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週間レビュー(2023.7.8)_知は行ないの始め、行ないは知の成れるなり

すごい速さで時間が流れていく、上半期も終わってしまった。
いまだに毎朝起きて不安になるけれど、夜になると疲れてすっかり忘れているので、それなりに進めているのかもしれない。午前中はほとんど8:50から講義なのでそれに間に合うように起きて、午後から夜にかけて働いたりプロジェクトのことをしたりする。そして死んだように寝て、なんとなく朝起きるを繰り返している。上半期は新しく研究室という場所もできて、大学での学びが豊かになったと思う。ただただ、じっくりと意味性を往復しながら考える時間が足りない。1-2年前よりも心に乱れがないのは、常に豊かに平穏に生きるのは難しいから、バランスをとることに自然と気をつけれるようになっているからなのかな。

知は行ないの始め、行ないは知の成れるなり

どう考えても行動的で多動症なのは、中高の時に王陽明にハマった事が原因のように思う。知のようなもの、つまり近代社会における勉強による積み重ねを根本的に信用していないし、意味性が低いと個人的に思ってしまっている。なので文化的なアカデミックの快楽はわかるのだけど、それが社会的な問題や誰かの課題に対して対して役に立ってない時とても悲しくなってしまう。気持ちいことをするためにアカデミックはあるのだろうか?という疑問である。また、知があっても行動がない姿にも共感できないし、行動があっても知的でない時の落胆は激しい。これは起業家や会社人に多いよう思う、必死に働いているが、知的な深さがない場合である

そこで陽明がいったのは、右に掲げているように「知は行ないの始めであって、行ないとは別のものではない。また、知が成し遂げられたものが行ないであって、行ないは知から離れたものではない。両者は一つにつながっているもので、離すことはできない」ということであります。

なんともまあ、王陽明の生き方もすごくアグレッシブだから個別解なのだけれど、個人的にはとても好きだ。

都市への民意反映を考える生成AIワークショップ

ずっと仕込んできた生成AIのプロジェクトのイベントを開催できた。
実験段階ではかなり問題だらけだったのだけど、今回は素晴らしい時間にできたと思う。参加者の人も20名弱来ていただき、概ね好評、素直に嬉しい。

生成AIと都市や建築について関連する図書を集めた

とにかく動かしてみる、舞台を作ってみる、触ってみることでわかる事があるし、自分の学び方のスタイルはこういうアクションスタディが似合っている。そしてこのWSフレームはSFプロトタイピングの新しい形としての拡張の余地があると開催しながら感じているし、NESSプロジェクトでは、都市への民意反映をテーマにしたアプリケーションプロトタイプを実際に作って社会に出してこうと思っている。あと何より、感性の合う仲間とやる取り組みは終始楽しいし学び深い。

Relink/門脇研究室

ずっと気になっていた、門脇研から生まれたRelinkのプロジェクトを手掛ける本多さんに会いにいく。コンタクトしたら快く研究室の紹介もしてくれたり、明治の生田キャンパス、そして門脇研究室とても活気があった。
本多くんと話をしていてい、古材流通の現状の臨界点(マーケットとして現状成り立たない理由)は主に流通プラットフォームシステム(流通システムを駆動させる動機が存在していない)/規格化された材料ではない(規格化や工業化の逆、複雑性を高めてしまう)/近代建築や人間の空間への美学性(皮層的な古材の味の良さ以上の美学で多くの人が語り得ない現状)の3点を突破しなければならない事がよくわかった。小規模な地域の古材流通や二次転用は現状存在していてもそれ以上にならない理由性はマーケットサイドだけではなく、人にも課題がある。これはサスティナブルとか廃棄物の二次利用系のプロダクトがなかなか伸びない理由でもある。プロダクトよりも単純な社会的意義で語りにくい(より人間生活と密接な)建築は、建築を使用する人々にとって古材利用はどんな利点があるのかが説明しにくい。より深い創造性に踏み込むか、近代建築の美学を変えるしかないのだろうなと思う。
まだまだ考える、そして踏み込む余地があるなと勉強になった。

緑の環境プラン大賞/福祉の街のエディブルランドスケープ

地元NPO法人、そして世田谷区都市デザイン課さんの推薦をもらってエクステリアデザインのプランを緑の環境プラン大賞ポケットガーデン賞に応募した。ランドスケープやエクステリアを考えるのは初めてだったのだけれど、空間やシーンを考えることとはかなり異なる考え方をする。空間よりも動線設計から発想したり、俯瞰的で全体感を見ていくような頭の使い方ではなく、生活者や日常的な視点から踏み込んでいくことにかなり面白さを感じる。何より植物の名前、何にもわからないことを改めて知る笑

緑化プランの目的と概要:amigo梅ヶ丘スタジオは、発達支援を必要とする子どもと保護者が療育の行き帰りに立ち寄れる場であり、コロナを経て増加している不登校の状態にある学齢期児室の居場所としての機能も持つ場所です。スタジオ外部空間に「エディプルランドスケープ」を挿入し、緑
や食の学びの機会を利用者に創出するとともに管理や利用の範囲を段階的に地域へ開き、緑を介したネイパーフッドコミュニティの形成に寄与することを目指します。

