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話すこと

大学四年生の秋学期、最後の学生期間に「手話」の講義をとっていた。卒業に必要な単位は既に取り終えていたから(なんならオーバーしていた)卒業要件なんて気にせずに好きな科目をとることができた。
大学の履修登録は抽選制になっている。各学期の始まる前に1週間ほどの登録期間が設けられ、その間に次の学期に受けたい科目の抽選に申し込む。数日後に届くメールで当選していればその科目を履修することができ、運悪く落選した場合は定員割れしている科目から選び直さなければいけない。「遅寝遅起き」がキャッチコピーのような大学生にとって1限の授業は最も人気が無く登録すれば大抵当選する。一方で午後の授業、中でもラクタンと呼ばれる単位を獲ることが簡単な講義は高倍率必死だ。ラクタンに殺到する大学生全員の学習意欲を足しても中学受験を控えた小学生一人に負ける。そんな自制心が人生で最も低くなる”大学生”という人間達の次の半年間の生活リズムを左右する履修登録大抽選会は学期初めの一大イベントになっている。しかし抽選のように天に身をまかせずとも確実に履修することができるいくつかの科目が存在する。いわゆる不人気科目だ。それらの科目は最初から抽選という体をとって人数調整をしなくても絶対にキャパオーバーする程の履修申し込みがないことが分かっているため選択した時点で履修することができる。手話もそんな科目の一つだった。

小学2年の時、事前アンケートに”第五希望”として提出していた手話を特別授業で習ったことがある。(担任の先生から「第五希望でごめんね」と言われたのを覚えている。20種類以上ある授業の中で手話を第五希望以内に書いていたのは200人を超える学年の中、僕を含めて3人だけだった)そして中学生の時には後にアニメ映画化もされた漫画『こえの形』を読んで、障害といじめを正面から描いた美化されていない物語が幼い心に深く突き刺さったことを覚えている。そして大学4年生になって手話への興味が再燃したのは映画『CODA 愛のうた』と『ドライブマイカー』を観たことがきっかけだった。

ぼくの行動の8割は”好奇心”を燃料にしている。今回も「興味がある」という理由だけで履修した、小学2年生以来14年ぶりの手話。最初の講義は「手話は言語か?」ということについて考えることから始まった。ぼくらも普段、身振り手振りを交えて話を分かりやすくしたり、相手と距離があるときやガラスを挟んでいるときにはジェスチャーを使ってコミュニケーションをとることがある。それらと手話は何が違うのか。ぼくらの使うジェスチャーと手話を隔てているのは何なのか。それを見つける為、隣の人とペアになり先生から与えられた単語を、声を出さずに伝えるというアクティビティを行った。「犬」や「猫」、「自転車」などは簡単に伝えることができたけれど、「トースト」、「コーヒー」になると急に難しく、「心」や「魂」、「心臓」に至ってはどれだけ時間をかけても伝わる気がしなかった。視覚的なコミュニケーション手段であるジェスチャーは形が明確で実際に目に見えるもの・・・・・・・、中でも視覚的にわかりやすい特徴を持っているものしか伝えることはできない。そしてどれを特徴とするかの判断はとても主観的になり、犬と聞いてチワワをイメージする人とゴールデンレトリバーをイメージする人ではジェスチャー自体が変化してしまう。(ましてやチワワとゴールデンレトリバーをそれぞれピンポイントで伝えることはできない)だからジェスチャーは目に見えない「心」や「魂」というものを伝えるのには向いていないし、各々がそれぞれオリジナルのイメージを持っているものを表すことも不得意だ。一単語でこれだけ苦労するのだからこれが無数の単語の組み合わせである文章になると文字通りお手上げ状態になる。これがジェスチャーの限界。
一方で手話が伝えられる範囲に限界は無い。形の似ているものや形のないもの、感情の機微を正確に伝えることもできれば、ジョークを言ったり、新しい概念を作ることさえ”手話”ならできる。「子音」と「母音」から成る発声言語の日本語に対し、視覚言語の手話では「手の形」「手の位置」「手の動き」そして「表情(非手指標識と呼ばれる)」を用いるけれど、それらの「有限な形態素(言語学でいうところの最小の意味単位)を組み合わせて無限の文章を作り出せること」が言語学での言語の定義であると教わった。つまり手話は言語であることが証明されているということだ。(日本で手話が言語であると法律に明記されたのは2011年とごく最近)それまで曖昧に思えていたジェスチャーと手話を区別する境界線は、一回目の90分の講義を受けて帰るころには明確になっていた。

