もう間違わないで!日本の都市開発!高輪・品川の開発に想う「人間のためのまち」をつくるポイント.
何度か通り過ぎることはあっても、降りたことのなかった高輪ゲートウェイ駅。ふと止まった電車からホームの向こう側を見ると、開発が進んでいます。それとなく検索したら、すぐに出てきたのが下のニュース記事でした。
再び走りはじめる電車。
ここに登場するウスビ・サコさんの発言が、感動するほど共感しかりません。一方で、読み進めるにつれ、サコさんの発言と、それに対する開発側の方々の返答が、少し噛み合っていないことに、違和感を感じはじめました。でも、この違和感は、昨今の国内におけるほぼ全ての開発に感じてきたことと同じです。
今やどの開発案件も、知っている企業やお世話になっている方々が関わっているものがほとんど。もちろん誰も悪いものを作ろうなんて考えている人はいませんし、最大の尽力されていることは言うまでもありません。
それでもなんです。
ガワだけが新しそうに見えて、本質が変わらないものが生まれてしまうのは、もう飽きてきました。世界の人も熱狂するような、あるいはこれは学びたい!と思わせらるような、“あの「まち」「再開発」やばい!”はつくれると思うのです。
そんな想いを先の記事に重ねていくと、実はこの対談におけるウスビ・サコさんの発言は、「せめて、ここはおさえとけよ!」という芯の部分に対するメッセージを、暗に伝えているようにも捉えられます。
というわけで、今回は、上の記事を読みながら、高輪ゲートウェイから横浜までの電車内で、脳内を巡っていたことのメモ書きです。
「品川開発プロジェクト」きっかけの感想ですが、そこをピンポイントで批判・批評するものではありません。日本のすべての都市開発にも通じるツッコミです。日本の都市づくり、まちづくりは、まだまだ成長の余白がありすぎる状況。だからまずは、きちんとその余白に気づき、きちんとしたマインドセットをしませんか?というメッセージです。
デザインに手をつける前に、そこからはじめよう。逆にここをきちんとおさえることができれば、日本のどんな小さなまちだって、世界に通じる都市系・まち系のイノベーションが生まれる可能性があると思うのです。
1.特定の機能を持った「実験場」は、人の可能性を殺す
●「不特定多数の人々が行き来する駅だからこそ、移動の中で偶然の出会いやふれあいが生まれ、面白い化学反応が起きる可能性があると感じました。」というサコさんに対して、
「東京の新しいハブとして、活発なコミュニケーションが行われるしくみ」と「訪れた人が主役となって、さまざまな実験の場が提供できるプラットフォーム」をつくると答えます。
ツッコミ1:我々が想像できる他者の可能性など、鼻クソよりも小さい。(日本の都市やまちに関わる人のほとんどが、このリアリティがとても低い)
だから、もっとも避けたいことは、「訪れた人」という属性を具体的に描き、特定の機能やサービスを持たせた「実験の場」、プラットフォームはつくってしまう、ということだと思います。
なぜなら、明確な機能やサービスを持たせるほど、人の未知なる能動性に蓋をしてしまうからです。ポイントは、明確にはしないこと。もう少し手前で、さまざまなことに「見立てられる」ようなプラットフォームとなることを意識して、デザインするということです。お店もストリートも広場も街全体も、です。(写真下:渋谷キャスト周年祭Readable!! 2019/4/26-29)
そのためには「訪れた人」というものを、何ひとつカテゴライズせずに、究極の一人の人間「個」として捉える視点が最初に必要となります。
この話は、付箋を使い「やりたいこと」を抽出し、それを実現できる場所をつくることが、実は間違っているという話にもつながります。プラットフォームを意識して、まちや施設、場をつくる場合は、付箋で抽出されたことが実現できることは大前提。
でも、そんなものをつくってしまったら、まちは逆に閉塞していくことになります。人は付箋になどには表現できないものを、私たちの想像を遙かに超える想いを持っています。だからこそ、付箋に書かれるもの以外に想像もできないようなことも「あっ!私ここでなら、これやりたいかも!」と思わせる、引き出してしまうようなレベルの器をつくらなくてはいけないということなのです。
2.「出会う場」をつくらない.「出会ってしまう場」をつくる
●さまざまなバックボーンを持った人たちが集まり、コラボレーションが始まるために「偶然性が生まれるスペースをたくさん作ったほうがいい」と言うサコさんに対して、
「自由な実証実験ができる場」を目指し、「パッションを持った人たちの感性をより浮かび上がらせるような場」を提供したいと言います。
ツッコミ2:新しく「まち」をつくるにあたり、どこに眼差しをむけるべきか。実証実験という言葉に表現されているように開発側は、個人よりも企業や組織に属する人をイメージされているように感じます。でも、サコさんが伝えようとしているのは、やはり圧倒的な個人の話です。
偶然性という言葉で表現しているのは、まちの中に起こりうる日常的なコミュニケーションからはじまるということを仰っています。そのとてもささやかなモノに大きな価値の眼差しを向けようと。
