カット・タン・マイセルフ(A)
ココロにタトゥー
自分の舌を切り落として向かったタトゥーショップで
明日施術よろしくと話したら、口の中を見せてみろと言われ、見せることに。
「カット・タン・マイセルフ」
とゴモゴモした口元で頑張って話した。
日本ではなく1人で来たバンクーバーだ。
英語の表現はこんなもんだ。
娘を亡くして、悲しくて、自殺したと思ったみたいで、
切ない顔をしてイケメンの店員さんが気にかけてくれた。
彼はイケてるスケーターだった。
近くに病院があるからそこに行こうと連れて行ってくれた。
もう1人、若い女の子も付いてきてくれた。
今思えば有難い話しだ。
気が狂ったジャパニーズが来て、
グチャグチャの口の中を見て驚き、
病院に連れて行ってくれた。
本当にありがとうございます。
このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初体験をさせられ、その後30年近くに渡り自身もアルコール依存症に苦しみ、その中で設けた我が子との絆を通じ、寛解するまでと、その原動力となった信頼と愛を余すところなく完全実話で書き下ろしたものである。
入院
病院について受付をしたが、
躁(そう)状態は続いており、
受付のおばちゃんのトークをしっかり聴き取り、
片言だが返事をずっとしていた。
躁の人はもしかするとヒアリング能力が向上するのかとも後で思ったぐらい、
これからの事、世間話などをしっかり聴き取っていた。
しゃべれないから耳だけでもと思ったのかもしれない。
先生に呼ばれ、カーテンに仕切られたこじんまりしたスペースで、
どうしたんだ?と尋ねられ、
舌を自分で切ったと伝えた。
「かああっとたんっぐまいせるうふう」
平仮名のほうが似合う。
「CUT TONGUE MYSELF」
精一杯、笑いながら伝えた。
忘れられない英文だ。単語をつなげただけの一生懸命だ。
先生の顔色が変わったのを覚えている。
確か、抱きしめられた。
女の先生だった。
入院をする事がわかり、
オレの躁(そう)は、入院決定のイカれた自分と親切なカナディアンにカメラを向けていた。
付いてきてくれた二人と記念撮影をした。
ジャパニーズはこんな時にも写真を撮るのかと笑っていた。
日本人は記念撮影ばかりなんだそうだ。
そんなこんなで入院が決定したが、外科的処置をしたら退院だと思っていた。
現実はそうではなかった。
集合部屋でキチガイ達と一緒に長い時間を過ごすことになる。
苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)