RIO2016 to TOKYO2020+1
ひょんなことからリオオリンピックの話になった。
僕は日頃からアスリートのストーリーに想いを馳せ、なれなかった自分をそこに照らし合わせ、そのストーリーに共感なり、感銘を受けて応援をする。
そこにはなりたかった自分、シンプルに言えば憧れがあるわけだ。
けれど、当たり前のことだが、
僕も5年という時間を過ごし、あの日より前に進んでいたことに気づいた。
いろんな不公平が存在する人生の中で、時間だけが誰しもに与えられた平等なものだとすると、僕にとってリオから東京への5年間も何かを失い、何かを得て、傷つき、傷つけての5年間だったのだと思う。
間違いなく、あの日見ていた景色とは全く違う。
東京オリンピックの前にそんな自分を振り返ってみるのも悪くない。
そんなことを思った。
RIO2016
当時の僕は働きながら、バスケットボールのコーチをしていた。
自身で立ち上げたクラブには中学生から社会人まで70人ほどのメンバーがいた。
社会人にバスケットボールをする環境、大会出場の手配などを担う代わりに、少し多めにお金をいただき、それを中高生の育成に回す。
僕の中で特に不思議な感情はなかったが、今思うとなかなか良いシステムだったと思ったりする。育成年代に金銭面の負担を極力かけさせず、バスケットボールを楽しみ、さまざま環境に触れる機会を増やしたかった。トップコーチをお招きし、クリニックを開催したり、トップリーグや代表戦の観戦に希望者と足を運んだりした。多くの大人と絡む機会も作り、それを理解し集まり、サポートしてくれた社会人の皆さんには本当に感謝しかない。
そんな流れで、2015-16のWリーグファイナル第4戦をみた当時女子高生だった教え子たちはたちまちその姿に憧れを持ったことは不思議なことではない。
その後は多くの子がWリーグの試合や代表の試合に足を運んだ。(中高生のチケットも安かったのは有難かった)
ある子は本川紗奈生選手(現デンソーアイリス)に憧れ、自身が代表の試合で撮った写真がしばらく彼女のSNSに使われ、発狂していた。笑
ある子は栗原三佳選手(引退)に憧れ、ひたすらスリーポイントを打ち続けていた。あの時ほど、憧れの力が強いものだと感じたことはなかったかもしれない。強くない高校でプレータイムがなかった選手も努力を重ねれば、素晴らしいシューターになるのだと僕自身も学んだ時間だった。
ある子は町田瑠唯選手(富士通レッドウェーブ)に憧れ、ゲームコントロールとパスを磨き続けた。
リオオリンピックでの日本女子バスケの成績はベスト8
あの試合を勝ちきっていれば…などのシーンは確かにあったが、最後のアメリカとの試合、特に前半の高揚感は今も覚えている。
失敗と挫折が次のステップへ
当時の僕は戦術をいかに落とし込むかを考えていた。クラブチームにその戦術を浸透させ、ちょっとした革命を起こしたい…とさえ思っていた。良い環境を作りたいという思いは、選手の思いとかけ離れていたことに気づいていなかった。
学ぶたびに、それらをクラブの戦術に落とし込み、スキルアップを求める僕と選手たちの距離はどんどん離れていっていたように思う。
僕としてはもっとこの子たちを成長させたい。そう思っているのだが、選手たちからすれば、どうみえたいたのだろうか…
他にもいろんな要因が重なり、チームがうまく回らなくなったところで、僕はチームを離れることにした。
今思えば、選手たちのため…と思っていたことは全部自分のエゴだった。
そんな自分に気づかなかったところ、選手たちの想いに寄り添えなかったところにこの失敗の大きな要因があったわけだ。
なんとも言えない感情の中で、Bリーグがスタートを切っていたこともあり、自分の学んだことや経験をアウトプットしようとブログを立ち上げた。
正直、誰かのためになれば良いなー…くらいの気持ちで始めた。
けれど、そこから地元新聞社のバスケサイトのコラムを担当させてもらったり、ポッドキャストを始めたり、そしてダブドリの人になった。
もちろんその中にも色んな苦労や挫折はあったけれど、続けてきたこと。
今、自分にできることはなんだろうか。
自分なりに失敗と挫折と向き合いながら、次のステップに進んできた。そこは自分の自信にもなったと思うし、力を貸してくれた方には感謝の気持ちしかない。
加えていうならば、その過程で傷つけてしまった人もいるし、傷ついた自分もいる。そういう部分はこれからも忘れたくないなと思う。
TOKYO2020+1
色んなことがあり、東京オリンピックを迎える。そこは一旦おいておき、自分に矢印を向けてみると、自分自身もこの5年、スポーツを通して色んなことがあったんだと感じる。
その中で、ダブドリvol.8にて初めてインタビュアーをやらせていただいたのが町田瑠唯選手だった。
ダブドリvol.8 →
正直、緊張のあまり全く記憶にないし、いまだにこのインタビューをさせてもらったことを自分が1番信じていない。笑
それでも、こうやって繋がるストーリーがあることに感謝しかない。このインタビューをきっかけに疎遠になっていた教え子とまた連絡を取るようになったりもした。
インタビュー時、町田選手にも教え子ととってもらった写真をみせ(僕はカメラマン笑)、町田選手も自身の若い頃の姿に笑っていた。笑
5年前、教え子たちと一緒に応援していた選手を、今、違う目線で応援する。
町田選手もインタビューの中で、年齢を重ねたことで変化してきたことなどを語ってくれているが、アスリートだけでなく、僕らもそうやって積み上げてきた5年間があるのだと思う。
女子バスケをピックアップすれば、エースの渡嘉敷来夢選手の離脱、長くできなかった国際試合の影響もあり、なかなかチームはパフォーマンスを出しきれなかった印象があった。
しかし、先日のベルギー戦はスモールボールがはまり、ランキングで上位のベルギーに勝利し、その中心には間違いなく町田選手がいた。
願うなら、当時の教え子たちもバスケットボールが好きなまま、あの日憧れていた町田選手含めた日本代表のプレーをどこかで応援してくれていたら良いなと思う。
誰もが同じ時間の中で、自分だけのストーリーを描いている。
アスリートがスポーツに向き合うストーリーがあるということは、そこに向き合い、応援する僕らにもストーリーがある。影響力の違いはあれど、そこに大きいも小さいもない。
改めてオリンピックを振り返り、そして今この瞬間に目を向けてみると…苦しいことはたくさんあったけれど、しっかりと前に進んでいた自分に気づいたりする。
それもきっとスポーツの力なんだと思う。
そんな想いを持ちながら、画面を通して応援できたら良いなと、今は強く僕は思う。
ここまでのストーリーがあるということは、ここから始まるストーリーも必ずあるということだから。
RIO2016 to TOKYO2020+1
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