これまでいろんな立場の方々とお話する機会がありましたが、企業の皆さんは、すぐに「出会う場」「何かが起きる場」というのをわざとらしくつくる傾向にあるように感じます。でも、そのようなイベント型・お見合い型ものが想像以上に機能してこなかったことは、これまでの様々な開発でわかっていることでしょう。
必要なことは、日々まちに起きている偶然性をつぶさに観察し、そこから逆算して何をデザインすべきかを考え続けることです。世界のまちでも、日本のまちでも、偶然性はどう生まれてきたのか? その瞬間を採取する能力があれば、どんなスペースをつくるべきかは自ずとわかってきます。
さらに、企業や組織といった捉え方そのものも間違えがちです。たとえどんな企業に勤めていようとも、すべての人たちは唯一無二の個人なのです。この視点が本当に大切なことなんです。
その個人が、もしサコさんの言う偶然性を持つ新しいまちで過ごすことができれば、知らない他者と出会い、会話をし、互いが触発され、些細でも新しいチャレンジと、その実現につなげられる可能性が高まる。その状況が誰にも起きるような「まち」が創られれば、どれだけすばらしいかという話です。
そこで用意されるべきは、つまり知らない他者がほおっておいても出会い、会話しはじめる状況です。その数を如何に生み出す器をつくれるかが勝負のポイント。
それは人間の経験の90%がつくられると言われている「まちの1階」のつくられ方でほぼ決まります。もちろん、「自由な実証実験ができる場」が悪いわけではありません。ただ、それよりも、もっともっと大切なことがあるということです。(例えば、世界のイノベーションが起きやすい「まち」は、名物コワーキングがあるのではなく、そうさせる「まち」が根底にあるというのも同じ話)
「まちの1階」がらみで、もう一つ加えると。
そこにどのようなレベルのお店が建ち並ぶのか、またどれだけの多様性が持たせられるのかということも大きなポイントになるでしょう。流行っているお店の発展版ではなく、個人でもチャレンジできる小さな箱が無数にあるべきですし、禁止される行為は極限まで無くされるべきです。
浮浪者も酔っ払ったサラリーマンもベンチに寝転んでいいし、スケボーだって、カラオケだって許される。これは「喫茶ランドリー」が掲げ実践してきた「小さなやりたいの実現」にも通じます。あらゆる「やりたい」を実現させてあげられる「舞台」があるか。
たとえば、会社から帰るサラリーマンが、「この場所なら、俺、路上ライブやってみたいな!」「このお店なら、俺、DJライブさせてもらえるかな?」「ここなら友人たちとバスケットできるな!」などと思わせる空間を創出できるか。そういうレベルの多様性が勝負どころです。
3.まちをつくるということは、秩序をつくるということ
●「想像もしなかった異なる属性の人たち同士が交わることが大事」と説くサコさんに対して、
開発サイドは、偶然性を生み出すために「高輪ゲートウェイ駅から品川駅を結ぶ細長い立地を利用してプロムナードを作り、半公共的なオープンスペースをふんだんに用意する予定です。」と答えます。
ツッコミ3:そう、サコさんは、非常にヒリヒリするリアルな出会いや交わりによって、人が他者と会話をしはじめる話をしています。
そんなことが、どうして大切なの?
それは、例えば、世の中を大きく変えてきたイノベーションみたいなものも、あるいは小さなコミュニティみたいなものも、実はそういう出会いから生まれていくものだから。そして、それこそが、人々一人ひとりの人生を大きく支えうるから、とも想像します。
そのためには、まちのデザインとして何が必要なのか?何をつくらなくてはいけないのか? それは、どれだけ自由な秩序を持つ空気を生み出せるかどうかということに置き換えられます。
豊富なオープンスペースをつくっただけでは、その空気はつくることができません。理念を持った運営主体の日常的な人間らしいコミュニケーションが、如実にその場所の空気(使われ方・過ごし方)に影響してきます。そういった意味でも、その場所の運営を担う拠点がアクセスのしやすい「まちの1階」にあるか、そこにコミュニケーションレベルの高い人間が立っているかが、とても重要になってきます。(写真下:渋谷キャスト周年祭Readable!! 2019/4/26-29)
行ったことはないのですが、テレビで見て一番感動した公園にグアテマラのアンティグアという都市にある「ラ・グアテマラ中央公園」があります。
モノ売りがいて、家族が過ごしていて、子どもが走り回っていて、少年たちはラップをしていて、観光客が休んでいて、スポーツを楽しんでいる人たちも。そこには、あまねく人々が自由に存在していられる秩序がある。
こういうのは全ては偶然で起きているわけではありません。「まちの1階」の作られ方、公園のデザイン、エリア全体の運営体制、あらゆるデザインの面から分析して逆算してけば、いかなる他者をも許容できる空気、人の心を揺り動かす空気を、デザインでつくりあげることができることがわかってきます。
そして、世界の最先端は、そのような視点をもった器作り、私たちの言う「補助線のデザイン」でもって、まちや都市をもつくろうと試みています。今はじまっている世界のトレンドはそのレベルで行われています。だから手法や制度だけを観てしまいがちな日本には、なかなか取り入れることができません。
4.暗黙の契約による支え合いではない、許容の秩序
