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自己紹介(弁護士・弁理士 小林正和)

1.生まれ、小学校


三重県松阪市で、ごく普通の家庭に生まれました。

少し人と違うとすれば、同居する祖父・祖母が米農家をしていたことでしょうか。自然に触れることができました。小学校のとき、「米の一生」という自由研究で、クラスの代表に選ばれのを覚えています。

極端に人見知りで、運動は苦手で、勉強は少しできました。

銀河鉄道999が好きでした。テレビで見ましたが、小さくて汚い映画館に連れてもらい、銀河鉄道999の劇場版を見たことを覚えています。

銀河鉄道999が、一直線に宇宙へ向けて進む絵が大好きです。

2.中学、高校


地元は少しだけ問題があり、中学は、地元の松阪市にある6年制の私立中学(三重中学→三重高校)に通うことになりました。親が勧めたのか、自分で行くと決めたのかは、記憶にありません。幸い合格しました。

自分は、他人と比べ、カッコよくもなく、おしゃれでもなく、運動もできず、人とのコミュニケーションも苦手なので、唯一の方法は、勉強を頑張ることだと人より早くに決断できました。この割り切った決断をできたのは、ラッキーでした。

三重県松阪市からですと、地元か、名古屋や関西の大学に進学する人が多いのですが、私は、(テレビや学校の先生の影響で)東京に憧れました。

ドラゴンクエスト(ゲーム)が大好きでした。写真は、2017年に1人で行ったポルトガルのリスボン近くのシントラにあるレガレイラ宮殿です。ドラクエのお城のイメージどおりの宮殿でした。

また、米国のSFであるスタートレックにはまりました。

どうしても東京に来たくて、東京の大学に進学しました。

3.大学、大学院


SF大好きだったので、大学に入ってからも、勉強を頑張って良い成績をとり、航空宇宙工学科に進学しました。

大学の先生になりたいと思っていましたが、なるのも大変だし、経済的にも大変ということで、諦めて、大学院を修了後に就職することにしました。

4.審査官


大学院1年生のとき、弁理士の存在を知り、弁理士になりたいと思いました。大学院修了までにとても受かるはずもないので、国家公務員試験を受けて、特許庁の審査官になりました。

その後、司法制度改革により、法曹養成のためのロースクールが始まりました。それで、弁理士ではなく、(特許を扱う)弁護士になりたいと思いました。

特許庁でちょうど審査官補から審査官に昇進した年、筑波大学ロースクールに進学しました(夜間・土曜開講で、仕事をしながら通うことが可能でした。当時は、秋葉原にあり、職場の近くでした。今は茗荷谷にあります)。

3年間の仕事と勉強で、ちょっと死にかけ、いくつか病気を抱えることになりました。命に関わるものではありませんが(皮膚や腰)、今だに悩んでいます。

傷は負いましたが、無事、修了し、司法試験にも合格できました。
理系でしたが、法律の理解や暗記を死ぬほど頑張りました。
幸い、審査官の仕事である起案を通じて、論理的な文章を書く訓練をしていたおかげもあります。ラッキーでした。

5.弁護士、弁理士


(家族から反対もされましたが)思い切って7年半務めた特許庁を辞め、1年の司法修習を経て、弁護士として法律事務所に就職しました。当初目指していた弁理士も登録しました。

今は、審査官時代の経験を活かし、弁護士・弁理士として、特許権侵害紛争をメインの仕事としています。

司法修習(弁護修習)の際には、公設の法律事務所で修習をさせて頂く幸運に恵まれ、刑事事件をたくさん勉強させて頂きました。今だに、刑事事件を1人で取り扱えるのは、そのおかげです。

昔からビールが好きで、いつかドイツ中を列車で回る旅行に行きたいと思っていました。

幸運にも、今の法律事務所から、ドイツのミュンヘンに2年間研修(1年はLL.M、1年は法律事務所や特許事務所で研修)をさせて頂きました。

ヨーロッパ中のビールを飲み歩きました。20か国以上、100種類以上のビールを飲みました。

2017年、遂にOktoberfest(本場のオクトーバーフェスト)にも行くことができました。

現在、弁護士になって14年です。まだ、特許分野でさえ、分からないことだらけです。

人見知りの性格は変わりませんが、弁護士の仕事を通じて、人前で堂々と話したり、人とコミュニケーションをすることも、それほど苦なくこなせるようになりました。

小学校の時から白髪が多く、からかわれていましたが、今は、ほぼ真っ白で、むしろ素敵だと言われます(単なるお世辞で言って頂いているだけかもしれませんが)。

縁があって、今年(2023年)9月9日号の週刊東洋経済で紹介してもらいました。素直に嬉しかったです。

週刊東京経済(2023年9月9日号)より


親に、「雑誌に載ったよ!」と連絡しました。

自分の息子が、コンビニや近所の本屋で買える雑誌に載っていたことを喜んでくれました。2冊も買ったそうです。持ち歩いて、自慢しているそうです。こんなことで、親孝行になりました。

6.これから


まだ、弁護士・弁理士として生きていくと思いますが、どう生きていくかは、いつも迷っています。

知的財産法(特許法など)は、審査官時代からの専門分野なので必須かもしれません。卒業生としてのご縁で、筑波ロースクール(茗荷谷)でも教えています。セミナーも多数やっています。やはり、仕事の中では一番面白いです。

刑事事件は、縁あって、弁護士1年目から続けています。様々な法分野でも好きな方で、細々とではありますが、これも継続的に扱っていきたいです(なお、刑事事件は、夜や週末に接見や示談や被疑者・被告人に家族に会うなど出かけることが多いので、健康のための運動にもなります。腰痛持ちには大事です。)。

大学時代の専門ではある宇宙分野(宇宙法)にも関わっています。JSLA(日本スペースロー研究会)の理事もしています。

ビールは趣味の範囲ですが、醸造所の法的支援などもできたらなと思いますが、余裕もなく、それほど縁がありません。

頂いた仕事のお話は、極力断らないようにしていますが(具体的な事件を受任するしないは別です)、そのせいで、アップアップとなってしまい、全てをうまく適時に処理できなくなってしまうこともあり、悩むことも多いです。いくつかはもう辞めた方がよいのではと思ったりします。

一方で、ビールの醸造所の支援など、やりたいですが、やりたいからといってできるわけでもありません。地道に、日本中の醸造所を回ってはいます。

まだだま人生は続きそうです。色々辛いこともあります。体力、知力、気力も衰えてくるでしょうし…。

長くなりましたが、自己紹介でした。

どうぞよろしくお願い致します。


弁護士・弁理士 小林 正和











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