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私という父親のロールモデル Part4

2019年3月 2回目の育休を終え、私も仕事復帰をする。
私も妻もフルタイム、お互い宿直や夜勤勤務もある。
娘2人は、長くて、朝7時~夜19時まで保育園。
そんな状況が目まぐるしく始まった。

仕事が終わると、気が休まることもなく、娘たちを迎えに行き、食事の支度や洗濯、お風呂、次の日の保育園の準備、寝かしつけなど座ることもなく、ドタバタした毎日を送っていた。妻と協力してやっていたが、妻も復帰したばかりで、気を張っていたように思える。
妻が夜勤の時は、娘2人は「ママがいい~」と言って泣くことが多かった。
長女のイヤイヤ期と次女の「ママがいい」が見事にかぶって、これにはかなり滅入った。さらに、この時の私は、家事も育児も完璧にやろうとする気持ちが強かった。
保育園に預ける時や公園に行くときなど、人からの目線も気にしていたように思える。
Part1でも書いたが、「私は本当に父親として育児ができているのか」という不安に駆られていた。

2019年5月 ゴールデンウィーク。
妻が仕事で、ほぼ私一人で娘2人を見ることがあったので、私はいっぱいいっぱいになっていた。
娘2人にも、大きな声をあげたことがたくさんあった。
この頃のテレビでは、親の子どもへの虐待のニュースが多く取り上げられていた。いっぱいいっぱいの私は、「私もそうなるのではないか?」という恐怖と不安に押しつぶされそうになっていた。
妻にも家事育児のことで自分の不安を打ち明けることが難しくなっていた。家事育児のことを妻は私よりもこなしていたからだ。
妻がいない3人の時間は、私にとって不安な時間に変わった。「たたくのでではないか」、怒らないようにしよう怒らないようにしよう、そう思えば思うほど悪循環に陥っていった。
いつの間にか、あんなに可愛かった娘たちが、愛せなくなっていた。

2019年7月 私の心の状態はおかしくなっていた。
「おかしい・・・」、そう感じた私は、妻に、自分の心の状況を伝えた。
妻も話を聞いてくれ、心療内科を受診することにした。
診断は、「神経症」。正式な病名ではないようだが、「育児ノイローゼ」と言われた。
その時のお医者さんからは、「完璧にやろうとせず、手を抜きましょう。人を頼りましょう。」と言われた。言われてすぐは、中々、受け入れ難かった。なぜなら、育児に対して肩に力が入って、先入観が強かったように思える。診断は下されたが、根本的な原因がわからない状態だった。そして、娘たちへまた当たってしまうのではないかという恐怖心が強かった。
ただ、このままではいけないと思い、手を抜くところから始めた。少しずつ、少しずつ時間をかけて、妻やお互いの両親、友人に話すことで助けをもらい、自分にとってバランスのいいところを探っていった。今でもうまくいかないことが多いが、手を抜くことと人を頼ることの大切さをこの経験で学んだ。
この経験から気づいたことがまだある。
逆に、診断を受けた際に、不安とは別に、違う感情もあった。それは、「育児ノイローゼ」と診断されて、半分、喜んだ自分がいた。なぜなら、「俺って、育児ノイローゼになるまで育児やってたんだな」と思えたからだ。それは、自分にとって微かな希望だった。勲章をもらえた気がした。Part1で抱いた「私は本当に父親として育児ができているのか」という自分の問いに答えられる答えが見つかったからだ。
だから、「手を抜こう」。そう心の底から思えた。時間はかかったが、また娘たちを愛せるようになった。
この頃から、保育園や妻の友人を通じて、パパ友ができたのも大きかった。悩みを打ち明け、先輩パパたちからいろんなアドバイスをいただいた。
「うちは、娘が大泣きしたら、抱きしめるよ」
実際にやってみた。効果抜群だった!!意外とシンプル!!
妻が私の妻と同じ職業で夜勤もある同じ境遇のパパ友とは、同じ境遇なので、悩みも同じで分かり合えることが多くあり、今でも大きな存在である。
この時に、家事や育児において、手を抜くことや人を頼ることの大切さ以外に、子育てはみんなでするものだと思えるようになっていった。

父になって、父のことを知る

田野の子育て支援センターにも、妻抜きで行くようになる。
まだ、当時、パパと子どもだけで来ている人は少なかった。その時に、ふと気づいたことがあった。
「パパ向けの講座とかないのかな??参加したらパパ友増えるかも・・・」そう思い、スタッフの方に聞いたら、「なかなかないですね・・」だった。
「ないのか~~~・・・・じゃあ無いなら無いで、自分で作っちゃおう」

その時に、作ったのが、「なないろ自然学校」である。
元々、自然学校を立ち上げる予定だったので、この機会に立ち上げた。
のちに「なないろ自然校」から、宮崎市内でフリースクールをされている方にアドバイスをいただき、「なないろ自然校」に変えるが、友だち家族を家に呼んで、BBQをしたり、流しそうめんをしたり、段ボールピザ窯でピザを焼いたりと、自分ができるやり方で、育児の在り方を模索していった。

最初の試み 流しそうめん
パパとぎこちなく竹を切る(笑)
自分ができることで・・BBQで交流
自分ができることで・・ピザづくりで交流
自分ができることで・・トナカイ
自分ができることで・・門松づくりで交流

この2019年の経験が、私の今の基礎になっている。いろんなパパとつながり、話をすることで、勇気をもらったり、不安が軽くなったりする。だから、もし1人で悩んでいるパパがいたら、知ってほしい。
「こんなパパもいますよ 笑」

Tack!! Part5へつづく

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