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幕末戊辰の出来事を勝手に7つの習慣やレゴ®シリアスプレイ®と結びつけて強引に書いていく<3>

こんにちは。最近、戦前の歴史についてよく調べたりしています。あの戦争も明治維新が発端とも言われたりしますが果たしてそうなのでしょうか。

前作はこちら。


明治維新と現代日本。

明治維新という言葉がひとり歩きしてしまいますよね。大政奉還や江戸城無血開城ばかりに目が行くとは思います。世界でも類を見ない流れる血の少ない革命だったのか。それとも薩長を中心とした軍事クーデターと言ってしまえるのか。あの時代に生きていない人間が語るまでもないのかもしれない。

1868年に勃発し日本を二分して戦った戊辰戦争は1869年の箱館戦争で幕を閉じるわけですが、いわゆる幕末と呼ばれる1853年の黒船来航からの16年間。それは現代日本にとっての重要な時期でもありました。それをレゴ®シリアスプレイ®や7つの習慣に結びつけることすら冒涜とも言われかねないです。

自己開示。

読んだ本の影響からか、子供の頃から坂本龍馬に対する強いあこがれがありました。しかしながら昨今、そのヒーロー像も「いい国作ろう」鎌倉幕府の年号同様に少しずつ変化しています。奇跡の脱藩浪士から武器を密売する死の商人的な扱い(もっとある)まで、憶測含め様々な見方がされています。

坂本龍馬像(2015年撮影)

残存している記録だけで物事を解釈するのは本当に難しい(しかもこの時代の記録がとても曖昧で多く謎に満ちすぎている)。だから本質を知っているのは数少ない仲間くらいです。いやその仲間ですら知らないことも多い。自己開示できるところできないところがあるのは現代と何ら変わらないのです。

ジョハリの開放の窓について。

龍馬の変化。

この時代のコミュニケーションと言えば手紙や対話が基本だったのでしょうし、言葉で表現できないことを伝える手段が少なかったでしょう。もちろん他者に見せたくない部分があるとはいえ、自分自身の考えや思いを伝えなければ相手はその考えや思いを理解することができない。これは自明の理。

その点龍馬は勉強に熱心で好奇心が旺盛で、知らないことは相手に教えを請う態度を常に持っていました。初めて江戸に来た頃はまだ攘夷の志士でしたが多くの仲間と出会うことで日本や世界を知り、自分なりの言葉と7つの習慣の第1の習慣のような主体性を持つようにまでなったと言われています。

リアルタイムストラテジーがあるじゃないか。

龍馬は明治維新を待たずして京都近江屋で最期を迎えます。Win-Winを薩長とイメージできていたらとか、自分だけの考えに固執せずシナジーを生めていたらとか。たらればは良くないですが思ってしまう。まあ自らを新政府綱領八策から外すくらいなので、政治家には向いていなかったのでしょうね。

自分で綱領を書く前に草莽の志士全員でリアルタイムストラテジーができていたらとか真剣に思ってしまいます。その結果、どんな明治維新を迎えたのか、どんな国になっていたのか、なんて妄想してしまうのはよくないことでしょうか。同じようなことはどんな組織でも起こり得る話ですからね・・・。

リアルタイムストラテジーについてはこのレポートが非常にわかりやすいと思います。

ジグザグに進んでいくのがリアルタイムストラテジー。
龍馬も攘夷→開国→倒幕→合議制とジグザグに変化していった。

最後に。

たとえ武器商人だったとしても坂本龍馬への思いは変わらない。今一度、本棚にあるこの本を読み直してみようと手に取ったところであります。

Googleマップには掲載がないのですが、この星乃珈琲店の隣に「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」があります。noteのカバー写真はかなり古いときに撮影したものなので看板は無かったですが今は立っているようですね。

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