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生きる理由がわからなかった過去

学校を卒業したら就職するのが当たり前だと思っていた。

仕事とはどこかの会社に勤めることだと思っていた。

お金を使わず好きなことを我慢しながら質素にいきていくべきだと思っていた。

周りの大人がそうしていたし、そう言っていたからこれが正解なんだと思っていた。
実際にこれらをやっていると褒められた。
だから余計に正解だと思いたかった。

でも幸せは感じれなかった。
生きている意味が分からなかったし、充実感なんて微塵もなかった。
生きる希望はないが、死ぬのが怖いから生きているだけ。
いや、生きるのも死ぬのもどっちでもよかったのかしれない。
ただただ仕事のシフトのために生きているだけ。

違ったってこと。
自分の中の当たり前、周りの大人が言っている当たり前、そんな何の根拠もない当たり前から抜け出してみて感じたのは、働き方や生き方は自由ってこと。
抜け出す直前というのはものすごい批判や反対意見をぶつけられた。

脱サラする時は、
「せっかくここまでやってきたのに」
「お前なら昇格まちがいないぞ」
「今は人が少ないから」
「もうちょっとでボーナスやぞ」
「今の時代、次の仕事ないぞ」

日本一周する時は、
「そんなことして意味あるん?」
「目的地ないとかバカじゃん」
「YouTubeで全部見れるやん」
「お金の無駄」
「途中でやめたくなるって」

起業する時は、
「うまくいくわけがない」
「限られた人しかできない」
「お前には無理やって」
「怪しい」
「意識高い系ですか?」

でもこの言葉を信じて生きていたから、生きている心地がしなかった。
だったらこれら自分には必要ない言葉。
自分のやりたいことをやってみればいいだけ!

我慢して生きても、自分のやりたいことに挑戦しても、自分の人生の結果は自分にしか返ってこない。
誰も人生を変わってくれない。
だったら自分の中の当たり前、周りの人の当たり前から抜け出し、自分だけの人生を探せばいい!
動けば必ず希望は見つかる!
そして人生はいい方向に向かう!

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