福祉施設の内装設計やエクステリア、施設運営を行うためのクラウドファンディングがスタートしているので、ご一読お願いします!(もしよければサポートしてください)

「少子化」への危機感に注目が集まるこの頃ですが、子育て世代ばかりがプレッシャーを感じるのではなく、今こそ、まち全体のウェルビーイングを高めたいと考えます。ウェルビーイングとは、身体的・精神的な健康だけでなく、周囲との良好な関係性、仕事やそれ以外の生活の充実や満足感など「社会的に良好な状態」を含んでいます。
そこでわたしたちは、新たなビジョンに「生まれてきた子ども・育ちゆく子どもとその家族が祝福され、祝福する人にも幸せな気持ちが溢れるまちが広がっている」を掲げ、梅ヶ丘の地に新しい拠点”publico''をつくることにしました。「子育て」と「まち」が溶けあって、子育て中でもそうでなくても、子育てを終えた世代も若者も、出会いや交流を通じて老若男女のウェルビーイングがこだまする空間を目指します。「あの子もこの子もみんな(public)の子(co)」が育つまちの拠点「publico(パブリコ)」です。

都市や街に介在したエディブルランドスケープを実践するための三角プランターも作成中。意外と原価が高くなってしまう事がわかったので、2000-3000円程度にするためにどうするべきか検討中です。しかしながらとても可愛い出来になっています〜

あとはコンペの提出にCD-RMでのデータ納品があって、キンコーズでも扱えない場所があったり、機械が動かなかったり散々だった…
行政の方々…CD-RMやめようよと言いたい。

Urban farming

なんだか急ぎで行ったのだけれど、大人の遊び感があって馴染めなかった、でもすごい熱気ではあったし、東京ビエンナーレでも動かしていくらしい。企画よりも市民のためのプロダクトで勝負したり、建築でモノとして残したり、社会実装をコアにしていきたいと改めて思った。お金が大きく動くところはどんなに経験を積んだ人々が集まっても段々と視線や飛躍の力が鈍りプロデュースの力だけが上がるのかもしれない。本当に必要なイノベーション とは何か、デザインとは何かにフォーカスしたい。

解体建築史

なんだかポテンシャルはあるのに、あんまり進まないのが歯痒い。
産業を作るという行為にするためにはもう少し速度感や熱量が必要なのだけど、アカデミックサイドにそれは難しいのだろうかと自問自答してしまう。けれど、これだけ複雑でプライドとか権威性が入り混じる中でも仕事やアウトプット、より意味性のある取り組みを作ることを無理にでもしなければ、ちょっと業界も社会もやばいのは事実なので泥臭くやってみるしかない。

研究室内のゼミはとても面白いのだけれども。

今週は以下の著書を扱った。
・『今和次郎集〈第4巻〉住居論』より「仮住まい考」
・『帝都復興と生活空間』(田中傑)

卒論については、色々と意見をもらった。既往研究がかなりあるはずだからそれを漁るべきであるということも然り、空論化しないように史的な視点を組み込むとしたらどうするべきかを深く捉えないといけないなと思う。

ノンヒューマンエージェント/豊田啓介

デザイナートの豊田さんのワークショップに参加する。
もともとコモングラウンドはMESONにいた時代からよく理解していたのでとても良いテーマとワークだなと思った。WSの後豊田さんと少しだけお話しする時間をもらったが、とても実務家&社会的な視点強いアーキテクトだった。 人工物の社会実装を捉えた時に、あらゆる視点や意見を構造的に取り入れて形態化するのがアーキテクトであって、批評や論考、一部の意匠空間を作るのが現代的アーキテクトではないという認識感だった。
卒論も話してみて、テーマは良いが現代的な課題から浮いた落とし所にするなら意味がないと言われる。規格化や工業化、材料生産システムまでクリティカルに落とすなら意味があると。なるほど、一面的なスキルやアウトプットだとその統合ができず頭打ちになるのだろう、そこまでの視点を持つ上でのアーキテクト像であるのだろうと納得した。

色々と忙しなく追われすぎで、動きが多すぎて、あまり生活を大事にできてない感覚もある。ちょっと止まる時間が必要な気もしている。ゆっくりとものを考えたり、少し本を読む時間を増やしたり、お酒飲んで笑える時間が増えたらいいなと思う。

とはいえ、ここ数年で一番力が発揮できたり、アイデアがバンバン出てくるタイミングでもあるし、幸いにも体が健康で何か残すことや何か記述することを今しないと多分後悔するのだと思うからやってみるしかない。誰かの分までも。だからか、ダラダラとして知性や時間を捨てている人を見るととてもやるせなくなる。それもそれで人間なのはわかっているけれども。

「今の時代や社会の状態」と「活動やデザイン」の繋がり方が一番大事だと言われるけれど、まさしくそうだろうと思う。未来から見たときにこの時代やこの時はこんな状態だったからこそ自分はこれを真剣に取り組んでいたのだ。全力で作っていたのだと言えるようなことを常にしていたいと思う。それが歴史的な視点を持って生きるということだと思うし、建築デザインと一緒に歴史をやっていく意味だろう。

時代に身体で触れながら、即時代的にデザインをしたい。

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