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新しい環境に身を置くことで見えてきたこと

【ご連絡】この記事は,研究の色合いが強い内容かもしれません。新しい環境に身を置くことで見えてきたものについての概要が気になる方は,太字をお読みください。

 私は現在,大学で心理学系の教員をしながら,東京大学大学院教育学研究科博士課程で主体的対話的で深い学びに関する研究を継続しています。簡単にいうと,これまでは,どうすれば主体的で対話的な学びが成立するのかについて協同学習という領域から研究をしてきました。現在は,どうすれば対話的で深い思考が成立するのかについて協同的探究学習※(一般的な領域名としては協調学習)の観点から研究を深めていこうと考えています。ここでは,そんな私が,東京大学大学院で異なる領域について学ぶことで見えてきたことを語ります。

※師匠の博士論文を読むと,”協同的探究学習”は,これまでの基礎的研究の積み上げによって出来上がったと感じさせる学習方法です。この手法は,協同学習か協調学習のどちらか問われれば,協調学習の流れに位置づくものでしょう。しかし,あのような細かい研究の蓄積を見ると,まだ,多くを知らない私が,簡単に協調学習に分類できない凄みがありました。

協同学習と協調学習の差異について

協同学習と協調学習 近いようだけど,中身は大きく異なる

 これから行おうとしている協調学習についての研究は,協同学習研究の延長線上にあるものです。そのため,研究環境に順応することは,それほど難しくないだろうと考えていました。しかし,今,その認識は大きな間違いだったと感じています。
 実際に講義を受けたり,協調学習の立場から先行研究を外観し始めたりすると,協同学習と協調学習(結果的に,協同的探究学習はここに分類されそう)は,その出発点となった理論の違いが見つめる視点の違いに現れていると考えられました。
 例えば,実際の講義で議論した場合,外部から来た私と修士課程から在籍していた院生では目の付け所が違っていました。私は隣の生徒と対話しようとしている生徒に目を向け,対話的な環境が整っている点に着目しました。一方,修士課程から在籍していた院生は,個人の思考がどのように深まっていったのかに着目していました。教師の発問やワークシートのことなどについては同じ視点もいくつかありましたが,それ以上に驚いたのが,この差異でした。「領域が違うと,注目する視点がここまで違うものになるのか!」ということを体験的に理解しました。

講義内で議論した場合
 私の視点:対話的な環境が整っている点に着目
 他の院生:個人の思考がどのように深まっていったのかに着目

差異に目を向けたことで考えたこと

 この経験から,私は次のようなことを考えるに至りました。思いついたことの羅列ですが,自分にとっては,ぜひ言葉にして表現したいモノたちです。

  • 学びの到達点は,個人の思考が深化すること

  • 対話が個人の思考深化を妨げてしまう可能性もあること

  • 深い思考を促すのに対人関係以外で重要な視点があること

  • 他の領域にいたからこそ持つ視点も重要であること

  • 両者を統合する可能性について

 学びの到達点は,児童生徒個人の学びが深まることです。そう考えると,対話は,思考を深化させる道具の1つです。私は,10年近く対話的な学級をいかに作り出すかという研究をしてきました。つまり,上記の研究に多くの時間を費やしてきた分,対話が重要かつ必須であるという思い込みを持っていた可能性がありますこの思い込みは,冷静に物事を見つめる視点を曇らせるかもしれませんせっかく,違う領域について研究をする機会をもらえたのですから,思考深化には,対話の他にどのような要素が関係しているかを客観的に見つめることが重要になってくるでしょう。これについては,今後,先行研究をレビューしていきます。
 ここまでは,思考の深まりという点に注目することの重要性について書きました。ただし,私は私の視点も大切にしたいと考えています。私の研究の出発点となっているあの風景ー学校現場の課題ーを解決するためには,協同学習も協調学習の視点も大切になってきます。この両者は,外発的動機づけと内発的動機づけが一次元上に配置されたモデル(Ryan,2000 )のように,同一次元上に位置づけることができるかもしれません。
 これから,先行研究を調べたり,実際に実践をしたりする中で,協同学習と協調学習の両方を統合できるようなモデルを提示してみたい。そう思います。

講義を受けて考えたこと

 思い返せば,私は,深い思考に至らない原因は,互いに聞き合うことができない学級環境だからであるという立場に立って研究してきました。ですから,どうしたら意見が言いやすい環境が生じるのか,互いの話を聞き合う環境が成立するのかを研究してきたのです。しかし,深い思考に影響を及ぼす要因は,教師の発問や提示する問題など他にもいくつかあります。修士から上がってきた院生が指摘していたのは,そこだったのです。
 これについて,藤村(2018)は興味深いことを書いていました。

 「教科の授業において,クラスでの話し合いが少数派の子どもと教師によって主導され,他の多数派の子どもはそれを傍観したり,その結論のみを模倣・暗記したりしている原因は,意見の言いやすい雰囲気といった学級づくりの問題よりも,教師が最初に提示する問題(発問)によるところが大きい」
     『協同的探究学習で育む「わかる学力」(ミネルヴァ書房)』より引用

 これまでに何度か読んだ箇所でしたが,改めて読み直すと,今回自分が気づいたことがすでに明記されていました。確かに,思考が深まらない理由としては,学級づくり以外にもあります。新しい環境に身を置いたことで,その他の要因に目が向くようになり,視野が広がった感じがありました。

深い思考に関連する諸要因

おわりに

 今までの人生を振り返ってみると,新しい環境に身を置いた時は,きまって違和感を覚えたものです。「あれ?噛み合わないなぁ。」という感じのものです。新しい環境では,今までの常識が通じなくなるので,こう感じるのは当然のことでしょう。今の私は新しい領域にいて,まだピントが合っていなくて,視界がぼやけているのでしょう。
 ですが,「きっと大丈夫。」これまでもなんとかやってきたし,こんな風に違和感を表現しつつ,研究領域を探索していくと,きっとこの領域にも慣れていくはずです。気長に,でも,できることから始めて行きたい。そう思いました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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