●「下町や商店街には信頼と相互扶助の精神があります。日本には社会生活のこうした良い部分があるのに、新しくできる公共空間には、闊達な人間関係が生まれにくいのが残念です。」というサコさんに対して、
高輪・品川・芝浦・三田などの周辺の既存の町と新しいエリアを融合させ、オープンなスペースを作っていくために「駅近くのビルを拠点にしたコミュニティ作りも含めて、地域連携のためのさまざまな試みに取り組んでいます。」と答えます。
相互扶助の精神って、今や分かりづらくなっているのかもしれませんね。
究極わかりやすく言うと、知らない他者に対して何も躊躇せず助けてあげられる心持ちでいられるかということです。あるいは、名前も職業も知らない知り合いが何人もいて、まちで通り過ぎたら挨拶をするとか。そういうこと。
だから、まちに関わるまちの関係者たちが集まって、何かをきっかけに集まってイベントを行うとか、ワークショップを行うとか、そういうことではないんです。新たに用意する団体による、ある種の暗黙の契約による「連携」や「支え合い」ではなく、ごくごく普通にそのまち、そのエリアに棲んでいるというだけで「認め合う」ことができる状況を、いかに醸成できるかということを目指そうよ、と。
それに必要なのは、「イベント」ではなく「日常」なんです。豊かな「日常」なき「イベント」は、まちを、人々を疲弊させていくだけ。(だからもし、豊かな「日常」がないのであれば、「イベント」ではなく「日常」に投資しなくてはいけません。)そして、再開発とは「日常」をつくる骨組みを作り直すということ。もし、ここで間違えてしまうと、そこにはぎこちない動きしかできない「まち」が生まれてしまうというわけです。
5.まとめ
・移動の中で偶然の出会いやふれあいが生まれ、面白い化学反応が起きる
・偶然性が生まれるスペースをたくさん作ったほうがいい
・想像もしなかった異なる属性の人たち同士が交わることが大事
・下町や商店街にある信頼と相互扶助の精神を新しくできる公共空間にも
サコさんが仰っていた上記のようなことは、今風に言うと「多様」な人々が「サスティナブル」に「成熟」し続けられる「健康」なまち、へとつながるための、最低限必要なことなんです。
そして、そこへたどり着くためには、さまざまな視点が必要だと常日ごろ感じています。
まだ、まとまらないですが、最後に下記へメモ書きを添えて。どなたかいつか一緒に、「人間のための」というレベルにおいて、日本最高峰の再開発をつくりましょう。
というわけで、今日はこの辺で。
1階づくりはまちづくり。
●2021年2月11日の大西メモ
※下記全部、弊社グランドレベルにしかサポートできないことかも。。
1)「訪れた人」「パッションを持った人」ではなく、あまねく人々の圧倒的「個」に対するフォーカスが大切。若者もスケーターも浮浪者も赤子も障害者も主婦もサラリーマンも○○も、すべてがフラットに、そのエリアにおいても、価値ある存在だという認識を持つ
2)「プロムナード」や「パブリックスペース」ではなく、密度高く「まちの1階」デザインの概念を持つ。「まちの1階」は常に動的に変化し続けるもの
3)拠点づくりには細心の注意を。全国のコミュニティカフェの失敗を引き継がない。「コミュニティづくり」を前面に押し出さず、自然とそれが起きてしまう施設づくりを目指す
4)企業、団体、組織同士の地域連携よりも「個」の想起。前者に重点がある限り、「まち」は躍動しない
5)「個」のチャレンジを圧倒的促進する「まちの1階」をつくる。そのための受け皿となるハードは、広さも家賃もデザインも、これまでとは全く違う
6)「まちの1階」の使われ方が圧倒的に能動性を持つように事業者お呼び全テナントのマインドセットを、一番最初に行う。コンセプト決め→テナント募集ではない、新しい方法を
7)オープン後、売上でも動員でもない喫茶ランドリー的KPIをエリア全体で共有
8)「まちの1階」に入るテナントの種類や軒先を含めた使われ方が、予想外になっていくことを目指す。それが未来のその場所らしさとなるという認識を持つ
9)オープンスペースに斬新、奇抜なデザインはいらない。普通に誰もが絵を描きたくなる光景をつくる。用がなくても行きたくなる、佇みたくなる場所を目指す
10)「楽しみ」だけを受け入れるようなエリアにはしない。「悲しみ」等負なる感情も受けとめられる「場」のデザインも組み入れる
田中元子が、★入門書「マイパブリックとグランドレベル」に続く新しい本の執筆をはじめたので、体系的なまとめは、そちらではしっかりしていきたいと思います!
大西正紀(おおにしまさき)
ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。
*喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!
http://glevel.jp/
http://kissalaundry.com/
この記事が参加している募集
多くの人に少しでもアクティブに生きるきっかけを与えることができればと続けています。サポートのお気持ちをいただけたら大変嬉しいです。いただいた分は、国内外のさまざまなまちを訪ねる経費に。そこでの体験を記事にしていく。そんな循環をここでみなさんと一緒に実現したいと思います!