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見た目から入ることのメリット(学校の制服によるデメリット)

『複雑化の教育論(内田樹著)』という本を読んでいる中で、
「ある学校で幼稚園から大学院までを一貫して同じビル内の別の階層に入れる計画があった。それは教育にとってデメリットなのではないか?」
という趣旨のことが書いてあった。

学校のキャンパスに必要なのはミステリアスさなのだと書かれている。
つまり学校の造形が統一されていたとする。
そして進級した時の建屋が想像できてしまうと、そこから「ああ、自分がこれから学ぶものは大体このようなものなのか」と考えてしまい、せっかくの学問の複雑さや深みに到達しにくくなるのではないか。ということだった。

なるほどなーと思った。

自分も今会社の寮で暮らしているのだが、なんとなく自分と似たような人がそこには暮らしている。と頭の中で意識しているところもあるなと、自分を省みて思ったりする。そこに思いもよらない趣味を持った人や、自分とはかけ離れたユニークな人がいるなんて想像もしなかった。(だから安心してボケっと暮らせている。という側面ももちろんあるけれど)

そう考えると、学校の制服も似たような側面があるかもしれない。

よく日本はクリエイティブな人材を育てるための教育が不足している。
と聞くけれど、制服が同じだとどうしても「自分達は均質な存在だ」と思って、周りから突出するのが怖くなるのではないだろうか。

私服になることによる弊害ももちろんあると思う。
(特に自分は小さい頃からファッションに疎いし、家もそんなに裕福ではなかった。だから、服装の違いがいじめにつながったりもするのでは、と想像したりもする)

でもまずいろんな発想をしていいんだよ。と生徒に語りかける意味でも服装をバラバラにすることは一定の効果があるような気がした。

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