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救急車の車窓から。

乗った事のある人、無い人いるかと思う。
ある人からしたら、まあそんなもんかと思うかもしれないが、

自分は何回乗ったか。
30代中盤?の頃、
心臓の発作が数回発生した時は、
自力で電車なり、
義父の車で病院へ連れて行ってもらった。
※病名は「発作性心房細動」という、不整脈の一種。
普段は普通の脈だがある時突然脈拍が150とかのとんでもない数値になったり、
綺麗なリズムではない、不規則な脈になる。

で、その後色々を経て、
その手術を執刀してくれた名医曰く、
「この発作起きたらもう迷わず呼べ。(救急車)」だった。
※迷わずに、が味噌。
スピードが命、手遅れになるパターンがあるそう。

と聞いてから、
6年前の心臓の手術後
妻は、自分が何か少しあれがおかしい、
これがおかしい、とか言うと

「どうする?呼ぶ?」

と、聞いてくれるようになった。(救急車を)

それがまた、昨年末、
いつも遊びに行ったら俺と楽しく話してくれて、
いい旦那もらったね〜!と妻に言いまくってくれる、本当に可愛くて大好きだった93歳で亡くなった、義祖母の葬儀の翌日、
献杯を少し飲みすぎた為だろうか、
その翌日の

2024/12/13にその発作が再び起きた。

それは、
6年前に「発作生心房細動」を根治する為のカテーテルアブレーションという手術をした後の、
初めての発作だった。
6年前のオペ前までは数回発作はなっていて、
都度、妻が救急車を呼んでくれ、
一命的なものを取り留めていた。
(それがあり、別の話だが、脳炎の時も救急車を呼ぶ習慣が妻にはあった為、俺の振り切りを無視して、救急車を呼んでくれてそのおかげで命が助かった。頭が上がりません)

脳炎後、心臓は完治したと言われ、
(脳とか心臓とかややこしくてすみません)
それまでは数年間飲んでいたが
完治したのでやめていた、
血液をサラサラにする薬(通称:サラサラ)をまたその再発した日から、

イヤイヤにサラサラを再開した。

もう一度言うね。

イヤイヤにサラサラを再開した。

で、話の道筋が前後するが、
だから12/13に、救急車に乗った、また。

1:妻の救急車への連絡の初動から、
2:到着した救急隊員の方の対応、
3:到着した、慣れ親しんだ病院の救急対応

は全て 

「プロ(玄人)」の動きだった。

で、本来ダメな事だが
当時、術後にその主治医の先生から直接、
(結構大きな病院だが)
何かあったら迷わずこの携帯かけてね〜、
と言われて、先生の携帯番号を聞いており、
その主治医の先生の携帯へ連絡出来たおかげで、最高の治療(発作を止める応急処置)を保険費用で初診料無しで、
週刊誌を買うくらいの代金で済んだ。

(余談)
約一年前、
その6年以上付き合いのある、
信頼における先生が、
「もう健康だから来るな」
と言われ続けていたが、
しつこく、とりあえず診てくださいと言い続けて、
先生もしょうがないなと毎回予約を入れてくれ、何もないのに世間話だけ15分するというのをこの数年間、4ヶ月に1回やっていた。
数百円とかで。それがあって初診料はなかった。(余談終わり)

で、再発してからは早かった。先生は
「じゃあもっかいあぶろっか、どーする?
まぁやってもやんなくてもいいけど、薬飲み続ける?どーする?」
(あぶる:アブレーションの通称)

どーする、と言われ、
再発か、、、ちきしょう、またあれやんのか、、
と思ったが、
絶大なる信頼をおける先生にやってもらえるというのと、
そもそもこのアブレーション手術は、
そのオペ回数を重ねれば重ねるほど、
発作の再発のリスクが減る
というのは知っていたので
そもそも2回目をやりたかった。
ずっと。

で、その中で再発してしまったのもあり、
妻と相談し、
わりとすんなりもっかいやろうとなった。都度、やれ救急車呼べだ呼ばないだなんだと、家族に迷惑かけるのが本当に嫌だし。

で、とりあえずこの2024年の4月の22日〜25日まで、手術入院する
「つもり」だった。
つもり、だったというのは
その手術の前の、手術をする為に必要な検査を4月19日に行ったのだが、
それは、造影剤を使ってCTスキャンする検査で、
造影剤を身体に注入したら、
以前は何もなかったのだが、どんどん体がブルブル震えだし、それがガクガクに変わり
造影剤アレルギー(アナフィラキシー)、
になった。

※その時の医療チームのチームワークたるや。
あれは完全に会社起こしたらすぐジョージョーとかヒジョージョー、マエカブになれるレベルのチームワークで対処していた。

「前はなかったのにね〜造影剤アレルギー、これじゃあ手術でも造影剤使うから、ダメだね〜延期、延期だね!考えよ!どーするか
花粉症と一緒だからね、ま、深く考える前に、
とりあえず一泊入院だねー」

と、かなり軽めで陽気な、
主治医の言うままに一泊入院。
※明るさは医療にほんとうに重要。

で、再度日程を変更した今日(6月25日)、
その手術を終え、
今、HCU(集中治療室)で、この夜中、これを綴っている。

朝手術を行い、足や首から管を通して
心臓をあぶりました。
で、その時に前回の睡眠薬が弱く、
手術全部見えていたのが怖すぎたので、
今回、きつめにしてくれたようで
朝9時過ぎから、15時過ぎまで寝ていたので、
まったく眠く無い、消灯中の患者です。朝までこのHCUで、
朝になったら病棟へ戻ります。

で、手術は一旦成功。
まずはそこから。いつもここから。

妻よ息子よいつも、ありがとう。

・竹崎さんについて
入院前日に、とある方から、
画家の竹崎和征さんが急逝されたと連絡があった。
自身の入院が無ければ、一言、お別れを言いに行きたかった。
本当に本当に、本当にお悔やみ申し上げます。
20代の自分に竹崎さんがあの日、お互いトイレで立ち小便をしながら、
とても自分にとってありがたい言葉をたくさん言ってくれた事が
今でも本当に励みになって、活動を続けれています。
そのお礼を言いたくて、
いっとき色々あって、現代美術業界から離脱した15年前からまた再び、
脳炎で死にかけたが生き延びた後、
とりあえず会いたい人には必ず会う。となり、
竹崎さんの展示等に行くもなかなか竹崎さんには会えず、
会ってお礼言いたいな〜と思っていたちょうどその時の訃報でした。
もっと積極的に動けばよかった。
電話番号とか誰かに聞いて動けばよかった、
と、悔やんだ時にはもう遅かった。悲しい。

竹崎さん、
あの日は本当にありがとうございました。
僕は僕で、やれることを続けます。

まったく眠れない、
HCUのベッドの上から
明後日退院(予定)。
2024/06/25

無院

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