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鎖国の気分

1.開国と鎖国のサイクル

 日本は開国と鎖国を繰り返しながら、日本文化を発酵、熟成させてきた。
 新しい文化、技術は大陸から取り入れ、それが一定水準になると、鎖国をして、国内で熟成するのだ。鎖国こそ、熟成の期間である。
 思えば、現在のように中国に生産機能を依存し、中国からのインバウンドに小売業が依存することは、日本の歴史上初めてではないか。
 戦争もせずに、経済的な植民地を手にしたかのように、日本は中国にのめり込んだ。合弁企業を設立し、日本の機械を生産設備し、日本の技術を指導し、中国に定着させた。そして、日本の工場のように使うようになったのだ。
 しかし、気がついてみれば、日本の製造業は空洞化し、商品の価格は下落し、デフレスパイラルに陥った。日本市場は縮小を続け、中国市場は成長を続けた。「何かがおかしい」と思っても、もはや後戻りできない。そのままの惰性で、日本は不況に陥った。
 そんなビジネス環境が、新型コロナウイルスの感染により一変した。中国経済がストップし、内部留保の少ない中国企業は資金繰りに行き詰まり、倒産の危機に瀕している。これまでの借金経営のツケは、企業と個人の双方にのしかかっているのだ。
 中国企業が淘汰されれば、中国生産に依存してきた日本企業も淘汰されるだろう。中国観光客が戻らなければ、インバウンドに依存してきた、観光、飲食、小売業等が大きなダメージを受ける。
 内需の減少をインバウンドで埋めてきた企業は淘汰されるに違いない。
 
2.国内製造業の「失われた30年」

 1979年、社会学者エズラ・ヴォーゲルによる『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)の頃から、日本は海外から新しい文化や技術を導入できなくなっていた。ある意味で飽和状態だったのだ。
 本来なら、ここで鎖国時のような自国の文化を熟成させるべきだった時期に、日本の産業界は中国生産に集中した。20世紀型の製造業のパラダイスを中国に求めたのだ。そして、製造業の「失われた30年」が始まった。
 もし、この時期に国内生産を高付加価値商品にシフトし、世界の富裕層に訴求することができれば、デフレスパイラルに陥ることもなかっただろう。また、日本の技術を活かした高額商品をインターネットで訴求すれば、日本へのインバウンドも違った様相を呈していたに違いない。そして、高付加価値型製造業は日本の基幹産業になっていたに違いない。
 90年代から、日本は中国生産の廉価品を使った、時代遅れのチェーンストア理論に基づく、薄利多売を推進した。とにかく、「安く作り、安く売る」ことだけを追求してきた。
 その結果、国内生産と国産の高級品を駆逐し、欧米のラグジュアリーブランドを導入した。
 製造業における「失われた30年」は中国生産の30年でもあった。それを取り戻すには、中国生産に集中したエネルギーを新しい国内生産に向けなければならないだろう。
 
3.本気でSDGsに取り組む

 我々が中国生産に向かった大きな要因は、スケールメリットによる効率追求だった。質の向上ではなく、量の拡大が利益に結びついたのだ。
 しかし、大量生産大量販売は、目に見えないコストを増大させた。大量の資源消費による環境問題や貧富の格差拡大。大量廃棄によるゴミ問題や環境問題。グローバル物流によるエネルギー消費と環境負荷の増大等々。
 企業の部分最適は、地球の全体最適と矛盾する。環境破壊を完全に修復するには大きなコストが必要だが、そのコストを無視することで利益を確保してきたのだ。
 本気でSDGsに取り組むのであれば、環境負荷や二酸化炭素排出、廃棄物処理のコスト等を算出しなければならない。
 サスティナブルな製造業とは、最小限の資源で必要な量を、消費地の近くで生産することである。そうすれば、無用な中間流通をカットし、トータル流通コストを削減することができる。
 そして、日本独自の文化や技術によるオリジナル商品であれば、インターネットを通じて世界に発信することができるだろう。
 大量生産のために海外進出するのではなく、国内生産の商品を世界中のマニアに販売するという発想が必要なのだ。 
 
4.日本文化を深堀する

 外部からのインプットを遮断し、コンテンツを発酵、熟成させる。遣隋使や遣唐使の後の日本、あるいは、江戸時代の鎖国をしていた頃の日本。
 当時の鎖国は国内が全てだった。しかし、減殺は、一度グローバルを経験している。グローバルを理解しながら、国内を深堀していく。
 海外の人件費の安い土地を探すのではなく、国内で開発すべき土地を探すという発想。日本中に限界集落はあるし、休耕地や空き家も多い。人が住んでいない山岳地は広大だし、海洋資源も豊富だ。風光明媚な観光地、神社仏閣、温泉、大自然の絶景など、国内を再発見することで、海外に発信できるコンテンツは数多い。
 伝統文化も食文化もきもの文化、文学や音楽、芸能、アニメやマンガも日本の資産である。
 あらゆる分野の職人の手仕事も、ローテクの機械を使った加工や、ハイテク分野にも資産は数多い。
 これからは、海外から出来合いのものを持ってくるのではなく、日本に眠っている資産を発掘し、応用し、マーケティングしていく時代である。
 そう考えると、我々は日本のことをほとんど知らないと言ってもいい。ヨーロッパやアメリカのことは分かっていても、日本のことは意外に分かっていないのだ。
 我々はもっと自分の感覚を信じていいと思う。日本人が快適に感じる価値観や素材や色彩こそが、日本文化なのだ。*

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