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「評価」と「褒める」の違い

1.依怙贔屓は悪いのか

 小学校の頃、依怙贔屓(えこひいき)する先生がいた。特定の児童をやたらに可愛がる。僕は、それに納得できず、「依怙贔屓は悪いことだ」と信じ込んでいた。
 中学生になって、「客観的な評価で全てを判断すればいい。そもそも、結果が全てではないか。入試だって一度のテストで勝負が決まる。だから、先生なんてロボットでいいじゃん」と真剣に思っていた。実際には内申書もあるけど、それもいらないと思った。
 中学校の授業参観で、「先生はロボットでいいのか」というディスカッションを行い、ほとんどの同級生は、「やはり人間の先生がいい、ロボットはダメだ」という意見だったが、僕は「ロボットの方が優秀で公正だ」と主張した。すると、僕の母親が激怒して「そんな子に育てた覚えはない」と発言し、逆に担任が「坂口君も本気で言っているんじゃないですから」と取りなしてくれた。でも、それは本当の気持ちだった。
 今もその気持ちは変わっていない。人間の教師には質にバラツキがあり過ぎる。良い教師もいるが、ダメダメの教師も少なくない。だから、授業を教える先生はAI、教育プログラムで良いと思っている。
 社会人になっても、当然、好き嫌いはあるし、依怙贔屓もある。そもそも、日本は結果よりプロセスを重視する。これも納得できない。なぜ、結果だけで判断しないのかと。
 自分が講師として教える立場になっても、この気持ちは変わらなかった。「自分は絶対に依怙贔屓しないぞ」と思った。自分なりに才能を認めれば高評価をつけたし、褒めもした。しかし、学生の中には、私の態度を「依怙贔屓」と感じた人もいただろう。
 

2.「評価」と「褒める」

 「結果が全てであり、なるべく客観的に評価すべきだ」と考えていた僕は、「褒めるのが苦手」だった。「良いものは良い、悪いものは悪い」というべきであり、それが相手のためになると思っていた。しかも評価は厳しいので、どうしても辛口になってしまう。
 でも、「全員に平等に厳しいのだから、悪いことはないだろう」と思っていた。僕の中では、褒めることは、評価することに等しかったのだ。
 しかし、つい先日、長年変わらなかった自分の考えがぐらついた。ラジオでお笑い芸人のバービーが「褒めるYouTube」について話していた。とにかく、視聴者に向けて褒める番組を流したところ「バービーさんの言葉を聞いて涙が出ました」というコメントが多かったそうだ。別に特定の人に向けて話しているわけでもなく、ある意味では太鼓持ちの「ヨイショ」を流しまくるわけだが、それでも視聴者の心に響いたのだ。視聴者の分析をすると、「元気になる」というワードで検索した人が多かったそうだ。そして、バービーの番組に出会い、そのほめ言葉を聞いて涙を流したのである。
 ここでは、見事に「褒める」行為が独立していて、評価の結果で褒めているわけではない。そもそも誰かを褒めているわけではなく、褒め言葉の羅列を不特定多数が聞いているだけなのだ。それでも慰められて涙を流す人がいる。
 僕はこれまで、「私は褒められて伸びるタイプです」と言われても、「だったら結果を出せ」と思っていた。しかし、その考えは間違っていた。「褒める」は、評価と独立したところに存在しているのだ。
 客観的な評価を聞いて涙を流す人はいない。僕のYouTubeを聞いて涙を流す人はいない。でも、どちらが本人のためになったかと言うと、明らかにバービーのYouTubeだ。

3.「褒める」は「好き」に近い

 評価の結果として褒めるというのは、褒めることの本質ではない。赤ちゃんは「かわいいね」と褒められて育っていく。何もしなくても、「いい子、いい子」と頭をなでられる。
 落ち込んでいる時、例えば、飲み屋の女将さんに、「何だか知らないけど、元気出しなさいよ」と言われるだけでも元気が出てくる。それは評価でも何でもない。褒めることも評価ではない。「私はあなたが好きだよ」「あなたを応援しているよ」という意思表明であり、だから涙が出てくるのだ。
 これは依怙贔屓かもしれない。依怙贔屓で元気になって、やる気になる人もいる。そして、依怙贔屓はロボットやAIではできないのだ。
 考えてみれば、男性が好きな女性に対して「とてもきれいだ」と言うのは、「君がとても好きだ」と言っているのであって、客観的評価ではない。客観的には十人並みでも、好きだからきれいに見えるのである。
 依怙贔屓と褒めることは、恋愛感情に近いのかもしれない。
 

4.恋愛に近い感情のコントロール

 教師や上司の立場で、恋愛感情を学校や会社に持ち込むのは危険だ。一歩間違えれば、セクハラやストーカーに直結する。
 しかし、「好意を持って見守る」という範囲内であれば、これは良い先生、良い上司ということになる。大切なことは、感情ではなく行動であり、節度だ。そして、感情のコントロールにも訓練が必要だ。
 大学の教育学部では、感情のコントロールを教えているのだろうか。あるいは、管理職研修で感情のコントロールを教えているのか。肝心なことを教えていないから、自分の感情がコントロールできず、それが学生や部下に伝わってしまう。そして「依怙贔屓している」という評価になるのだろう。
 僕は、褒めるのが苦手だ。評価も厳しい。「褒める」ことも、理性の範囲の問題だと思っていたのだ。しかし、どうやら「褒める」ことは感情のコントロールに直結しているらしい。
 例えば、学生が40人いる。全員を好きになって良い部分を見つける。そして、感情をコントロールして、「好意を持って見守る」姿勢を保ち続ける。そうすれば、好きな気持ちが褒めることにつながる。
 褒めるも依怙贔屓も感情の問題。そして、人々は感情が傷ついている。涙を流して、抑圧された感情を解放したい。そう考えている人が多いということだ。バービーは偉い。

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