僕が新生児科医だったころのこと3 離島編
僕が新生児科医として働いたのは小児科医としてのスタートの1年間だけだった。新生児科医には「新生児専門医」という標ぼうがあるように小児科の中でも独立した一分野としての地位を気づいている。大きな病院では、小児科と新生児科と、完全に独立している場合もある。しかし、地方などのマンパワーの限られた中で働く場合は小児科医としての仕事と新生児科医としての仕事を簡単に線引きはできない。
私が以前働いていた離島では島内の人口は数万人おり、小児人口もわりと多いのだが、島内に小児科医は私も含めて4人、新生児科医の専門は0という状況だった。
つまり、どういう状況が起こるかというと、外来で風邪や肺炎などの患者を診察していると産婦人科の先生からPHSが鳴り、
「今から超緊急でカイザー(帝王切開)します。今からオペ室に搬入してすぐ始めます。蘇生にきてください」
そんなときは、患者さんに深々と頭を下げて、オペ室にダッシュ!
呼吸の弱かった子をうまく蘇生できて、元気にお母さんのもとに届けられた時の満足感は大きい。一仕事を終えてさわやかな汗と満足顔でオペ室から外来に戻ってくると、まだ山のような数の患者さんが・・・(しかも待ち時間が長くてみんなイライラしているし)。
そうやってまた粛々と業務に戻るのである。
蘇生の依頼は院内だけとは限らない。島内には他にもお産の施設があるので、出生した子が仮死で生まれたり呼吸障害がある場合は僕らがその病院まで車でかけつけて蘇生をする。
島内に限らず、周囲の離島にも小児科医はいないため、出生後の仮死や感染などがあればドクターヘリに乗って迎えにいくということをしていた。
今、こうして書いていると改めてとんでもない忙しさだったことを思い出し嫌になるが、島の景色、子供たちの未来を全て背負うというのはすごく大きなやりがいのある仕事だった。
医者の仕事に、どうでもいい仕事なんてないと思っているが、とても、とても重たい仕事だった。
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