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母と出会い直す

遠くで暮らす家族が、脳の病気を患い、いきなり介護の話しに深く関わることになった。

少しずつ老いていく母と一緒に過ごす時間は、自分にはなくなった。

そして、少し大げさに言ったら、前とは違う母が目の前に突然現れた。

それに気持ちを合わせるのに、今はまだ時間がかかっている。
こういう気持ち、なんて言うんだろう。

「寂しい」
「虚しい」
「無力感」
「動揺している」

先人は、よく言ったものだ。
言葉にするほど、白々しいような気がしてしまう。

母は、治療という点では、急を要する問題がなくなったので、今は病院を出て、リハビリに特化した高齢者施設に入っている。

日本はまだ面会に厳しく制限があるけど、滞在していた頃には、一週間に一回10分だけ面会ができた。

でも、そのたった10分が長く感じる。
母は、聞いたことに明るく答えてくれるけど、自分から話題を出すことはない。

言葉が出てこないのよ、と言って困ったように苦笑いして、動く方の手を顔の前でヒラヒラさせる。

何度も何度もそうするから、

そんなことないよ。大丈夫だよ。私だってそういうことばっかり。ゆっくりでいいからね。

励ましにも、慰めにもならない言葉をかける。
なんて寄り添ってあげたらいいんだろうか。

10分間、私よりもずっと長く感じているんだろう。
母は、なにか、会話に集中できない感じで、困ったようにしている。

私には、母が「生き直している」と思えた。

正しい言葉か分からないけど。
母は、一度は無くしてしまった、家族や家、自分に関する情報を再構築したり、身体の機能を確認し直したりして、あらゆる認知をあらためているように見えた。

私もまた、「母」という人と出会い直している。
新しい「母」だ。
ゆっくり、ゆっくり、知り合っていく。

自分の生活もあるから、一旦、数千キロ離れた居住地にとりあえず、戻ってきた。

だから、この距離が、この遠さが、母と知り合っていくことをむずかしくしている。
より時間がかかっている。

この言葉にならない、まとまらない感情が収まってきたとき、自分は、このことについてどうするんだろう。
まだ、分からないや。

*今年の5月に書いた文章です。投稿するのに時間がかかっていました。