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「一行あけて」というバンド (前編)


僕がギターボーカルをちゃんと始めたのはここ数年の話で、元々はベーシストだった。

ちゃんとと言っても、実際datkidsではエアギター&ダンサーなのかもしれない。


「がらくたロボット」というバンドを脱退し路頭に迷う僕と「urema」に憧れた久保田、バンプのコピバンをしてたでんすけによって2014年1月に結成された。

こいけのはるちゃんが後から入るもののメンバーチェンジはなく、紆余曲折あった4年間。

そして今、解散から6年が経とうとしている。


来年で結成10年。

いや、大半が解散期間かよと多くの関西人がツッコミを入れるだろう。

6割解散してるなら四捨五入したら結成してないか。
そうはならんか。


この結成10年の節目で「何か」をしようと思い立った話をしたいと思う。

変に期待させるのも悪いのであらかじめ結論を述べておくと、この「何か」はしない。
申し訳ない。


以下、詳細について書き記すので是非「一行あけて」を聴きながら読んでほしい。




まずは一行あけてはkubotaworksが作詞作曲を務めるロックバンドだった。

とは言っても弾き語りでプロトタイプのデモ音源を送ってきて、それをスタジオで様々な音楽的アプローチに編曲していくスタイルだ。

でんすけはその上でメロディーに動きをもたらす役割と言える。


主に編曲、プロデュース、企画などのクロコ役は僕で、一行あけての脳部分だった。

後期のデザインや映像編集はこいけが担ってくれていて、とても助かった。

彼女はバンドの色をより鮮やかにしてくれたと思う。

遅れて加入したと言っても結成直後から親交はあり、撮影や打ち合わせにも参加するくらいで加入前からメンバーのような存在だった。

それでも僕の手では足りず、沢山の人の力を借りた。

解散後にわざわざアーティスト写真を更新するバンド



解散理由は、僕の「これから活動の頻度が落ちて萎れていくのが嫌だ」という気持ちと、キャパオーバーだった。

「一行あけて」という名の通り、文学的作品として残したい気持ちが強くあった。

それが尻すぼみとなっていく物語なら、いっそ駆け抜けて終えるエンディングの方が燃え上がる。

そうして4年という短くも濃密な時間は一つの作品として完結した。



解散後もメンバー同士は親交があり、久保田以外とはサシで遊ぶことも多かった。

久保田とは仲が悪いわけではなく、結成前からずっと仲は良くないだけで、お互いほとんど無関心だ。

バンド単位で動いていても昼ご飯を私はこっちを食べたいからとお互い別の店に入って行くのが当たり前だったらしい。(後日こいけから聞かされて、僕の記憶にはないくらい違和感を抱いていなかった)

コロナ禍ということもあり、だらだらとした5年間はあっという間に、何となく通り過ぎて行った。

その間もメンバーはそれぞれの音楽活動を続けており、同じステージで共演する機会も何度かあった。(ほとんどが僕の企画だった気がする)

付かず離れず、これといった衝突もない中、「そういえば」と結成10年の事実に気付き始めたのは、同い年を集めたオムニバスアルバム "morning fog" の構想段階だった。


あの作品は今だからこそ言えるが、一行あけてを集める口実と伏線だった。

プロモーションとして初動が欲しかった。

かくして完成した "morning fog" には、kubotaworks 、こいけはるな(当時 旧こいけ)、Shom、そしてdatkidsが収録された。

そこから全員の連携を取り戻し、結成10年を記念してシングルをリリースしようと打診した。

過去に一度こういった話になったことがあったが、久保田の却下でポシャった。

だが今回は不思議にも満場一致で可決。

何らかの形で一行あけての錆びた歯車を動かせる時がきた。



つづく



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