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編集後記「しば衛門狸の話」

こんにちは、正井です。

縛りというほどではないですが、淡路島の民話としては有名なものから仕上げてしまおうと思いました。

アニメ日本昔ばなしのデータベースはこちら

淡路市旧津名町佐野には正井が知るには昔から、物心ついたころにはもう「しば衛門狸公園」が存在しておりました。今日は折角なので取材も兼ねて行ってきました。

天皇陛下がご覧あそばしたとの伝がある信楽焼などもあります。(時代的に考えて昭和天皇だと思われます。)しかしこの公園、国道28号線沿いの、28号線しかない、そして海に臨むような場所に建てられておりまして、大変場所が悪いです。海方面からまた山方面から転がってきた、瀬戸物の破片は序の口、信楽焼の破片、刃の欠けた何か刺さったら痛そうなものまでごろごろと放置されていました・・・。

さて、「芝衛門狸」はローカルなものと思っておりました。だってゆかりの地がこうなのですから。ぐぐってみれば出る出るWikipediaにデータベースに翻案作品。ぶっちゃけ舐めてたよね。

今回正井が参考としました本は、「日本発祥の地 淡路島(おのころじま)の むかしばなし」というご本で、20世紀末に淡路島で発行されていたものと考えられます。五味プロダクションという企画で作られたそうです。

「しばえもん」「芝衛門」「しば右衛門」「芝右衛門」「芝居右衛門」と表記は様々。蜂須賀領と稲田家が起こした事件の翻案では?という意見がありますが、発祥が17世紀辺りの筈の中座で、芝右衛門明神の信仰が興ったことを鑑みますと稲田事件は明治の初期ですから、おそらく違うだろうなと思われます。

稲田事件に関しましては昔の動画で少し解説しております。

淡路島には狸が多いです。西日本ですから動物園的施設以外には狐もいません。お稲荷さんは俵型、小さな神社さんなど伺いますと、起源は道祖神、室町期以降に地蔵尊と融合、という変遷があります。

正井のようなTwitter廃人じみた人種は、農耕や漁業で生活する淡路島にはあまり存在しなかったのか、大抵の記録は明治中期ごろから始まります。詩人岩野泡鳴なども輩出しておりますが、岩野泡鳴師は今でいう小学校までしか淡路島で生活しておりません。

「北の零年」も稲田事件をきっかけとした物語です。

学校が整い、道路整備が進み、電灯が灯され、バスが走るようになり、狸が化かすようなことも減りました。寧ろイラスト的狸の普及で、いたちと間違われて自動車と事故ったりします。

狸の登場する昔話というのはなかなかの数があります。「カチカチ山」は関東のお話だろうと思って今調べましたら、日本昔ばなしでは新潟の話と表記がありました。狸というのは牛馬がまだ薬であった時代の貴重な蛋白源ですから、食用にもされたでしょう。関西人にはある意味キツネやウサギより身近な生き物かも知れません。

さて、今回翻案させていただきました「芝衛門狸の話」ですが、こちらは近年急激な進化を遂げました。淡路島の観光地化です。もともと芝衛門は正井が読んだ本では独り身であり、佐野の生まれ三熊山が生活圏ということは、佐野の父母から自立して動いていると考えられます。佐野の夫婦の子狸たちは現在、洲本八狸と呼ばれて洲本市に石像が建っております。ドラクエの碑や観光案内看板、交差点の花壇など、丸くて愛らしい新しい石像です。
動画内の「お松」はその長女です。

阿波の狸「三好狸」は正井が名付けましたが、領地戦争をやり、芝衛門が浪花に向かう切欠にもなります。現在でも金銭的な意味でそうなのですが、淡路島の者が本州に渡り観光するというのは大ごとです。幸い近畿圏はコツさえ掴めば都市圏なら時間もかからず観光できます。(淡路島民調べ。)

「芝衛門狸の話」はおそらく「分福(服)茶釜」の類話で、化けることが目的ではなく過程、楽しみに徐々に変化する、化けることが手段である物語です。これはあまり、狐題材には少ない気がします。どちらかといえば狸の属性は犬でしょう。

狐はお稲荷さんの登場によって「神の使い」という立場を手に入れましたが、狸はそうではありません。人間と寄り添うことが多くなり、ジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』では人間と対等に敵対する存在と描かれています。

過去記事で猫や牛を語ったことはありますが、狸もこうして分析してみると面白い生き物なのだなぁと思いました。

それではまた、この度もご視聴ありがとうございます。またのご贔屓、お待ちしております。

またこの度の動画では、ゆっくり文庫動画座談会メンバーのお名前を、そして作品やお人柄の印象を芝衛門に叫んで貰いました。この場をお借りして御礼申し上げます。

(2019/07/30 23:42:16 少し加筆。)

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