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10代というまばたき

見方を変えてみる。

今42歳。世間では本厄だと言われている歳だが、本厄を何度も迎えてきたようなオレの人生は、今年の本厄をヒザ蹴りでアゴを打ち抜き、拳で地面に埋め込み、二度と出られないように葬り去ってしまった。

人は生きたいという本能を持っている。生きる時になるべく楽しい思いをし、豊かに暮らしたいと大抵の人は思う。だが、理想通りの人生が待ち受けているわけではほぼほぼない。多くの人は、辛く厳しい逆風が荒れ狂う中、理不尽極まりない道を歩みを止めず進んでいかなければならない。そして、それぞれの価値観だから誰かと比較して、オレが幸せとか、オレは不幸だとか、そういう話ではない。自分の人生はオンリーワン。1分の1だから。


見方を変えてみる。

例えば、オレの人生を切り取って、実際に起こった現実と、42歳のオレが過去をどうとらえているのか。それを年齢ごとにわかりやすく対比してみようと思う。

特に甘く切なく、むき出しのハートをぶら下げて必死に呼吸をしている10代の時期。10代と言うと10歳からを指すけど、大体は13歳ぐらいからの事を言うのかな。でもオレの10代は10歳から華々しく鮮烈なスタートをさせていた。

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10〜12歳**

【過去】人生でハードだった時代の1つだ。母親(アルコール依存症)と本気のケンカを毎日繰り返し、恥ずかしい病気を患っている母親をどうにかしたいと願い、戦っていた。毎日戦争だった。気が狂った母親と近親相姦も数回経験する。ケンカの挙句、彫刻刀で母親の左胸を刺してしまう。そして酒の飲み過ぎでこの世を去る母親。血だらけで、ふしだらで、非合法なアーバンライフ。

【現在】あんなに家族を苦しませて勝手に死んでいった母親に会いたい。大好きだ。今の医者に診せれば確実にうつ病と診断が下るだろう母親。辛かったに違いない。酒を24時間365日飲んで死んでいった。助けてあげたい。母親とのバトルは大切なオレの思い出になっている。そんな時代があって今の自分がいる。その存在は唯一無二だ。

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13〜15歳**

【過去】新宿区最狂中学に入学する。歴代エリアトップの不良を輩出する反社養成所。都会のど真ん中、年収で区切られた団地に住み、建物の階段には赤まむしの瓶に詰められたアンパン(シンナー)が転がる。取り締まりに来たパトカーは可愛い顔をしたヤンキーに破壊される。そんな時代の、そんなエリアだった。悪さをしたければいくらでも連んでくれる仲間がいた。片親、母親アル中で死亡、歌舞伎町育ちの不良要素満載の小学生だったオレは、中学の担任様の手引きがあり、人生の軌道修正を施され、東京都第2学区トップの高校に入れてもらえた。万引きをし、人を殴り、髪を染め、家に帰らず、不純異性交遊を繰り返しながらも人に自慢できる高校に行くことになった。

【現在】その当時の仲間が今も多くいる。辛い家庭で育ったヤツも、笑顔で再会できる。苦しく不安な時期を過ごしても来たが、戦友ができた時期だ。学力の基礎も作った。女も作った。しっかりやった。人間は危機を迎えると本能が生きたいスイッチを入れるのだろう。貧困、暴力、劣悪な環境も、見方を変えれば悪くない。今では全てが財産だ。

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15〜18歳**

【過去】偏差値70を超える高校に入学。文武両道を目指す友達が多く、世田谷、目黒のお金持ちで立派なご家庭で育った生徒が多くいた。当然、オレは浮くことになる。全く馴染めなかった。どう接して良いかわからない同級生も多く、入学当時から金髪で目つきが悪かった。あの高校にそんな奴はあまりいない。自分がどれだけ強いかを求めて道端でケンカを売る。時には唇が欠損するぐらい蹴り倒されたり。成績もギリギリ。授業も出ない。一言も口をきかない日も多かった。タバコを毎日吸い、学校も行かず女の子とやることをやっていた毎日。デザイナーになりたくて大学を選ばずに専門学校に進学を決めたが、未来の不安は消えない。安全安心など全くない。

