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いつまでも変わらない、でも新しい景色~渚のプレーパーク~

5月4日みどりの日、宮崎市青島ビーチセンター渚の交番さんのご協力の下、「渚のプレーパーク」を実施させていただきました。
天気は、”あいにくの雨”、雨風が強く、外の遊び場をカットし、室内での実施でした。
38名の親子連れが遊びにきて、その中には、福岡県や愛知県といった県外の親子連れもいらっしゃいました。今日はこの日の出来事を書きます。

スタッフが見つけた”雨だったから見れた景色”

今回は、私とスタッフが見つけた素敵な景色を紹介。


福岡県から来たお母さん×まなさん(スタッフ)

息子さんが黙々と廃材で剣をつくっている時、そのお母さんが、「こんなに工作に付き合ったことないねー」と呟いたそうです。
まなさんはそれを聞いて、”確かにお母さんは何かと忙しくて、こどもの遊びにただただ付き合う、みたいな余裕が物理的にも精神的にも持ちにくいから、貴重な時間だ”と感じたそうです。

ゆっくり椅子に座り、我が子を急かすことなく、じっと我が子の様子を見守る時間というのが、そのお母さんの心の中に生まれてよかったと思います。公園なんかは、いろんな”まわりの対象物(こども、大人)”を気にしがちなので、楽しめているようで楽しめていないように感じることがあります。子も親も”こころの解放”ができる空間がプレーパークにはあるのだと思います。

貴重な時間

いつまでも変わらない、でも新しい景色×ヨッシー(スタッフ)

愛知県から旅行で来られた、お子さんとお母さん、そしておばあちゃんが遊びに来てくれました。
そのおばあちゃんが、お手玉や駒がお上手で、お孫さんだけでなく、周りにいたこどもたちも興味津々。一緒になって、お手玉や駒を楽しむ様子が見られました。
近くにいたヨッシーは、邪魔しないようにその場から離れて様子を観ていたようです。”世代を超えた交流”、その景色がとても嬉しい気持ちになったようです。

お手玉や駒、けん玉など、”昔の遊び”と言われる遊びには、今の遊びにはない要素があると思います。
①時間をかけないとできない
試行錯誤や失敗・成功を重ねていくことで、自分のモノにしていくことができます。頭と体を同時に使うので、”体が覚えている”という感覚を身につけることができます。
②社会性を育む
昔、近所のおじちゃんおばちゃんの中には、駒や竹とんぼ、メンコなど、”〇〇達人”、”〇〇名人”がいました。そんな人に勝負を挑むときは、とてもドキドキしたのを覚えています。また、そんな達人の技を見て学んだり、コツを教えてもらうこともありました。今考えると、そんな地域の人と遊びを通してつながることで、自分自身の社会性を育んでいたように思えます。

このこどもの頃の営みは、私にとっての原風景として残っています。
この日も、その景色を見ることができました。この営みは、今の人と人とのつながりが希薄して無くなったのではなく、私たちの心の中の気づかないところで埋もれているだけで、脈々と残っているのだと思います。
みなさんの心の中にも多かれ少なかれ、残っているのではないでしょうか?
今のこどもたちにも、その景色を見せてあげれたらと思います。
こどもたちにとっては、”新しい景色”ですから。

伝授中!

学び合える横のつながり×おず(私)

大人だろうが、こどもだろうが関係ない”横のつながり”を見ることができました。
年下の男の子が、年上の女の子に駒を教える。
「そうじゃないよ、こうだよ」

駒の一コマ(笑)

小さなこどもが、私たち大人に、海のいきものについて教えてくれる。
「これは、カギノテクラゲ。これは、ハリオリムシ。」

海はかせ

こども対大人。将棋のルールを「あーでもない、こーでもない」と言い合う。

将棋談義中

遊びには、人と人とをつなげる力があります。遊びながらお互い自然体で対話するって楽しいです。そこには、大人とかこどもとか関係ない関係性がありました。

今回は、海が目の前の渚の交番で、”思いっきり遊ぼう”と思っていましたが、最初に述べたように、”あいにくの雨”でした。
でも、雨だったからこそ、見れた、もしくは生まれた景色がありました。
”あいにくの雨”ではなく、”めぐみの雨”でした。

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