直後、知人のSNS投稿の写真を少しいじってみた。それは窓越しに外の景色を撮った画像。そこにちょっとした処理を施すと、元画像では映っていないように見えた撮影者自身=知人の姿が浮き上がってきた。

これは、ほんとうに危ない、と思った。

本書は、そんな危険に警鐘を鳴らす好著である。元捜査一課刑事でデジタル捜査班長もしてた佐々木成三氏は、具体例や実際の事件を取り上げながら、スマートフォンやSNSがいかに犯罪者にとって"便利な"代物かを教えてくれる。もちろん個々の危険に対する対策も添えて。ただ、どんなに注意を払っても、気がつかないうちに危険投稿をしてしまうことは誰しもがある。今は小学校低学年であってもネットに投稿をする時代だ。オンラインゲームのチャットはその最たるもの。ウェブ犯罪や危険に触れるか否かは、最後はそのスマホをタップする子ども(あるいは大人)の判断による。そこを見逃してはならない。ネット時代・スマホ時代にこそ必要なリテラシーのありようを本書は示している。

ネットで知り合った人と違和感なく会う子ども

本書冒頭に、衝撃的な調査結果がでていた。なんと、小学4~6年生の女子の56%が「SNSで知り合った人と会ってみたい、会ったことがある」と答えたというのだ(情報セキュリティデジタルアーツ調べ)。それを受けて佐々木氏はつづる。

『子どもたちはなぜ、わざわざ犯罪者と接点を持つの?』。こんなふうに思う親御さんも多いかもしれません。でもその理由はただ一つ、『犯罪者だとは思っていないから』。これにつきます」(『スマホで子どもが騙される』4頁)

これについては私も思うところがある。

オンラインゲームにはまっている友人の子ども(小学1年生)は、ゲーム上に"師匠"がいるという。その師匠はゲームの世界では相当に腕が立つようで、敵陣をキレイに粉砕するさまは壮観だというのだ。

問題は、その子が師匠に心酔していたことである。親=私の友人が「いや、師匠っていっても見ず知らずの人でしょ? プロフィールに5歳とか色々書いてあるけど、ウソかもしれないよ」というと、その子はキッと親をにらみ、「師匠を悪くいうパパは嫌だ!」と言い放ったという。

オンラインでつながった人との関係は、親が考えるほどドライではない。本書は、上記のような話に近い事例が紹介されている。とてもリアルで寒々とするような、オンラインで知り合った人と子どもとの"絆"が描かれている。絆を信じる子どもにとって、相手は信頼できる人であり、ある意味で"旧知の"仲にある友でもあるのだ。その相手に対し、「犯罪者かも」という疑念を子どもが抱けるだろうか。何かを教えなければ、恐らく、危険に飛び込むと私は思う。

投稿内容から個人を特定するのは、案外、容易

スマホやSNSの危険と向き合う上で大事なのは、「私は大丈夫」「うちの子は大丈夫」という思い込みを脱することだ。多くの人が、スマホの危険性について"知っている"と思い込んでいる。フィルタリングや制限をかければ子どもも安全だろうと信じている。実際は、そんなことはない。大人が若い女性と会う「パパ活」などは危険の代表みたいなものだが、ウェブを介した新型の信頼は、子どもを、拳銃や薬物、闇バイト・犯罪加担にまで接近させる。

たとえば、「電車が人身事故でストップ! 今日は学校に行けなくてラッキー」と駅のホームの写真とともにSNSに子どもが投稿したとしよう。その投稿時間は、イコール通学時間ということだから、「この子に会いたい」と思えば、その時間帯に張り込めばいいということになる。もちろん制服などが映っていれば、学校を特定するのもたやすくなる。自宅での自撮りも、安易に投稿すれば足がついてしまうことは冒頭でつづったとおりだ。「明日は文化祭」といった文言一つでさえ、学校特定の要素になってしまう。ほかにも、自治体ごとにデザインが違うケースのある「ガードレール」や「マンホール」、または番地が明記された「電柱」だって、映り込めば個人特定の材料になる。

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佐々木氏は、捜査一課にいた時の衝撃的な例も示している。中学2年生のある女の子が「家出したい」と投稿した直後10分以内のことだ。なんと、その短時間に約20人の大人が「助けてあげるよ」「協力するよ」「迎えに行ってあげるよ」と反応していたという。

「『#さびしい』『#自殺したい』といった書き込みの女子高生を探して自宅に連れ込み、性犯罪を犯すのも代表的な手口の一つです」(同34頁)

ネットリテラシーへの導きの糸としての本書

スマホやSNSは、このように大変"危険"なのだ。映画『スマホを落としただけなのに』をご覧になった方は、スマートフォンを落としただけで無限にそれが悪用され、人生が壊れるほどの被害を受けることがあり得るのだ、と戦慄したのではないか。詳細はここには書かないが、スマホ発の犯罪は、私たちにとってとても身近なのだ。

しかし、意外なことに佐々木氏はこうも述べる。

「私は子どもにスマホを『使わせない』という考え方には反対です」(同15頁)

なぜなら、スマートフォンはもはやインフラであり、多くの子どもたちにとって"いつかは使う"ツールだからだ。子どもの時にスマホを取り上げても、それは問題先送りになるだけで、結局は本質的な解決にならない。むしろ大事なのは、スマホを禁止することではなく、正しく使うこと、リテラシーを教えることである。あたかも交通ルールを教えるようにして、ネットリテラシーを教える。今はまだ、リテラシーの教科書"決定版"はないともいえるが、本書はその決定版誕生の端緒となると私は思っている。

試みに、ネット投稿から子どもの個人情報が特定されないようにする作法を紹介して本稿を閉じよう。ぜひ吟味してほしい。

・SNSのアカウントに鍵をかけて非公開にすること。
・アカウントに自撮り写真や個人の特定につながる情報を投稿しないこと。
・画像の背景にも注意すること。
・リスクを回避するために、画像のサイズを落とす、ポートレート設定で撮影する等して背景にぼかしを入れること。(同85頁)

もちろん、万が一、スマホを落としてしまった、なくしてしまった時の具体的な対応策も本書に提示してある。ぜひご一読いただけたら幸いである。


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