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メタファーで「遊び心」と「抜く」を体感しよう。

こんにちは。花粉?かなにかにやられています。ブタクサでしょうか。目と鼻が異常に痒いです。久々にマスク生活を送っている今日この頃です。


シンプルで、自分も仲間も理解できる。

時間が開いてしまいましたが、メタファーです。レゴ®シリアスプレイ®メソッドで重要なのは「頭の中でモヤモヤしている言葉にできない言葉を形にして表現し、そこから言語化する」。文章で書くと、あーそういうことね、と一言で終わらせそうですが、これがなかなか難しいからこそのLSPです。

前回の最後で書いた「レゴ®シリアスプレイ®ではブロックをより多く使うことが必ずしも正ではなく、大事なのは仲間との対話でありコミュニケーションです。作品はそのためのツールであり、目的は素敵な作品を作ることではないこと」。シンプルで、自分も仲間も理解できる作品が最高なんですね。

メタファーを利用すればわかりやすくなる。

で、このレゴ作品です。

「議論とは戦争である」

個人的に、というよりも、「レトリックと人生」の中でよく話題として出てくるのが「議論とは戦争である」です。デヴィッド・ボームの「ダイアローグ」的に言えば、議論(ディスカッション)はお互いの意見の正否を問い、どちらかが採用され、どちらかが採用されないという状況が起こります。

言葉という武器で相手を粉砕し、議論における勝利を手に入れる。ブロックが赤くなっているのは血ですね。まさにいずれかが勝ち、いずれかが負けるという構図。実際に議論をそのまま表現するとレゴブロックだけでは難しい場面でも、このようにメタファーを利用すればわかりやすくなりますね。

子供のメタファー感覚とレトリック表現。

で、話はここに戻るわけで。この、たったみっつのブロックで表現した自分自身。「やさしい」がテーマで作られたこの作品。子供いわく「くまのプーさん」だそうです。…なんだろう、この納得感。単に「やさしい」と言われた場合と、この作品をもとに「やさしい」と言われたときの違いが明確。

作品名「やさしさ」

「遊び心」と「抜く」。

自分が作った「自分」は「黄色と赤の作品」で「黄色と赤の作品」は「くまのプーさん」で「くまのプーさん」は「やさしい」。だから「自分」は「やさしい」。これを特に意識しないまま作れるのが凄いなと思います。子供のメタファー感覚とそれを実践できるレトリック表現に脱帽してしまいますね。

とかく大人は「遊び心」を忘れて、ストレートな物言いになってしまうケースが多いなと自身でも感じます。時間をかけてでも遠回りして家まで帰る余裕と同様に、対話や議論の中でメタファーを意識し、レトリックを用いて表現してみてもいいかも。良い意味で「抜く」のが一番なのかもしれません。

最後に。

2023年の読書量が150冊を超えてきました。結構audiobookが多いので頭に残っているかどうかですが、気にせず楽しんでいます。最近聞いたのがこれ。良い意味で気が楽になりました。


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