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娘の幸・不幸は母親の心がけで決まる(実母を好きになれない人へ)

今回は少し長くなりますが、私(今年82歳・ブラジル、サンパウロ州モジ在住の元日本語教師)の義母について書かせて頂きたいと思います。

私の義母は6歳ぐらいの時に母親を亡くして、その後にやってきた継母には
なつかず、15歳の時に実兄夫婦と共にブラジルへ渡ってきました。

そして同じ出身県の長野県生まれの青年と結婚して、五男四女を産みましたが、一人も亡くさずに無事成長、ブラジル生活ではすべてが順調に行ったようです。

私はそこの末っ子と結婚しましたが、当時の義母はすでに長男嫁と不仲でした。
義母は私に長男嫁の悪口を言っては、私を自分の味方にしたいようで、私がその気になって義母の味方になり、一緒に嫁いじめの仲間を増やしたいようでした。

でも私はこの前の戦争中、父が出征した後、私たち母子は父の実家に転がり込み、そこで祖母に私たちは冷遇された思い出を、幼いながらはっきり記憶していたので、私はすぐに長男嫁に同情しました。

義母はそれが気に入らず、以後は私に事ごとに突っかかってくるようになりました。

義母という立場の人は、自分の娘が世話になっている婿には下手に出るものだと思っていたのですが、私に対しては平気で馬鹿にしたような態度でした。

一方の義父は口下手な大人しい人で、女房の言いなりになっていましたが、幸い私の家内はその父親の性質を受け継いだのか大人しい女性でした。

でも人生に対する少し曲がった考え方や、冷たい言い方は母親のコピーのようで、これが私たち夫婦の間のしこりとなり、それが私の大きな課題になりました。

私の父には姉と妹がいましたが二人とも不幸な人でした。
そんなこともあったので、私は「娘の幸・不幸は母親の心がけで決まる」というような法則性を見つけたような気持ちになりました。

実際に私の母親もすぐヒステリーを起こす気分屋で、私は実家に寄り付きたくなくなって結局ブラジルに来てしまったのですが、実母を好きになれない私は移民に向いていました。

私には姉と二人の妹がいましたが三人とも早死にし今はもういませんが、母だけは特老のお世話で94歳まで長生きしました。

家内の姉三人ともに結婚生活は幸せとは言えず、四女の私の家内だけが何とか80歳の線を越しました。

ちなみに義母はほとんどボケもしないで、89歳まで虐めた長男嫁の世話を受けながら長寿を生きました。

娘たちに渡すべき幸運を母親が独り占めしたのが「毒親」です。

里芋に例えれば、親芋ばかり太くて大きく、次の世代の子芋は養分が不足して細くて小さな小芋ばかりのような感じでしょうか。

サケは川をさかのぼって傷だらけになって産卵を終えると力尽きます。
卵から孵化した稚魚は、死んだ親の死体が崩れて流れるソボロを餌にして育つといわれています。

これが大自然の法則であるのですが、人間だけはこの法則に従わず、義母が次の世代の嫁をいじめるのです。

これと同じことが、子供の声がうるさいから公園を閉鎖とか、児童虐待、延命治療だ高齢者に対する過剰医療、多剤併用などが・・・健康保険の崩壊などにつながっていくのだと思います。

幸運は、自分だけで独占せず、次の世代へ受け渡していきたいものです。

【今日の名言】
不幸な人は、さらに不幸な人によって慰められる。
by イソップ
( これを『弱さの力』という)

【今日の名言2】
「目には目を」では世界中が盲になる。
by ガンジー


編集協力:和の国チャンネル


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