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止まない雨が無いように

京都の実家から大阪にある大学に通っている。家から駅まで30分歩き、電車に30分乗った後、学校まで坂道を30分かけて歩く。片道計1時間半の通学。つまり学校がある日は往復3時間を移動に費やしていることになる。2時間歩いて、1時間は電車の中。計算すると長い印象を受けるけれど、実際は電車に乗っている時は座れても座れなくても本を読んでいて、歩いているときもAir Podsで音楽かポッドキャストを聴いているから体感的にはそれほど長くは感じない。散歩が好きだということも大きく関係しているだろう。
Air Podsは世界を変えた。少なくとも僕の世界を。カバンの中で絡まったイヤホンを解き、イヤホンジャックをスマホに差し込み、線をぶらぶらさせる煩わしさが無くなったことは言わずもがなだけど、ノイズキャンセリングがそれ以上にすごい。周囲の音が聞こえない状態で自分の好きな音楽を聴きながら歩いていると、まるで自分が映画の主人公になったように感じる。特に夜は。Air Podsのおかげで夜の散歩が日課になった人も多いんじゃないだろうか。
けれど往復3時間、6時間寝るとしても残り18時間あるその日の活動時間の6分の一を”移動”に費やすのは結構大きい。そう思うとやっぱり片道1時間半ぐらいが通えるギリギリの距離だと言えるかもしれない。

そんなただでさえ結構長い通学時間。しかし家から駅の「徒歩30分」というのは信号に引っかからなかった場合の話だ。普段歩いている大通りにはほぼすべての道に信号機付きの横断歩道があり、もしそれらすべてに捕まったら30分を超えることは確実だ。
そんな信号機との戦いの日々の中、運悪くすべての信号に引っかかったある日の帰り道について。

京阪電車を降りて改札を出ると、いつも通りスマホ片手にマップをのぞき込むスーツケースを持った外国人観光客が目に入る。コロナが収束してからというもの、観光都市の京都は連日「ここは海外?」と見紛う程の文字通りの”ダイバーシティ・・・”となっている。駅の電光掲示板の時計は7時過ぎを告げているからおそらく彼らは駅から宿泊場所までの道順を確認しているのだろう。異国の見慣れない標識に右往左往しながら目的地を探す姿は数か月前アメリカにいた頃の自分と重なって見える。あの日々はもはや遠い遠い過去のようだ。そんな未知の土地ゆえの緊張と興奮を同時に纏う彼らの横を通り過ぎ、地上へのエスカレーターに乗ると、昼のコンビニおにぎり以降何も迎え入れていないお腹が鳴ったような気がした。今は7時12分だから家につくのは大体7時42分だ。おなかが減った。コンビニに寄っておやつでも買おうかなんて考えが頭をよぎった時、母親が今日の晩御飯はおでんだと言っていたことを思い出し、ゆっくりと進むエスカレーターを足早に駆け上がった。

地上に出ると10月に入りすっかり涼しくなった秋の夜風が車内の暖房で火照った体を冷やした。夏至を過ぎてから日が出ている時間はどんどん短くなり、空はすっかり暗くなっている。駅の出口の目の前の信号が青に変わるのを待っていると、朝よりも重く感じるリュックが自分では意識していなかった体の疲労を教えてくる。疲れているほど赤信号の待ち時間は長く感じられる。おそらく全人類共通のこの現象に何か名前を付けたほうがいいのではないだろうか。なんて考えていると特にいい名前も思いつかないまま信号は青になった。

朝登校する時に歩いた同じ道を通っておでんの待つ家を目指す。オレンジ色に統一された街灯の光を仄かに反射する街路樹は一足先に紅葉を迎えたように見える。すれ違う外国人観光客の数に驚きながら両耳のAir Podsから流れる音楽に浸っていると目の前の信号が直前で赤に変わった。最悪。少し走ればよかった。今日二度目の赤信号。ついてない。
普段より長く感じた赤信号を抜けて次の横断歩道に差し掛かるとまたしても信号が赤になった。帰り道だけで三度目。
二度あることは三度あるということだろうか。ようやく青に変わった後、だるい脚を踏み出すと、空っぽになったお腹が涼しい夜風に撫でられて音を鳴らした。「おでん、おでんを早くくれー」

その後、4回、5回、6回と何度も赤信号に捕まり、結局、家までの全ての信号機が赤から青に変わるのを待つ羽目になり、家に着いたのは普段よりも随分遅い時間だった。以降同じ道を歩く度に、あの日のことについて考える。なぜあの日はすべての信号が赤だったのだろう。今までずっと同じ道を歩いてきたけれどすべての信号に捕まったことは一度もなく、あの日以降もない。

言ってしまえばただ運が悪かっただけなのだろう。おそらく何らかの偶然で”赤信号スパイラル”にはまり込んでしまったのだ。歩く速度があの日に限って絶妙だったのかもしれない。けれど、何度も赤信号に捕まったあの日のことについて考えていた時、僕はそこに人生についての気付きを得た。
そして今こう思う、”あの日”の出来事こそ人生なのかもしれないと。

きる一生を道としたとき、そこにはたくさんの分岐点や、交差点、そして行き止まりがあるだろう。自分が決めた目的地にまっすぐ進んでいると思っていても回り道をしていたり、道に迷ってしまうことだってある。目的地が予想より遠くて到着が遅れることもあるし、期待していた場所と違って通り過ぎることもあるだろう。人の流れに流されて本来自分が意図していなかった場所に流れ着いてしまうこともあるかもしれない。そして何より道には人の歩みを無慈悲に止める信号機がある。信号が赤か青かどうかはタイミングの問題でしかないから、特に意識せずスイスイ通り過ぎていける時もあれば、何度も何度も少し進むたびに止められて同じ場所で足踏みを強いられる時もある。行きたい場所があって、その場所への地図も持っていて、その場所を目指す気力と体力もあって、実際に行動に移したとしても目的地に時間通りたどり着けるかは運やタイミングによるところも大きい。そしてあの日のように一つ目の赤信号に出合ったが最後、連続で残りすべての赤信号に捕まってしまうこともあるかもしれない。そんな自分ではどうしようもない障害に道を阻まれ、焦りや不安・フラストレーションを感じる時にするべきことをあの日について考える中で僕は発見したように思う。

それは「待つ」ということ。

目的地は自分で決めた。道も合っている。体力も大丈夫。でも何らかのせいで今前には進めなくなった。じゃあもう後は待つしかない。信号が赤から青に変わるまで。好きな音楽を聴きながらでも、鳥や花を眺めながらでも、何も考えずぼーっとしていてもなんでもいい。とにかく気楽に待つこと。そしてついに青信号になった時、気持ちよく大きな一歩を踏み出せるように準備しておくこと。それが赤信号に対してできる唯一にして正解の態度なのだと思う。思うように前に進めない時にそれが赤信号によるものであると思ったなら自信を持ってただ待っていればいい。

止まない雨が無いように、青に変わらない赤信号もないのだから。


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