「プロになればいいのに」は、アマチュアに対する言葉

「どこまで学べば、プロだと称せるのでしょうか」という、ご質問をいただきました。

これは、考え方が逆です。

プロだと自称することが、プロのスタートです。

それ以前は、どれだけ知識や技術があってもアマチュアです。

自称できないというのは、結局のところ覚悟がないからです。


【1】プロと自称することが「スタート」

真面目な人ほど、どこまで学べばよいのかと自問します。

たしかに、知識も技術も青天井です。

どこまで行っても、「ここで終わり」はありません。


しかし、技術の差がプロとアマを分けるのではありません。

技術が低いプロもいますし、技術が高いアマもいます。


また、報酬を得ているかどうかでもありません。

報酬を得ているけれど、アマチュアもいます。

報酬を得られないプロもいます。


プロとアマを分けるのは、自分をプロだと公言しているかどうかです。

覚悟の有無です。


ですから、まずはプロだと公言することがスタートとなります。

プロの出発点は、自分はプロだと公言することです。


【2】「プロ」と称するとは、どういうことか

では、自分をプロだと称することはどういうことでしょうか。

これは「自己の提供する価値が、有償であると公言すること」です。

つまり、「私は○○のプロです」というのは、「私が提供する○○は有償です」と公言することです。

これは結局、法的な責任を、自分が負うという表明でもあります。


プロの作家だと名乗るとしたら、少なくとも本来的には、私の文章は有償であると公言できなければなりません。

プロのカウンセラーと名乗るなら、自分のカウンセリングは有償だと公言できなければなりません。


【3】プロとしての評価に身を置くかどうか

「自分の提供する価値が有償である」と公言することは、プロとしての評価に身を置くこととなります。

アマチュアとしての評価ではなくて、プロとしての評価に身を置くということです。

「私のサービスは無償ですが、プロとして評価してください」と言っても、社会はそのように評価はしません。

「プロになればいいのに」は、アマチュアに対する言葉です。

「プロなのに未熟」と言われたなら、それはプロに対する評価です。

有償サービスだとすることによって、はじめてそのような評価になります。


有償だと公言するのは、社会的にプロフェッショナルであると公言することと同じです。

それは覚悟の宣言であり、責任の所在を示すための宣言です。

つまり、最初に必要なのは宣言であり、プロのとしてのスタートは宣言から始まります。

それは、「私のサービスは有償です」というプロ宣言によってです。


ですから、その宣言ができない人は、やはりアマチュアなのです。

もちろん、プロとして活動を始めるかどうかは本人次第です。

ですが、それはある一定以上の技術を持つことがプロとアマを分けるのではないと、自覚した上での決断であるべきです。

プロとアマを最終的に分けるのは、宣言の有無であり、それは社会的にどちらで評価をしてほしいかの宣言だということを、忘れてはいけません。

もしよろしければ、サポートお願い致します。 頂いたサポートは、パワハラ被害者支援のための活動費に充当いたします。 ・書籍購入(心理学、民法・労働法に関する書籍 ・被害者への書籍プレゼント ・関係機関への連絡・通話代金  関係機関に直接連絡を取るときにかかる費用です。