講義中に先生が何度も強調していた「手話は言語です」という言葉が未だに忘れられない。学期の後半では聾者(耳に障がいを持つ人)教育の変遷なども学習し、彼らが、生まれ持った特徴以上に”社会”によって苦しめられてきた歴史を知ることにもなった。人は言語で話し、考え、夢を見る。手話を言語と認めてこなかった過去は多くの聾者にとって自己を否定されたような深く消え難い傷を与えてきたのだろう。母語とは自分が自分であることを説明する、アイデンティティの根幹となるものだから。

人間が言葉を支配しているのか、それとも、言葉が人間を支配しているのか

「むらさきスカートの女」今村夏子

「母国語」
話し声のために、ぼくは黙る、きみが話す、きみの家族が話す、きみの友達が話す、きみの敵が話す、きみの恋人が話す、ぼくは黙る、
≪中略≫
苛立たないで、と言われる、なにに怒っているの?と問われて、ぼくは、全人類が怒り狂っていると感じた、きみは僕を嫌いなんだろう、そうわかっていても、傷つかない部分があって、そこに花が密集している。愛という言葉の意味を知らないが、使い続け使われ続けていつの間にか、手を伸ばせばそこにある言葉になった。あなたはそれを詭弁と言うが、ぼくは神様がこの世界を作るとき、同じ感覚だったに違いないと、思っているんだよ。海と言っていたらいつのまにか、海に触れていた、花と言っていたらいつのまにか、花に触れていた、ぼくは僕の命を宝物だと言いながら、生き続けている。

「夜景座生まれ」最果タヒ

講義も回を重ね単語や日本語手話特有の文法を覚えていくと、時間がかかるけれど徐々に自己紹介や質問、昨日の出来事など演習中に隣の人と話せる話題が増えていった。声を出さずに意思疎通ができるようになり、なんだか魔法を覚えたみたいだと興奮して、手話を習っていない友達に、講義の後の昼ご飯の度に単語をいくつも紹介した。話している最中に得意顔で何度も手話を挟み込むぼくにつられるように彼女も手話を楽しんでくれ、エレベーターや満員電車など、声を出しにくい場所では手話を使って話すこともあったほどだ。


「ではこれから趣味についてペアで話してください」という先生の指示の後、教室が服の擦れる音でいっぱいになる。誰も口を開かない。けれど皆、一生懸命にその日に学習した手話を使って自分の趣味を相手に伝えようと手を忙しなく動かして”会話”している。手話を読み取るには相手の方をしっかり見ていないといけない。手だけでなく表情や頷き、口の形も重要な要素で、それらを一つでも見逃すと意味を取り違えてしまう。手話で意思疎通をしていると「話す」という行為には集中力が欠かせないものだなと感じる。

話すときに相手をしっかり見ること、相手から見られること。
表情に注意を向けること、向けられること。
話すことは聞くことでもあるということ。

それらは小学生でも知っている「話す」為に不可欠な、あたりまえの要素なはずなのになんだか新鮮に感じてしまってギクリとした。ぼくは普段どんな態度で人と「話して」いただろう。誰に対してしっかり「話せて」いるだろう。誰がちゃんとぼくに「話して」くれているだろう。

手話では、”言葉を発する”というこれまで話す時には当たり前だった要素が抜け落ち、その空洞から見えたのは「話すときは相手の方を向く」という当たり前ながら多くの人ができてないことだった。

ぼくたちはこれまでも、そしてこれからもずっと孤独だ。どれだけ親しくなった相手との間にさえ、自分と他者とを隔てる絶対的な膜がある。それを破る手立てはなく、話した結果、膜が分厚くなることもしばしばだ。言葉は常に足りなくて、話したいことを話し終える前に寿命が尽きてしまうだろう。話したところでどうにもならないこともよくあるし、最悪の場合、傷つけ、傷つけられてズタボロになった心が体の奥で冷えて固まってしまうかもしれない。
じゃあ黙って死んでいく道を選ぶのか。そっちを選ぶ人も少なからずいるのかもしれない。黙っているから気付かないけれど。

「手話は言語です。言語とは有限の要素で無限の意味を作り出せるもののことです。」そう言いながらホワイトボードに板書を終えた先生は向き直り、ぼくら一人一人の顔を見た。
その時の先生の力強い目は、話すことを諦めないと言っていた。

わたしは彼の方へ、顔を向けた。彼はじっとわたしを見つめた。この人を、わたしは知りはじめている。

「悲しみよ こんにちは」フランソワーズ・サガン

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