【現在】この時期に出会った多くの友達と今も交流がある。オレははぐれものだから、お前みたいに笑えやしない的な高校生だったが、そんな自分でも認めてくれる仲間もいる。作り笑顔以外の笑顔をそんなにしたことはなかったが、そんあ笑顔が大好きだったと言ってくれる友達もいる。そして学力を伸ばすような努力をしっかりしなかった時期だが、学問以外で多くのことを学んだ時期である。その当時は全くつまらない抜け殻のような自分を責めるよなこともあったが、今では壊れ物の美学を感じるぐらい儚く、淡いが、愛おしい時期だ。あとから振り返ると輝くポンコツ時代もある。


つまりはこうだ

18までのストーリで自分が満腹になるからそれぐらいの説明でいいと思う。もう分かる人も多いと思うが、いろいろなことを乗り越えてくると、それなりになる。それなりの定義は人それぞれで良いし、正解もない。その時は失敗でも、その失敗から逃げずに乗り越え、自分の財産にすることもできる。自分にしかできない失敗もある。それは必ず自分を守ってくれるプロテクターになる。絶対だ。

大事なのは、自分と向き合って、自分をしっかり見つめること。だけど間違った見方をしてはいけない。間違った見方というのは自分を愛せない見方だ。自分を愛するのは勇気がいる。やってみると以外に難しい。そして失敗をプラスに転換し、自分の魅力に変えていく。これしかない。絶対に人は失敗をするし、失敗を繰り返す。全く自分に非がないようなことも降り掛かってくる。その場ではプラスに転換なんてできやしないが、苦しくても、無駄に思えても、必死に生きていく。それしかない。それを繰り返していると、生きるって何??と自分に問いかけ始める。前向きな問いかけが始まる。不思議でしょうがなくなる。うっすらした奇跡を感じる。何だかわからないが全てに感謝を覚えたりもする。

つまり、

自分と向き合うという事は、生きるとはどういうことか、自分なりに考えるということだ。もちろん、すぐに向き合うなんてできやしない。若い時は特に。だけど、ポンコツな時期を多く過ごしていくと生きる意味がうっすらわかってくる。その気付きの幸福感は半端ない。ツライことが多ければ多いほど、気付きはハッキリしたものになる。だからオレは今は幸せだ。この記事に書いた以上の逆境をその後経験するが、その事全てに有り難さを感じる。自殺するなとか、これはやっちゃいけないとか、そんな事はどうでもよい。言っても書いても無駄なことだ。命と向き合うのも悪くない。自分しかできないことがあるから。生きること、命と向き合うこと、それができるならしっかり生きていける自分に気がつくはず。だから、一時的に死にたい!って思うことは悪いことだけではなく、むしろ気付きの方が多いから。そして人は絶対に命がなくなるわけだ。それを自分で選びたいなら選べば良い。結局は誰も止めることなんてできないから。死のうなんて思って本気で死ぬ気のある人はこんな文章を見ないし、内容なんて入ってこない。自分の経験からしか言えないが、死にたいと本気で思った瞬間、自分以外の意見は聞くことができなかったから。そんなもんだよ。


夏休みの終わりに、、、宿題が終わっていない時期に、、、この時期にあまり言いたくはないが、夏休み最終日は必ずやってくる。だけど目の前の事から逃げても良いし、どっか行っちゃていなくなってもいい。何かとケンカしても良い。そうやって逃げて因果応報に気が付いたりもするし。

失敗などないと博学者は言う。それは失敗をしないとわからないことだ。失敗を繰り返し、繰り返し、自分が壊れそうになった時、その失敗は反転する。好転する。過去の失敗がオセロのようにひっくり返る瞬間がある。それが、自分を愛せた瞬間だ。失敗なくして自分を愛せないとオレは思う。だから失敗という失敗はないはず。


10代なんてまばたきしてたら終わってたよ。そんな感じだ。42歳のオレは。

もっと失敗してもっと傷ついて、もっと自分に気付こう。外の宇宙より、内側の宇宙に目を向けよう。ココロを向けよう。


だから夏休みは過ぎ去った瞬間からかけがえのないオンリーワンのアイテムになる。そのアイテムは消え去ることはない。そのアイテムを輝かせるのは自分に向けた愛でしかない。それに気が付ける夏にしよう。


そんなもんだ。


<水沢全>
えげつない自己紹介

苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)