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学術的な美術アプローチと、感覚的アプローチ

最近、売れる売れないという話もそうだけれど、
日本に帰ってきてから一年ちょっと経って、日本と欧米の美大の美術に対するアプローチの中で違う部分をよく実感します。
特に絵画における中で、
「絵画」として上手いかどうか
インテリアとして部屋に飾った時に良いかどうか

という軸と、

(現代美術として)美術の学問的価値がどの程度乗っているかという評論軸

は大きく別なところに存在するように思います。

話が何よりややこしいのは、資本主義である以上、その見えない曖昧な価値に対しての指標はお金の値段であることが殆どで、
もっと言えば、今のこの時代はフォロワーなどでの指標によって可視化されている「人気度」にも繋がるように思います。

これはどういうことかというと、
「良い作品かどうかは判断できないけれど、もしくは、専門家による判断もされていないんだけれど、表面的な分かりやすいビジュアルの良さで人気になると、同時に作品を購入したい人が増え、結果的に高額になっていった作品」
というのは、優れた学術的な価値を所有しているかどうかとは無関係の話だということ。

ここら辺は非常にややこしく難しいし、判断軸は専門家の中ですら定まるようなものではないので、この話が広がって結果的に「みんな違ってみんないい」になってしまいがち。

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